漂流者は何を食べていたか
1,540円(税込)
発売日:2021/07/19
- 書籍
荒海に突然、投げ出されたら、あなたは生き残ることができるか?
残された食べ物はわずか。飲み水もない。彼らはどうやって生き延びたのか。ウミガメ、海鳥、シロクマ、ペンギン……初めて生で口にするものばかり。運と知恵、最後まであきらめない意志が命をつないだ。『117日間死の漂流』『荒海からの生還』『日本人漂流記』ほか、大の「漂流記マニア」が選んだ壮絶なサバイバル記の数々。
大海原の小さなレストラン
北の果てで銀色の馬を見た
北をめぐるでっかい漂流
考える漂流イカダ
アザラシ、シロクマで生き延びた
コン・ティキ号黄金海路を行く
十六中年漂流記
竹のイカダで実験漂流
参考文献
書誌情報
読み仮名 | ヒョウリュウシャハナニヲタベテイタカ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
装幀 | 新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-603869-3 |
C-CODE | 0395 |
定価 | 1,540円 |
書評
経験上、狼が一番おいしいです
これまで七十冊は読んだという椎名さんほどではないが、私も活動柄というか生き方柄というか漂流物の本には関心があり、そこそこの量を読んできた。
でも悲しいことに生来記憶力がことのほか悪いため、読んだ本の内容をすっかり忘れてしまっている。
しかしそのおかげで、というのも何か変だが、本書を面白おかしく一気に読むことができた。ここに紹介されている本は何年も前に大体読んでいるが、でも中身をほとんどおぼえていないので、へえ、この人はこんなものを食べていたんだと、あらためて驚く話が多かった。
たとえば家族でヨットで航海していてシャチに転覆させられたドゥガル・ロバートソン一家のケース。漂流初期の段階からシイラを捕まえ、七日目には海亀をひきあげ、血まみれになって解体して何とか食べている。この漂流が特殊なのは年端のいかない子も含めた三人の子供たちも一緒だったことだ。私にも家族がいるので、もし同じ状況になったらうちの娘は解体直後の亀肉、亀卵を食すことができるだろうかと想像してしまった。
有名なヘイエルダールのコン・ティキ号が、専用の網を用意してプランクトンを採取しているのも興味をそそられた。ちっぽけな甲殻類や海の生物の幼生、小型の蟹やクラゲで〈どろどろした光る粥のよう〉になっているプランクトンは、〈ひとさじ口のなかにいれてみるとエビジャコのペーストかイセエビかカニのような味〉ということで、ちょっと旨そう。今度、カヤックでどこかを長旅するときに試してみたい。
また漂流といえばシイラが定番で、シイラといえばスティーヴン・キャラハンの漂流だ。キャラハンの救命筏のまわりには三十匹以上のシイラがつねについてきて、お互い顔見知りになってゆく。キャラハンはその馴染みのシイラを一匹ずつ殺して腹におさめ、シイラも、たぶんそれがわかっているのに離れない。知能が高く好奇心が強いのか、シイラはほとんどの漂流者の前に姿を見せるのだが、キャラハンのケースは特別だ。両者のあいだでは、殺しと食をつうじて生物種を超越した奇跡的かつ不可思議な関係が築かれており、感動的ですらある。こんな経験ができるのなら漂流も悪くはないと思えるほどで、忘れっぽい私もさすがにこのエピソードはおぼえていた。
本書を読んであらためて思ったのだが、海の漂流や極地での遭難というのはやはり究極の極限体験である。そもそもそれは、やりたくてもできるものではない。本書のなかには、やりたくてやった漂流、つまりコン・ティキ号などの実験漂流のケースも紹介されているのだが、これらは計画的なものなので、生還への必死さという点では遭難して漂流した人たちの迫力にはかなわない。椎名さんも随所で指摘しているが、本として刊行されているのは遭難者のなかでも生還できた稀な事例であり、その背後には単に行方不明として処理された無数の顔の見えない人々の影がつらなっている。そして、その生への努力がもっとも端的にあらわれるのが、食べ物と飲料水の確保なのである。
食というテーマで漂流者たちの行動を読んでいくと、何を食ったかという点も興味深いが、それよりもどのように獲ったかのほうが面白い。漂流者はきわめてかぎられた道具や素材を駆使して、あれやこれやと知恵をはたらかせて何とか魚を釣りあげ、水を確保し、海亀をつかまえる。文明の利器にめぐまれた普段の生活では絶対に思い浮かばない閃きに打たれ、そして結束し、今の生活環境をすこしでもよりよいものにしようと努力する。この試行錯誤と創意工夫のなかにこそ人間性の根源があり、そこに感動があり、漂流記の素晴らしさがある。たいして顔も知らなかった四人の男たちが漂流を契機に民主的な協力法をあみだし、やがて転覆したトリマランのヨットを快適な食の場にかえてゆくローズ・ノエル号のケースは、まさにその典型ではないだろうか。
ちなみに本書ではナンセンのフラム号や、シャクルトンのエンデュアランス号など、極地探検の漂流もおさめられている。彼らが食べたのは海豹や白熊などだ。北極の野生動物の肉は、私にとってはあまり珍しくないものなので本稿ではあえて言及しなかったが、せっかくなので、現段階における私の個人的な〈北極旨い物ランキング〉を記して終わりたい。
一位……狼 二位……白熊 三位……兎 四位……海豹 五位……海象 *鳥類は除外しました。
(かくはた・ゆうすけ 冒険家)
波 2021年8月号より
著者プロフィール
椎名誠
シイナ・マコト
1944(昭和19)年、東京生れ。東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイスト。『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』『銀天公社の偽月』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『犬から聞いた話をしよう』『旅の窓からでっかい空をながめる』などの写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞した。