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嫉妬と階級の『源氏物語』

大塚ひかり/著

1,815円(税込)

発売日:2023/10/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

不遇の才女・紫式部が洞察した「嫉妬の本質」とは?

上流貴族から祖父の代に零落し、夫も亡くし、藤原道長の「お手つき」となり、その娘の家庭教師に甘んじた紫式部。「落ちぶれ感」を抱えた彼女が「もうひとつの人生」を求めて書きはじめた物語には、階級社会に渦巻く激しい嫉妬が描かれている。人気古典エッセイストが、源氏物語に秘められた紫式部のメッセージを読み解く。

目次
はじめに 『源氏物語』は嫉妬に貫かれた「大河ドラマ」
第一章 『源氏物語』は「ifの物語」?
上流だった紫式部の先祖/清少納言と紫式部の違い/紫式部の希有な共感能力とプライド/『源氏物語』は紫式部の願望が生んだ「ifの物語」?
第二章 はじめに嫉妬による死があった
僅差の世界の中で/嫉妬と中傷といじめ/千年前から嫉妬で人は殺されていた/嫉妬される側が弱い立場だと……/嫉妬が“よこさま”な死を招く/いじめ、生き霊、無視……『源氏物語』の嫉妬の形/ネットリンチ顔負けの現実/不幸になるのは「自己責任」という考え方/紫式部も嫉妬されていた/紫式部のたくらみ
第三章 紫式部の隠された欲望
厚遇される落ちぶれ女と、冷遇される大貴族の令嬢/嫉妬と生き霊……相手が下位者の場合/嫉妬と生き霊……相手が同等もしくは上位者の場合/権門女性の不運と、孤児同然の紫の上の幸運/推しは「中流の女」/紫式部の願望と階級へのこだわり/平安中期の階級移動/「物質的な落ちぶれ」より「身分的な落ちぶれ」が下という感覚/親族の階級格差と嫉妬
第四章 敗者復活物語としての『源氏物語』
“数ならぬ身”を嘆く受領階級の女たち/娘の結婚による階級移動を目指す明石の入道/いったん落ちぶれながら、極上の栄華を目指す/実はいとこ同士だった桐壺更衣と入道/『源氏物語』が四代の物語を必要としたわけ/受領階級だから厚遇される/『源氏物語』は敗者復活の物語/“数ならぬ身”を嘆いた紫式部
第五章 意図的に描かれる逆転劇
紫の上の浮き沈み人生/紫の上の継母の嫉妬と憎悪/継母としても優秀な紫の上/二代にわたる興亡/母親世代の屈辱を、子世代でリベンジ/「理想的な嫉妬」という欺瞞
第六章 身分に応じた愛され方があるという発想
紫の上の異母姉の最悪な嫉妬/爆発する嫉妬/相手が「下位者」の時だけ、嫉妬をあらわにする紫の上/「私は女三の宮に劣る身ではない」という心の叫び/異母姉と対比される嫉妬/紫の上の不幸を喜ぶ“御方々”/女三の宮に集まる同情/身分の高い女こそが愛されるべきだという発想/優れた人は早死にしてほしい/実は妻の身分に不満があった源氏/「一抜けた」した幸運児を追いつめる世間
第七章 「ふくらんでいく世界」から「しぼんでいく世界」へ
嫉妬することもゆるされぬ女の存在/召人に初めてスポットを当てた『源氏物語』/召人に優しい源氏、冷たい鬚黒/物語に突如現れる忘れられた敗北者/「上昇する人々」の世界から「下降する人々」の世界へ/階級にこだわる男、柏木の挫折/父の厭世観と階級へのこだわりを受け継ぐ薫/結婚を拒否する女、大君/唐突に現れる浮舟と、周到に用意された母・中将の君
第八章 嫉妬する召人の野望
宇治十帖のキーワードは“数”/『源氏物語』の受領階級は必ず「落ちぶれ組」/堂々と物質主義な人々の登場/懲りずに八の宮家に接近する中将の君/私だって北の方と同じ血筋だという叫び/自分自身のために見て感じて語る、物語初の女房階級/中将の君の野望
第九章 腹ランク最低のヒロイン浮舟の生きづらさ
繰り返される「身代わりの女」というテーマ/母の饒舌と、娘の寡黙/人間扱いされない浮舟が気にかけるのは……/大君の“形代”としてしか有用でない浮舟/薫には放置され、匂宮には召人扱いされて……/匂宮の前では生身の女になる浮舟が死を決意するまで
第十章 男の嫉妬と階級 少子・子無し・結婚拒否という女の選択
殺人につながった男の“ねたみ”/大貴族の嫉妬の形とは/変わらない男たち/生きていても“不用の人”という自意識/all or nothingの親/本当は結婚したくなかった女たち/少子・子無しへの志向/右肩下がりの時代、「不自由な女」の辿り着いた場所/桐壺更衣の本音
おわりに 紫式部のメッセージ
彰子サロンを挙げての『源氏物語』製作プロジェクト/嫉妬し、嫉妬される紫式部/紫式部の「処世術」/作家の思想を超えた浮舟の境地
『源氏物語』の嫉妬年表 参考原典

書誌情報

読み仮名 シットトカイキュウノゲンジモノガタリ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603903-4
C-CODE 0393
ジャンル ノンフィクション
定価 1,815円
電子書籍 価格 1,815円
電子書籍 配信開始日 2023/10/25

書評

紫式部の作家論

山崎ナオコーラ

源氏物語』は、階級の中で生まれる感情が物語の推進力になっているのかもしれない。
 大塚ひかりさんの『嫉妬と階級の『源氏物語』』は、ヒロインたちと紫式部が、階級社会の中でどのように感情を動かしたか、そしてそれがどのように物語に作用したかを考察し、新しい読みの地平を拓くエッセイだ。
 階級の中で起こる嫉妬、という切り口で『源氏物語』が読まれることは、これまでの読みでは意外と少なかったと思う。
 男は劣った女が好きなものだ、女同士はいがみ合うものだ、とジェンダーバイアスのかかった単純な読み方をされがちだった。それから、「階級制度」という現代には存在しないものがあってその感覚は現代人には想像しにくい、と現代人の感覚と切り離されて読まれることも多かった。
 なぜ、「ヒロインたちは『階級を作って社会を維持しよう』という社会通念の中で感情を震わせている」という切り口が見えにくかったのか。それは、これまでの多くの読者が、貴族の女性たちを社会人と見なしていなかったからではないだろうか。
 現代にも「階級」のようなものはある。私もそうなのだが、おそらくみなさんも、社会でもまれるうちに、上下関係を感じ、嫉妬を湧かせてしまう。
 貴族の女性は、労働をせず、相続をするだけだとしても、周囲と関わり、使用人をまとめなければならないわけで、立派な社会人だ。女だろうと男だろうと、社会でもまれていれば、「自分より上にいるように見える人がいる」「なんで自分ばかりこんな扱いを受けるんだ」といったことを思う。そういう嫉妬の感情を、お姫様たちも味わっていた。
 しかも、作者の紫式部自身も、階級に対する複雑な思いを抱えていたという。この読みは新しい。そう、紫式部も社会人だったのだ。
 大塚さんが書いている「落ちぶれや成り上がりといった階級移動はいつの時代にもあるもので」という文にハッとする読者は多いだろう。
「落ちぶれ」「成り上がり」こそが物語だ。誰もがその物語を知っている。
 いわゆる「階級制度」は現代日本社会にはもうない。でも、「落ちぶれ」「成り上がり」は今の世にもあるし、ほとんどの文学がそれを扱っている。
 紫式部自身がりょう階級という、「落ちぶれ」や「成り上がり」に敏感な階級で生きており、「どうして私がこんな扱いに」「あの人はどうしてあんな扱いに」と嫉妬を感じていた。その感情が筆を動かす力になった。
 これまでの読みで、「紫式部は自分自身のことではなく、憧れや夢で執筆意欲を燃やしていた。仕えていた中宮彰子やその周囲の人たちを眺めながら、天上の世界を描いていた」とばかり捉えてしまいがちだったのは、やはり男性主体の読みだったのかもしれない。『源氏物語』は藤原道長が書かせたのだ、女は憧れを描くものだ、という思い込みから、紫式部自身の生活や人生を細かく想像する必要性を感じられなかったのだ。
 だが、当たり前のことだが、作家は自分自身に一番振り回される。自分自身の心の底から物語が生まれてくることの方が圧倒的に多い。
 紫式部は、自身の先祖は上流階級にいたこと、祖父の代に落ちぶれたこと、自分の結婚、出産、それから夫を亡くしたこと、そして宮仕え、といった際に味わった、自身の階級移動感覚を面白く思ったに違いない。嫉妬などの感情が自分の内から湧いてきたことで、「これを書きたい」「これは書ける」と考えただろう。
 彰子や道長は執筆を後押ししてくれた存在ではあったかもしれないが、やはり、紫式部自身が階級移動を味わったからこそ、『源氏物語』は生まれたのだ。
 階級移動は結婚でよく起こる。だから結婚の物語はわくわくする。
 明石の入道が「娘の結婚による敗者復活」を望むこと、紫の上が「相手が『下位者』の時だけ、嫉妬をあらわにする」こと、そのほか、本書にはいろいろなエピソードが紹介されていて、背筋がゾゾゾッとする。人間って嫌だなあ、という気持ちにもなってくる。しかし、やっぱり、嫉妬は面白い。
 大塚さん独特の、容赦ない、直球の言葉運びがあり、それでいてユーモアがそこかしこにあふれていて、怖いなあ、と思いつつ、笑ってしまう。
 大塚さんは、『源氏物語』に出会った頃から「数」という言葉が気になっていたという。階級制度がしっかりとあった頃は、人間の数として数えられない人もいる、という恐ろしい人権感覚があったのかもしれない。紫式部自身が宮仕えをし、人に仕える身では人間の数に入れてもらえない、という感覚を味わい、そこに強い思いがあったとしたら、それはとても悲しいけれども、そこから『源氏物語』が生まれたと考えると、すごくしっくりくる。

(やまざき・なおこーら 作家)
波 2023年11月号より

著者プロフィール

大塚ひかり

オオツカ・ヒカリ

1961年横浜市生まれ。古典エッセイスト。早稲田大学第一文学部日本史学専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻(以上、ちくま文庫)、『本当はエロかった昔の日本』(新潮文庫)、『女系図でみる驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』『毒親の日本史』(以上、新潮新書)、『くそじじいとくそばばあの日本史』(ポプラ新書)、『ジェンダーレスの日本史』(中公新書ラクレ)など著書多数。趣味は年表作りと系図作り。

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