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西行―歌と旅と人生―

寺澤行忠/著

1,760円(税込)

発売日:2024/01/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

184首の名歌と共に語られる、西行の魅力のすべて。

「願はくは花の下にて春死なむ」――どうすれば西行のように清々しく生きられるのか。出家の背景、秀歌の創作秘話、漂泊の旅の意味、桜への熱愛、無常を乗り越えた「道」の思想、定家との意外な関係、芭蕉への影響……偉才の知られざる素顔に迫る。西行一筋60年、西行歌集研究の第一人者がその魅力を語り尽くす決定版。

  • 受賞
    第78回 毎日出版文化賞 人文・社会部門
目次
はじめに
1 生い立ち
2 出家
3 西行と蹴鞠
4 西行と桜
5 西行と旅
6 山里の西行
7 自然へのまなざし
8 大峰修行
9 江口遊女
10 四国の旅
11 地獄絵を見て
12 平家と西行
13 海洋詩人・西行
14 鴫立つ沢
15 西行の知友
16 神道と西行
17 円熟
18 示寂
19 西行と定家
20 西行から芭蕉へ
21 文化史の巨人・西行
おわりに

書誌情報

読み仮名 サイギョウウタトタビトジンセイ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 232ページ
ISBN 978-4-10-603905-8
C-CODE 0323
ジャンル ノンフィクション
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2024/01/25

書評

人物評伝を読む 日本を考える3冊

佐伯啓思

 もしも私が人物評伝やエッセイを書くはめになれば、誰を取り上げるであろうかと、時々、考えたりもするのだが、いっこうに名前があがらない。見も知らぬ人物の生きざまにどっぷりと浸るには、相当な共感の持続がなければならない。どうも、それが私には欠落しているようだ。
 関心を掻き立てられる人物や思想家は結構いるのだが、逆にいえばいすぎるのである。その結果、私の興味は、人物というよりも、彼の思想や、背景をなす思想史へと向かう。さらには、その思想の現代的意味が気になる。だから、人物評伝を読む場合にも、今日それを読む意味はどこにあるのか、などと考えてしまう。
 ところで、ここにとりあげる三冊は、私にはすこぶる楽しい時間を与えてくれた。時代が新しい順でいえば、まず瀧井一博氏の『大久保利通―「知」を結ぶ指導者―』。
 大久保といえば、どうしても盟友かつ宿敵である西郷隆盛との対照がよく知られ、「義と情の人、西郷」に対し「利と理の人、大久保」として脚色されるのが常であろう。こうなると西郷の方に分がある。私自身もその俗耳につられ、大久保の事跡や足跡にはほとんど関心がなかった。だが本書は、大久保に付きまとう西郷の影など目もくれず、大久保その人の歩みを実に丁重に描き出す。
 明治維新の謎のひとつは、薩長志士の過激な尊王攘夷が、いかにして新政府の建設という難事業へ向かい、さらに徹底した欧化政策へと転換したかにあろうが、その中心にはいつも大久保がいた。本書は、大久保の歩みを日記でもひもとくように丹念に眺めることで、この謎を解きほぐす。

瀧井一博『大久保利通―「知」を結ぶ指導者―』書影

 彼は、「利と理にたけた先進的リーダー」どころか、人々の調整役としてしんがりに座を構え国家の方向を展望し、公的な議論(公論)へ人々を誘う総合的プロデューサーであった。この大改革者を、「政治制度はその国の『土地風俗人情時勢』に従って構築されなければならない」という漸進的改革の思想の持ち主と見る著者の大久保像を、果たして、今日、「改革」や「変革」を叫ぶ政治家たちはどう評価するのだろうか。
 次は先崎彰容氏の『本居宣長―「もののあはれ」と「日本」の発見―』。本居宣長論というと、まずは小林秀雄の同名の大著を思い出す。この書物で、とりわけ『古事記伝』を扱う際、小林は、(本人も述べているが)引用に次ぐ引用を重ねている。古語を頼りに古代人のこころや神の道を知るには、ただ古人の言葉遣いを知るほかないという宣長の徹底した思想に小林は共感したからだ。余計な解釈は「さかしら」に陥りかねない。

先崎彰容『本居宣長―「もののあはれ」と「日本」の発見―』書影

 そこに宣長を論じる難しさがある。先崎氏の宣長論は、『古事記伝』には触れず、それ以前の『石上私淑言』や『紫文要領』などに限定して思い切った解釈をほどこしてゆく。たとえば「もののあはれ」とは、個人の私的な情緒などではなく、古代から続く「わが国びとの生活の記憶」、つまり伝統と歴史に共鳴することだ、というのだ。
 これなど私にはたいへん面白く説得力をもっていた。それらが「さかしら」に陥らないのは、宣長に向き合う著者の態度が鮮明だからだ。つまり、外国の高度な文明(著者のいう「西側」)にすり寄る「からごころ」こそが、日本人のこころを空虚化してしまう、という宣長の危機感は、決して過ぎたことではない。グローバリズムの現代もまた、あの「宣長の時代」なのだ、と著者はいうのであろう。
 最後に寺澤行忠氏の『西行―歌と旅と人生―』。本書は実に読後感がよい。決して奇をてらわず、強力な解釈意図など微塵もなく、実に誠実で丁寧な論述であるが、だからこそ、その和歌と共に西行のありのままの姿が浮かび上がる。

寺澤行忠『西行―歌と旅と人生―』書影

 西行には私は何かあるなつかしさをおぼえる。いくつかの有名な歌しか知らないが、昔から、世俗の栄達を捨てて漂泊の旅に徹した西行という人物の苛烈な生に共感を持っていた。出家しつつも人恋しさに耐えられず、無常から逃れるためにまた無常の旅を続けるという西行には、日本人の深い心情を打つものがある。昔に読んだ小林秀雄の影響かもしれないが、どうやら、著者も同じ経験を持つようで、おまけに、著者は高校時代を奈良で過ごしたと記している。私も高校まで奈良にいた。何か、奈良の風土と西行が漂わせる無常の風には響きあうものがあるのかもしれない。いずれにせよ、本書が、このせわしない情報過多の現代日本において、多くの読者の共感を呼んでいるという事実はすばらしいことに違いない。

(さえき・けいし 京都大学名誉教授)

波 2025年6月号より

「歌人・西行」の文化史上の意義

ピーター・J・マクミラン

 西行についての新しい本が、長年西行研究に尽くしてこられた寺澤行忠氏によって出された。その書評を書けることを嬉しく思う。西行は言うまでもなく日本の大歌人の一人であり、世界に通じる歌人であり、その魅力がわかりやすく説かれた本だからだ。本書では西行について、幅広い観点から論じている。例えば、西行は『新古今和歌集』に最多の歌が選入された歌人で、日本の和歌史において傑出した存在であること。旅に新鮮な魅力を見出し、人生を旅とした歌人であること。桜を愛し、日本人の桜を好む気風が醸成される上で大きな影響を与えたこと。人生が無常であると自覚し、それを乗り越える道があることを力強く示したこと。日本の神仏習合において、きわめて大きな役割を果たしたこと。本書は、以上のように西行の文化史上の意義に改めて光をあてたもので、西行がどれほど重要な存在であったかがよく分かる。
 また本書の特徴として、読者に分かりやすいように、ほとんどすべての歌に現代語訳を付したことが挙げられる。加えて西行に関する興味深いエピソードを多数紹介し、また代表的名歌を多く取り上げている。
 例として、西行の最も有名な歌を見てみよう。第18章では、西行の「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」という歌を取り上げ、「出来ることなら、生涯愛してやまなかった桜花舞い落ちる木の下で、2月15日の釈迦入寂の日に、この世の生を終えたい」という明快な現代語訳を付けている。英訳をする際に、とても役に立つ。
 著者によれば、西行はこの歌を自歌合「御裳濯河歌合」に入れているが、その判者である藤原俊成は「死を希求するテーマ」が和歌にふさわしくないと考え、「これは西行だから詠める歌であって、深く道に達していない者が詠んでもよい歌にはならない」と、「持(引分)」の判定を下したという。このエピソードについて、著者は次のように述べる。

歌壇的営為である歌合の場に、このような歌を持ち込む西行と、それを精一杯理解しようとしながらも「持」の判定を下す俊成……そこに歌壇に生きる者と歌壇の外で自由に歌を詠んでいた者の、立場の違いをみることが出来よう。

 俊成の判定の理由を俊成と西行の立場の違いにあるとし、この歌が『新古今和歌集』に一旦選ばれたが、最終的に除外されたことも指摘している。
 また、西行が文治6年(1190)2月16日、この歌の通りに2月の満月の頃に亡くなったため、それに感動した俊成・定家・慈円らが西行を追悼して詠んだ歌が、現代語訳とともに紹介されているが、いずれも西行の歌をうまく引用しており、尊敬する歌人への深い敬意を示していて、周囲の視線からの西行の魅力もあわせて知ることができる。次の慈円の歌は特にその気持ちをよく表現していて心に残ったので、寺澤氏の訳とともに引用しよう。

風になびく富士のけぶりにたぐひにし 人のゆくへは空にしられて(「風になびく富士のけぶりは空に消えて」と詠み、そのけぶりとともに消えていった上人の行方を、空にはっきりと見ることが出来ます――極楽往生は疑いないことです)

 ここまで特に第18章の内容に注目して見てきたが、様々な面から丁寧で納得のいく解説がされており、至れり尽くせりであることが分かるだろう。本書全体にわたって、このような解説が展開されている。
 続く第19章では、西行と定家の関係を取り上げている。両者の歌風の違いから、両者を対立的に捉え、定家は西行をあまり高く評価していなかったのではないかとする見方が一般的だが、実際は両者は互いに相手を深く尊敬し、高く評価しているという。定家が選んだ秀歌撰集においても、定家は西行の歌に対し、父俊成に次ぐ高い評価を下していることを実証している。
 第20章「西行から芭蕉へ」では、五〇〇年後に生きた芭蕉がいかに西行を敬愛していたかが、作例に沿って丁寧に述べられている。芭蕉は言うまでもなく世界的に名が知られているが、その芭蕉がこれほど深く西行を愛したというのはとても興味深い。芭蕉の時代は今と違って西行の人生や作品解釈について学問的な考証はなく、西行の知識は誤写が多い延宝2年版本の『西行上人集』、西行作と誤って信じられていた『撰集抄』、説話としてのフィクションの含まれる『西行物語』に基づいたものであったと指摘した上で、著者はこうした書で「西行の歌に親しんでいたにもかかわらず、芭蕉が西行の本質を鋭く捉えていたことは注意される」としている点に特に心ひかれた。「西行の本質」は、芭蕉の「本質」にも共通するものであったに違いない。
 西行について、これほど読者にとって親しみやすく、読むのが楽しい本はないと思う。私の考えでは、西行は驚くべき独自性と深い精神性を持った歌人の中の歌人、世界レベルの歌人だ。たくさんの人にこの本を読んでほしいし、いずれこの本が英語に翻訳され、世界中の読者にも、深い考察と膨大な知識によって書かれた本を通じて、西行の素晴らしさが知られることを祈る。

(ピーター・J・マクミラン 翻訳家)
波 2024年2月号より

著者プロフィール

寺澤行忠

テラザワ・ユキタダ

1942年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。慶應義塾大学助教授・教授を経て、2024年1月現在は名誉教授。文学博士。専攻は日本文学・日本文化論。著書に『山家集の校本と研究』『西行集の校本と研究』(いずれも笠間書院)、『アメリカに渡った日本文化』(淡交社)、『ドイツに渡った日本文化』(明石書店)など。

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