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京都の歩き方─歴史小説家50の視点─

澤田瞳子/著

1,760円(税込)

発売日:2025/03/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

「京都らしさ」の向こうにある、知られざる京都を知る。

千年の都にして日本最古の観光地・京都には、平安や幕末のみならず、あらゆる時代の痕跡が息づいている。この地に暮し、日々、自転車で身近な歴史の痕跡を考察してきた直木賞作家が、季節の便りや日常のニュースから思いも寄らぬ史話を掘り起こし、紡ぐ50のエッセイ。京都の解像度が上がる知的興奮の一冊。

目次

はじめに


1 京都人の「京都」を探して
2 東寺の塔は空海のコーラ
3 白峯神宮にサッカー神のおわす
4 宣長・将門の京都青春記
5 鹿はナマに限る?――危ない生食の古代史
6 樺山伯爵は馬鹿車に乗って
7 紫式部は鰯を食べたか
8 歴史は「残り物」で出来ている
9 紅葉狩りと藤原実資の怒り
10「京料理」の誕生
11 紅葉の高雄に恋が香る


12 師走の風物詩・広沢池の鯉揚げ
13 皇太子ニコライと京都ホテル
14 歌枕をめぐる旅
15 道真が聞いた鐘の音は
16 相撲の歩みは『日本書紀』から
17 大河ドラマに楽しくだまされたい
18 平安貴族に見る酒と出世の日本史
19 古式ゆかしい吉田神社節分祭
20 幻の能面「雪・月・花」が揃う時
21 凡河内躬恒の当意即妙
22 ご本尊の受難、仏像からカーネルまで
23 京都看板散歩のすすめ
24 生八ッ橋「夕子」と『金閣炎上』


25 平野神社の普賢象桜を見て
26 かつてタケノコは果物だった
27 なぜ大江山は丹後に設定されたか
28『甲子夜話』に残る京都大地震
29 煩悩に迷った僧侶たち
30 鵺の史跡を訪ねて
31 高瀬川の蜘蛛が運ぶもの
32 公家のスキャンダルと温泉
33「薪能」普及の立役者はオリンピック?
34「小京都」の京都離れ
35「薬子の変」に思うこと
36 通学路から時代劇が見える
37 京都土産のイノベーション


38 伊庭八郎の京都スイーツ三昧
39 漱石の鱧、泣菫の鱧
40 愛宕山リゾートへようこそ
41 京都人は行かない金閣寺
42 はじめての鎌倉
43 野ざらし大仏
44 戦争遺跡が語るもの
45 八瀬の釜風呂と入浴の陰謀
46 自首には向かない日
47 後西天皇の悲劇
48「みすや針」が繋ぐ鬼平の縁
49 早すぎた慶應義塾京都分校
50 私たちは歴史の道を歩いている

あとがき

書誌情報

読み仮名 キョウトノアルキカタレキシショウセツカゴジュウノシテン
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-603924-9
C-CODE 0321
ジャンル 歴史読み物、歴史・地理・旅行記、日本史
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2025/03/26

書評

歩いてわかること

井上章一

 あまり知られていない歴史の話が、たくさんもりこまれている。なじみのうすい文献をひくところもある。にもかかわらず、たいへん読みやすい。私はいっきに読みとおせた。読み手をひきこむ文筆の技と言うべきか。脱帽である。
 澤田さんは京都で生まれそだった。だが、その文章に、ことさらな京都じまんの気配はない。たとえば、「仕事で上京する……」という書きだしではじまる一文がある(〈10「京料理」の誕生〉)。東京へおもむくことを、「上京」という言葉でしめしている。私などは、こういう書きぶりに、ほっとする。
 京都には、東京訪問を「上京」とよばない人が、少なからずいる。21世紀の今日なお、「東下り」と言ってはばからない。関東下向という観念をたもっている。都は今でも京都だ。遷都の勅令は、まだでていないと言う人たちである。そんな京都人ではないことが、「上京」のひとことで、よくわかる。安心して読める。
 私は親の代から、京都の近郊でくらしだした。先祖代々の京都人ではない。澤田さんも、その点は同じであるという。おのずと、親近感がわいてくる。
 おさないころは、妙心寺の保育園へかよったらしい(〈36 通学路から時代劇が見える〉)。私も、半年ほどだが、同じところへ通園した。澤田さんと私は同窓生ということになるのだろうか。まあ、小学生以後のキャリアはかさならないのだが。
 澤田さんの実家は銀閣寺のそばにある。街中の学校へはバスでかよった。だが、桜の季節は、満員のバスに、なかなかのせてもらえない。しかたがないので、歩いてかえることも多かったという(〈1 京都人の「京都」を探して〉)。
 このごろは、オーバーツーリズムの問題点が、よく語られる。京都では、市民がバスにのれなくなっている。そんな映像が、テレビで紹介されるようになってきた。だが、澤田さんは言う。そんなの、「今に始まった話ではない」。子供のころからそうだった、と(〈25 平野神社の普賢象桜を見て〉)。
 ここも、全面的に共感できる。私は嵯峨でそだった。実家は嵐山と大覚寺のまんなかあたりにある。桜も紅葉も、たいへんな数の観光客をもたらした。その迷惑は、かぞえあげればきりがない。
 ついでに、書いておく。私の地元で傍若無人にふるまったのは、いわゆるインバウンドじゃない。日本人である。日本人が空き缶などを、すてていった。外国人ばかりをなじりやすいこのごろの報道に、私は違和感をいだく。
 市民がバスにのりづらい状況へ話をもどす。バスはあてにならないから歩く。あるいは、自転車ででかける。めんどうなことである。しかし、おかげで近代交通が普及する前の歴史は、しのびやすくなった。じっさい、以前はたいてい徒歩だったのだから。
 京都には酒呑童子の伝説がある。大江山に拠点をおき、しばしば都へ出没し、悪行のかぎりをつくす。そんな鬼の言いつたえがある。源頼光がその鬼退治で力を発揮した話は、古くから芝居や物語にとりいれられてきた。今でも、ゲームにいかされている。
 さて、その大江山である。この所在地をめぐっては、ふたつの説がある。ひとつは、丹後の大江山、もうひとつは洛西の大江山である。
 京都府北部の福知山市は、丹後説をうちだしている。「鬼のまち」として、まちづくりにものりだしてきた。「日本の鬼の交流博物館」もある。いっぽう、京都市は洛西説に、それほどこだわっていない。
 ただ、私の勤務する国際日本文化研究センター、日文研は洛西の大枝にある。こちらのほうが本命だろうと、私などは思ってきた。日文研のレストランが「赤おに」を名のっているのも、そのためである。
 澤田さんは言う。古い伝承は洛西、後で丹後説は浮上した。福知山と京都は、七十キロほどはなれている。いくら酒呑童子でもそうたびたびは京都へでむけまい。もともとは、洛西の伝承だろう、と(〈27 なぜ大江山は丹後に設定されたか〉)。徒歩が体感にきざまれての指摘と言うべきか。私どもには、ありがたい援軍である。
 さいきん、福知山市から日文研に連携の申し込みがあった。こんどの大阪・関西万博で、鬼の展示をする。ついては、共催の形がとれないか、と。私どもは、これをうけいれた。歴史的な和解と言えば、おおげさにすぎようか。それでも、澤田さんにはおつたえしておきたい一件である。
 テレビのドラマで耳にする坂本龍馬の土佐訛りは、誇張されている。そして、あの口調を一般化したのは司馬遼太郎の小説だと、よく言われる。澤田さんも、この見方を支持しているようである(〈2 東寺の塔は空海のコーラ〉)。
 龍馬は、まだ若かった中江兆民を、一時期手下にした。そのことを、兆民はこう回想する。「純然たる土佐訛りの言語もて」指図をされた、と(幸徳秋水『兆民先生』)。司馬が龍馬へあてがった土佐訛りにも、根拠はあったと考える。蛇足ながら、のべそえる。

(いのうえ・しょういち 風俗史研究者/国際日本文化研究センター所長)

波 2025年4月号より

著者プロフィール

澤田瞳子

サワダ・トウコ

1977年、京都府生まれ。同志社大学大学院博士前期課程修了。奈良仏教史を専門に研究したのち、2010年に長編小説『孤鷹の天』で小説家デビュー。同作で中山義秀文学賞を受賞。2013年『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞、2016年『若冲』で親鸞賞、2020年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、2021年『星落ちて、なお』で直木賞をそれぞれ受賞している。他の著書に『火定』『名残の花』『のち更に咲く』『赫夜』『孤城 春たり』等多数。

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