
私の明治時代史
1,815円(税込)
発売日:2026/01/21
- 書籍
- 電子書籍あり
欧米列強の脅威に対し、日本人はいかに生き抜こうとしたか?
「日本にイスラム革命のような復古運動が起こった」「女官に囲まれ化粧をしていた天皇が突然、軍服姿に変身」「自分の命を国家に捧げる日本人はまるで古代のスパルタの民のようだった」……神風連ら士族反乱から日露戦争勝利・大アジア主義まで、一等国への道をひた走った「若き日本」の軌跡を辿る「幻の連続講義」第二弾。
第一回 地租改正
講座派と労農派/インテリゲンチャとしての下級武士/近代化の妨げとなった封建制/殿様を騙して倒幕運動/華族に棚上げされた藩主/殿様と公家の退場/財源確保の必要性/全国一律の税率/元草莽志士が目指したユートピア/英仏の絶対王政/エンクロージャーと資本の原始的蓄積/武士に対するサラリー廃止/プロレタリアートになった没落士族/神田と陸奥の提案/採用された「法定地価主義」/農民に任せた「丈量」/村単位で決められた土地価格/強まる農民の抵抗/地租改正事業を救ったインフレ/「松方デフレ」が進めた「農民層の分離」/土地は財産か? それとも風景か?
第二回 神風連の乱
神風連の特異性/林桜園の思想/「神事専念」/勤王党と敬神党/士族社会の動向/政党ではない学校党/太田黒伴雄という人物/軽輩の党派/「認識の逆倒」と上士批判/「古代神政ユートピア」は近代の産物/敬神党と勤王党の分裂/身分の違いで分かれた二つの塾/上士と軽輩が覚えた違和感/水戸学もモダンな政治思想/「うけひ」という神意/守られるべき「信仰」の「風儀」/不発に終わった学校党との共闘/「うけひ」の戦いの敗北
第三回 戦前の天皇制
戦後の天皇/戦後天皇制研究と丸山学派/欽定憲法の制定/明治憲法の二面性/天皇の地位と民の権利/制限選挙と二院制/天皇に直属する統帥権/中江兆民の「苦笑」/「君民共治」という主権在民論/日清・日露の勝利で雰囲気激変/上層部の思惑と国民統合/主君の「乗り換え」/熱海の小学校の授業風景/祠祭者から無力な存在へ/カイゼル髭の明治天皇/「皇室儀礼」の浅い歴史/「お飾り」だが「善の権化」
第四回 大アジア主義
大陸進出した民間団体/朝鮮問題で高まった国権論/「壬午軍乱」と日本公使館襲撃/「甲申事変」失敗と金玉均の亡命/清国艦隊長崎寄港とノルマントン号事件/福沢諭吉による「脱亜論」の真意/呉越同舟の上海「東洋学館」/荒尾精が育てた「大陸浪人」/樽井藤吉の『大東合邦論』/斬新な「対等合併」構想/アジアから世界への「超国籍的連帯」/宮崎弥蔵の中国発「革命輸出」構想/「後進」を転化して「革命」へ
第五回 日露戦争
「本当の明治」/三国干渉/国民の合言葉になった「臥薪嘗胆」/開戦論と反戦論/対露交渉と日英同盟/開戦と海軍の奮闘/陸軍の「肉弾」戦/「またも逃げたかクロパトキン」/完勝だった日本海海戦/賠償金ゼロのポーツマス条約/好戦的だったのは「一般国民」/最大の獲得利権「満洲」/乃木大将が率いた「スパルタの民」/「公」と「私」の融合/遺憾なく発揮された愛国心/北一輝の指摘/天皇の前での平等/「忠君愛国」に隠された感情/「明治は良い時代だった」/官業払下げで成長したブルジョワジー/紡績業から第二次産業革命へ/「資本主義国」という現実
第六回 頭山満
頭山満のイメージと近年の評価/乱暴者が集う高場乱塾/矯志社と投獄/玄洋社と条約改正/軍事予算の削減/選挙干渉事件/政界引退後/アジアの革命家支援/「浪人」という人間類型/志士と権力/石光坊やに加屋霽堅が説いた志士の精神/「憂国志士」の歌/日清・日露戦争の影響/黒龍会の台頭/内田良平という男/頭山の本当の魅力はどこにあるのか?/生まれつきの自然児/新橋のお茶屋に三年逗留/中江兆民の頭山評/東洋的ナチュラリズム/「国柱的存在」となった悲劇/言語化されない部分
明治時代史年表
書誌情報
| 読み仮名 | ワタシノメイジジダイシ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮選書 |
| 装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 256ページ |
| ISBN | 978-4-10-603940-9 |
| C-CODE | 0321 |
| ジャンル | 歴史読み物、歴史・地理・旅行記、日本史 |
| 定価 | 1,815円 |
| 電子書籍 価格 | 1,815円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/01/21 |
書評
歴史的人物への理解を深める人間類型と逸話
渡辺京二の『逝きし世の面影』に心奪われた人は多かった。幕末から明治にかけて日本を訪問した西洋人の膨大な量の滞在記、手紙、論文を引用しながら、西洋との接触とそれに伴う近代化によって失われてしまう文明の姿が示された。抑圧と貧困の時代、として認識されていたこの時代を西洋人の目を通して、描きなおしたことに、すっかり“やられて”しまった、というわけだ。しっかりは読んでいないけれど、“やられた”ふりをする人もある。あるいは、ふりすらしないで、渡辺の引用した文献を自らがみつけてきたように展開する文章に会うこともあった。ともあれ、彼が六十八歳の時に世に問うた『逝きし世の面影』の影響力は、間違いなく、少なからぬ人たちに及んだ。
この本は、そんな渡辺の明治時代史、である。渡辺京二にかかると、歴史は、なぜこんなに興味深く、わかりやすく、また、わくわくしつつ、さらに考え込まされるものになるのか。語りかけられているような生き生きとした文体が立ち現れているが、それは当然で、これは、実際に「語り」を起こしたものである。1980年代初頭、熊本市真宗寺で連続講義として、渡辺が有志に対して語っていた「日本近代史講義」の録音が元になっている。当時、渡辺は五十歳を出たところで、すでに『評伝 宮崎滔天』や『北一輝』、また『神風連とその時代』などの名著を世に問うていたが、『逝きし世の面影』以降、つまりは彼の晩年ほどには、その名は知られていなかった。後年、無名に埋没せよ、と語り、生涯書生、を貫いた渡辺京二に、どれほど名前が知られているか、は、いささかの問題にもならなかったであろう。自ら学び、それを近しい人たちにとんでもないレベルで理路整然と説明し、語りかけていたのである。わたしは二十年間大学教員をしていたが、このようなレベルの語りを聞くと、自らの教師としての至らなさにうなだれるばかりだ。講義をする人の、ある意味、お手本でもあるような、理解しやすい語りが展開される。
歴史、というものは客観的な事実の羅列ではあり得ない。そこにいたひとりひとりがその時代背景の中で、どう生きていたか、何を感じていたか、どういう人だったか、ということを当人の気持ちになってみるのが一番良い、と渡辺はいう。深く記録を読み込むことによって、一見無味乾燥な文章の中にも、その人の人となりというものが、文章という決まった枠におさまりきれないかのように、立ち上がる。
人間類型と逸話、が、切り口である。歴史を理解するうえで手がかりにしたいのは、事件の流れだけでなく、まずは、その当時に生きていた人間類型だ、というのだ。ヒューマン・ネイチャーといわれるような人間の本質的な感情とか傾向とかは、時代によって変わるところはないし、このように功成り名遂げた、という表面上のことからだけでは、人間を理解できない。そこから一歩進み、その人の思想が入ってくることによって形成されるその人の考え方が組み合わさったものこそが人間類型であり、それは歴史的なものなのだ、という。さらに、その人の逸話、つまりはエピソードにふれることでその人への理解がふかまってゆく。
たとえば頭山満、という人間を「浪人」という人間類型から考え、さらに彼の豊富な逸話から、この人の好ましさを描き上げていくのだが、しかし渡辺は、頭山に近づきながら、さらに言語化されない部分にこそ課題があると捉える。人間の心のあり方は、思想やイデオロギーとなって言語化されるが、それらは本人によってすでに誤訳されている、その言語化されない部分に近づくところに本来の「時代の問題」があるのだという。それは果てしなく難しい。難しいが、そこに近づこうとすることが、彼の、先に逝った人々への態度、つまりは歴史への態度だったのだ。
当時の人間はそのときどう感じていたのか、どう考えていたのか、言語化されている部分からさらに言語化されていない部分に近づき、その言語化されていない部分をつなぎあわせるようにしてわたしたちに提示する。最終的なありようではなく、彼自身の試論として。そのようにして論じられる地租改正や、日露戦争に、まさにこのときに提起され、解決されずにいることが、現代に生きる私たちに直接関わり合っていることを知る。
渡辺京二が亡くなったくらいでは、渡辺京二から目を離すことはできないことに、あらためて気付かされる一冊である。
(みさご・ちづる 文筆家、津田塾大学名誉教授)
著者プロフィール
渡辺京二
ワタナベ・キョウジ
(1930-2022)1930年京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校文科を経て、法政大学社会学部卒業。日本近代史家。主な著書に『北一輝』(毎日出版文化賞)、『逝きし世の面影』(和辻哲郎文化賞)、『日本近世の起源』、『江戸という幻景』、『黒船前夜』(大佛次郎賞)、『未踏の野を過ぎて』、『もうひとつのこの世』、『万象の訪れ』、『幻影の明治』、『無名の人生』、『日本詩歌思出草』、『バテレンの世紀』(読売文学賞)、『小さきものの近代』他。2022年没。



































