
地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相―
748円(税込)
発売日:2008/07/17
- 新書
- 電子書籍あり
米軍より恐ろしかったのは餓死だった。85歳の元兵士が暴く戦争の『醜いはらわた』。
敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった――。昭和十七年十一月、日本軍が駐留するニューギニア島に連合軍の侵攻が開始される。西へ退却する兵士たちを待っていたのは、魔境と呼ばれる熱帯雨林だった。幾度となく発症するマラリア、友軍の死体が折り重なる山道、クモまで口にする飢餓、先住民の恨みと襲撃、そしてさらなる転進命令……。「見捨てられた戦線」の真実をいま描き出す。
書誌情報
読み仮名 | ジゴクノニホンヘイニューギニアセンセンノシンソウ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮新書 |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-610273-8 |
C-CODE | 0221 |
整理番号 | 273 |
ジャンル | ノンフィクション、日本史 |
定価 | 748円 |
電子書籍 価格 | 660円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/11/25 |
蘊蓄倉庫
著者の飯田進さんは、昭和18年2月に海軍民政府の資源調査隊員としてニューギニア島に上陸しました。資源調査というくらいですから、非戦闘員だったのです。半年ほどは3千メートルの高山に登るなどの調査に励む日々でしたが、戦況が厳しくなって陸軍に配属になり、作戦に参加しました。戦後、飯田さんは作戦中の行為でBC級戦犯容疑に問われ、重労働20年という刑を受けています。昭和31年、33歳でスガモ・プリズンを出るまでの長い戦後のなかで、様々な階級の将校に話を聞いたり、警察予備隊創設に抗議をする運動や『私は貝になりたい』『壁あつき部屋 巣鴨BC級戦犯の人生記』などの手記を刊行したりする動きに関わったといいます。戦争を様々な立場から経験したことが、いま本書を世に問うことに繋がりました。
担当編集者のひとこと
自分では聞けなかったこと
「スマトラでは、後から来る兵隊のために、一日中ジャングルを切り開いて道を作っていた。食べものも沢山あって、日本にいるより良かった」
私事になりますが、亡くなった祖父がこう言っていたことを覚えています。その後で決まって、私に向かって「きっとそんな易しいことじゃなかったよね」という母の言葉もセットです。本当はどうだったの、と祖父に聞くことができないまま、思いだけが胸に残るままになっていました。
ある会で著者の飯田進さんの講演が行われた際に、他の参加者からも同じような声が挙がりました。肉親が経験した戦争の話を、聞いたことのない人は意外なほど多かったのです。
飯田さんも、戦後すぐから戦争について語ってきたわけではありません。むしろ、家族にこそ簡単に話せなかったのだと言います。たった六十数年前の話が子どもや孫に伝わらないまま忘れ去られようとしているのはなぜでしょうか。その理由の一端が、本書の最後に書いてあります。
2008/07/25
著者プロフィール
飯田進
イイダ・ススム
1923(大正12)年京都府生まれ。昭和18年2月、海軍民政府職員としてニューギニア島へ上陸。終戦後、BC級戦犯として重労働二十年の刑を受ける。昭和25年スガモ・プリズンに送還。現在(2008年7月)、社会福祉法人「新生会」と同「青い鳥」の理事長。著書に『魂鎮への道』など。