ホーム > 書籍詳細:さよなら自己責任―生きづらさの処方箋―

誰かを責めるのやめません? 相互監視と同調圧力が増すばかりの現代社会を生き抜く12の問答。

さよなら自己責任―生きづらさの処方箋―

西きょうじ/著

821円(税込)

本の仕様

発売日:2018/12/15

読み仮名 サヨナラジコセキニンイキヅラサノショホウセン
シリーズ名 新潮新書
装幀 新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 223ページ
ISBN 978-4-10-610792-4
C-CODE 0210
整理番号 792
ジャンル 倫理学・道徳、倫理学・道徳
定価 821円
電子書籍 価格 821円
電子書籍 配信開始日 2018/12/21

そもそも、成功は努力の結果なのか? そもそも、「マトモな人」ばかりの世の中は素晴らしいのか? そもそも、ぼくたちの居場所はどこにあるのか? そもそも、生きることとは――? 博覧強記と論理の鮮やかさ、思考の深さで20万人を超す学生たちを虜にしてきたカリスマ予備校講師の著者が答える12の「そもそも」。相互監視と同調圧力が増すばかりの“生きづらい”現代社会で、肩の力を抜いて生きられる思考法がここに。

著者プロフィール

西きょうじ ニシ・キョウジ

1963(昭和38)年東京都生まれ。東進ハイスクール講師。NPO法人ユメソダテ理事。30年以上、予備校で英語を教え、そのカリスマ性と知的好奇心を煽る雑談から生徒数は述べ20万人超。『ポレポレ』シリーズなど参考書のベストセラー多数、一般書の著書も数多い。

目次

はじめに

I 世の中について考える
 第1章 そもそも、成功は努力の結果なのか?
 第2章 そもそも、「マトモな人」ばかりの世の中は素晴らしいのか?
 第3章 そもそも、ぼくたちの居場所はどこにあるのか?
 第4章 そもそも、宗教はぼくたちに何をしてくれるのか?

II 言葉と身体について考える
 第5章 そもそも、AI時代に英語を学ぶ必要はあるのか?
 第6章 そもそも、本から得られるものなんてあるのか?
 第7章 そもそも、音声のイメージは世界共通なのか?
 第8章 そもそも、心は存在しているのか?

III 生き方について考える
 第9章 そもそも、ぼくたちはあの震災を本当に知っているのか?
 第10章 そもそも、人は能動的であり得るのか?
 第11章 そもそも、なろうと思って幸福になれるのか?
 第12章 そもそも、生きることは学び続けることなのだ

おわりに
主要参考文献

イベント/書店情報

担当編集者のひとこと

ラッキーとアンラッキーと自己責任

 例えば受験でものすごく簡単な問題をミスして不合格、「あのケアレスミスがなければ……」「アンラッキーだ……」と悔やむ生徒がいたら、かつての西きょうじ“先生”ならこう言ったでしょう(西さんには予備校教師として30年以上のキャリアがあります)。
「ラッキーに合格することはあっても、アンラッキーで不合格にはならない」と。
 なぜなら、7+9=? という問いの答えを間違うことはない。初めから、受験に出る問題を、そんなレベルに思えるくらい勉強しておけばよかったのだと。勉強不足は自己責任である、と。
 ところがその考えが揺らいだのが阪神・淡路の大震災の時だったと西さんはいいます。地震が起きたのはセンター試験の2日後。本番までほとんど勉強できずに試験に臨んだ生徒も多かったそうです。
 震災という大きな例を持ち出すまでもなく、個々人にはその個人ならではの特有の状況があり、そこには酌むべき事情もあるかもしれない。
 そう考えた時、ではそもそも成功とはいったい何なのか? 「マトモ」なことを言う人ばかりで社会は十全に機能するのか? なろうと思って人は幸福になれるのか? といった問いへと思考を発展させるのは西さんならでは。現代を覆う相互監視と同調圧力の波から、いかにして自由になれるか? 西さんがもがきながら思索した結果が『さよなら自己責任』という一冊にまとまったのだと思っています。

2018/12/25

はじめに

 西きょうじといいます。大学受験の予備校で英語を教え始めてもう30年以上になります。
 その間、受験に失敗して浪人した生徒たちには、ラッキーに合格することはあってもアンラッキーで不合格にはならない、不合格をアンラッキーだというようでは来年の合格は難しい、と言ってきました。おそらく適切な指導だと考えています。
 たとえば、7+9をアンラッキーに間違えてしまうでしょうか。緊張が高まった瞬間であれ、おしっこがもれそうな局面であれ、アンラッキーにも15と答えてしまうことはないでしょう。要は受験に出題される問題が7+9に思えるくらいに勉強すればいいのです。当然のことですがプロの予備校講師がセンター試験レベルの問題でミスをすることなどありえません。しかも入試では満点は求められません。ほとんどの試験では8割正解すれば十分合格できます。こう考えると、受験に失敗するのはただ勉強が足りないからであって、運の悪さのせいではないとわかってもらえるでしょう。きちんと自分の勉強不足を認めて、自分の勉強の仕方の欠点を直視することから新たな挑戦を始める必要があるのです。つまり、受験の合否は自己責任だというわけです。
 これが原則的なスタンスなのですが、長く予備校講師をやっている中では様々な生徒の様々な状況に出くわしてきました。自己責任だと言い切れないのではないかというケースも多々ありました。
 たとえば、阪神・淡路大震災が起こった1995年のことです。センター試験の2日後、1月17日の朝、私は池袋の校舎にいて1時間目の授業前でしたが、テレビに映し出された惨事に青ざめました。実家が神戸だったので、両親も弟も親族も友人も神戸で生活しています。私の講義は衛星によって全国に流されていたので、自分の講義を受けている神戸校舎の生徒も多数います。数日後に、実家と祖父母の家が崩壊したと知りましたが、受験直前期に帰るわけにもいかず、私は講義を続けました。神戸にはセンター試験後、受験まで1日しか勉強できなかったという生徒もたくさんいました。
 2月半ばに神戸の生徒から私あてに手紙が届きました。その手紙には、震災で家がなくなったこと、テキストや勉強道具もなくなったこと、避難所で生活していること、若いから人の世話をせざるを得ず、夜は消灯されて勉強する時間もないことが書かれていました。手紙の最後に、「でも受験に落ちても震災のせいにはしない。僕は言い訳なんかしない。」とその部分だけとても乱雑な文字で書きなぐっていました。感情がそのまま噴出したような文字でした。心を動かされた私は、その手紙を被災していない生徒たちの前で読み上げました。勉強しようと思えばできる環境にいることが偶然に過ぎないと生徒たちは実感し、言い訳ばかり探している自分に、また彼のために何もしてあげられない自分に、怒りに近い感情を抱いていたようでした。また彼らの勉強姿勢にも変化が見られました。彼の殴り書きが彼の意図せぬところで人の力になったのです。
 今思い起こしてみても、「言い訳はしない」宣言を書き送ってきた彼は素晴らしいと思います。しかし、もし、誰かが「震災のせいにするな、そんなのは言い訳に過ぎない。失敗はお前の自己責任だ」と彼に、あるいは被災した人たちに言うのならば、それは厳しすぎる言い方なのではないでしょうか。
 そのほかにも、受験直前に母親が亡くなった生徒、父親が破産した生徒、交通事故にあった生徒もいました。経済的事情で受験を途中であきらめた生徒もいました。実際のところ、そもそもの学力不足でさえ、家庭環境による要素も大きいでしょう。もちろん私自身は、立場上、様々な逆境に打ち勝って前へ進むように生徒に促しますが、本心では実際にはそう簡単にはいかない場合もあるなあと感じています。
 現在の社会においては、そういう迷い、というか、割り切れない部分を切り捨てた言説が声高に語られています。しかし、もう少し中途半端であってもいいのではないか、と私は思うのです。うまく割り切れない部分、ノイズとみなされがちな部分があってこそ、世の中は豊かなのであり、そういう部分を受け入れる余裕があって初めて社会は様々な人が生きやすいものになるはずです。「いい加減」というのは人を責める言葉として使われていますが、これをgoodな加減というように考えれば、社会にはもっと「いい加減さ」が必要なのではないか。
 過度に自己責任を問う社会は他人を監視し尋問する社会であり、他人を責めることで同じ社会の中で関係しあっているはずの自分の責任をゼロにしようとしているのかもしれません。相互監視のもと、失敗した者を断罪しようとする社会、これは生きづらい社会だといえるでしょう。失敗したら責任を取れ、というよりちょっとくらい失敗したってなんとかなるよ、というメッセージを伝えることも今の社会には必要だと思うのです(責任逃ればかりしている人たちも確かにいますし、責任を全く問わないような社会は維持されえないということは言うまでもありませんが……)。
 本書では、成功にも失敗にも偶然の要因が関与していること、変な人もいた方が社会は健全だということ、自分の居場所をどう見つけるかといったことから、今学ぶべきことは何なのか、そもそも学ぶとはどういうことなのか、多くの人が信じ込んでいる完全な主体性などありうるのか、といったことまで扱いました。それぞれ日常生活に即したことでありながら、見落とされやすい部分だと思います。
 現代に生きる私たちは、日々、仕事に追われ、自分の周囲のことしか見えなくなりがちです。また、視野が狭まるために、いらいらや怒りに支配されやすくなり、悩みごとから抜け出せなくなりがちです。急速に変化していく時代だからこそ、立ち止まることには勇気が必要ですが、あえて立ち止まってみて、視野を広げ、想像力をもって自分の立っている場所を見直してみる時間も必要でしょう。そうすることで新たな可能性を見出し、自らを解放することになれば、社会も少しは住みやすい場所になるのではないか。本書が少しでもそのきっかけになることを願っています。

西きょうじ

蘊蓄倉庫

自己責任って?

 自己責任という言葉が「流行」したのは例えば2004年のイラクでの日本人人質事件です。イラク戦争の「終結宣言」後、現地で取材を続けていたジャーナリストら3人の日本人が武装勢力に拉致された事件です。「危険な地域であることはあらかじめわかっていたにもかかわらず、人質となってしまったのならそれは自己責任ではないか」というような使い方をされました。反対語は「連帯責任」。さて、現代を生きるにあたっては、すべての結果は「個人」に帰せられるべきなのか? 本書がその答えのひとつを示しています。

掲載:2018年12月25日

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