ホーム > 書籍詳細:210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ―ペット探偵の奮闘記―

210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ―ペット探偵の奮闘記―

藤原博史/著

792円(税込)

発売日:2020/02/15

  • 新書
  • 電子書籍あり

「この〈探偵物語〉は、こころに響く。」糸井重里さん推薦!!

引っ越しの翌日に、茶トラと三毛の兄妹ネコが消えた。見知らぬ土地で2匹はどこへ? ペット探偵の著者は、依頼を受けて捜索を始める。足取りがつかめないまま季節は遷り、投函した迷子チラシは数千枚に。そこへ入った目撃情報、そして行方不明から210日目に奇跡は起きた――。ペットと家族をめぐる感動の実話7つを紹介、生き物を愛する全ての人に役立つ「万が一のための備え」と「捜索ノウハウ」も惜しみなく明かす奮闘記。

目次
はじめに
第1章 空き巣事件に遭った20歳のネコ
聞き取れない電話/セコムをかけ忘れて/ネコ専用のお部屋/室内猫の「脱走パターン」/「そのネコを見ましたよ」/縁の下で光った目/やさしい手助けと電話で
第2章 引っ越し翌日に消えた兄妹ネコ
森に棲むネコ/敷地から外に向かって呼んでみる/引っ越しした翌日に/ネコになって現場を見る/必ず地図とチラシを持って/イヌは「線を押さえる」、ネコは「面をつぶす」/10件もの目撃情報/とんでもない捜索料金/「この子ですか? 動画があります」/待っていた奥さんの一言/奇跡は続く/連れてきた責任がある
第3章 留守中「いなくなった」ヨークシャー・テリア
テレビ局の密着取材/イヌは潜まず、どんどん離れていく/まずはいつもの散歩コースを/運ばれたか、隠されたか/20キロ先からの電話/身近な人によるペット誘拐/「手放してもらう」ための情報戦
第4章 天井裏に飛び込んだネコ
大事なネコが天井裏へ/仕掛けた水と餌は/食い違う捜索方針/臆病で警戒心が強いバニラ/普段与えない「から揚げ」を/2週間も飲まず食わず?/床に染みた血だまり/ついに見つかったバニラ/ぴったりしがみついて離れない/「もう家族を失いたくない」
第5章 「ペット探偵」への道
ようやく入った新スタッフ/ペット探偵の難しさ/本職は人間の探偵/生き物が友だちだった/「ヒロちゃんと遊んだらダメよ」/路上生活する中学生/「あいつを家に連れてこい」/フランス料理のウェイターに/沖縄のクルマエビ漁師に/生き物たちに教わった知恵/ペットレスキュー始動/川に落ちてしまったネコ/この仕事をするには冷たい人間/暗闇の中で見える光
第6章 3度いなくなったロシアンブルー
闘病する妻を支えてくれた/「どうかソラを見つけてくださいね」/去勢していない場合の行動パターン/このネコは普通じゃないな/パーキングエリアから消えた/高速道路の下のトンネル/駅をふらふら歩くネコ/「またいなくなったんですよ」/「本当はお返ししたくないんですよ」
第7章 災害で置き去りになるペットたち
ペットにも東日本大震災が/飼い主を待つイヌ/すさまじい形相のネコ/南相馬市からのレスキュー依頼/「私はカズを置いて行けない」/ペットとの「同行避難」/ペットのための防災対策を/家族全員で「避難訓練」を
第8章 マンション6階から逃げたネコ
「主人を探しに行ったに違いありません」/マンション内で確認すべきポイント/「ネコちゃん、見たんですよ」/予想もしない急展開/「迷子捜しマニュアルブック」の発表/畑に現れた黒猫/「こんな情報が来たんです」/大通りを2本渡った先に/経験に学びながら
おわりに

書誌情報

読み仮名 ニヒャクジュウニチブリニカエッテキタキセキノネコペットタンテイノフントウキ
シリーズ名 新潮新書
装幀 新潮社装幀室/デザイン
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 192ページ
ISBN 978-4-10-610850-1
C-CODE 0277
整理番号 850
ジャンル ノンフィクション
定価 792円
電子書籍 価格 792円
電子書籍 配信開始日 2020/02/21

『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ―ペット探偵の奮闘記―』試し読み

はじめに

 現場は20数センチのすき間でした。薄暗い、家と家との間に目を凝らすと、2メートルほど先に確かに子猫が見えます。黒っぽい背中に、耳。ということは、顔を下向きにして倒れているのでしょう。
「見えましたか? あの猫です。どうか、ここから出してあげてください」
 依頼者の女性が祈るように言います。女性はこの近くに住んでおり、ここで野良猫が子猫を産んだのに気がついたそうです。ただしばらくすると母猫は姿を消しました。取り残され、衰弱していく子猫を心配して、私にレスキューの電話依頼をしてきたのでした。
 すき間の手前側には、小さなプラスチックのカップがいくつも落ちていました。彼女が細い板に乗せてすべらせるようにして、柔らかい食べ物や水を届けようとしたそうです。しかしもう衰弱して口にする気力も無いそうです。
 これはもう一刻を争う事態でしょう。
 私は荷物を地面に置くと、すき間に右手を入れました。
「じゃあちょっと、やってみますね」
 そのまま肘、肩と入れてすき間へ進んでいきます。顔が入り、身体も横向きになんとか入りました。これは私の誇る数少ない得意技なのですが、驚かれるほど身体が柔らかいのです。顔の左右が入るすき間なら、どこにでも入っていけます。
 とはいえもう振り向くこともできず、じわじわと進んでいくだけです。配管があってさらに狭い箇所もありますが、ネコのところへたどり着き、手を伸ばしてつかみ上げました。
 ネコは動きません。でも体温があり、ちゃんと生きていました。
 よし、という思いでそのまま後ろに戻っていき、もうすぐ出られるという時に気がつきました。
「このままじゃ、ダメだ」
 夢中になっていて気づかなかったのですが、じつはすき間の部分だけ、通りからかなり低くなっていました。通りから見ると、私は肩の上が出ているだけです。ここをどうやって登ったらいいのか、体勢を整えるためのスペースも、つかめる突起物もありません。でも悩む暇もない。
 まずは子猫を女性にそっと手渡します。彼女の手のひらに収まる小さな体です。すぐに温めるため、家の中へと保護されていきます。
 残された私は何とか、餌を与えるための板を足掛かりにすると、横向きで壁をよじ登り始めました。そして数分後に、日の当たる通りに戻っていました。
 すぐに子猫のもとに向かいます。
「ありがとうございます。すぐに、病院へ連れて行きます」
 笑顔を見せた女性は、きっと何日間もネコのことを気にかけていたに違いありません。
 じつのところ、私も神奈川県からここ京都市の住宅街へ来るまで「行って見てみないと、役に立てるかどうかは分からない」と思っていました。何とか助け出すことができたことにほっとしました。

 初めまして、ペット探偵の藤原と申します。迷子になったペットを捜すペットレスキュー(神奈川県藤沢市)を1997年に設立し、20年以上活動してきました。
 いまお話ししたような「近所のネコが大変」という依頼もありますが、9割以上は「飼っているペットが逃げてしまった」というご家族からのレスキュー要請です。
 すぐに探しに行きたいけれどその体力がないという方もいれば、探しているが見つからない、何をすればよいか教えてほしいという方も大勢います。また依頼されるのは主にネコやイヌのほか、フェレットやプレーリードッグ、ウサギ、モモンガ、ヘビ、トカゲ、フクロウ、インコ、昆虫などありとあらゆるペットです。
 行方不明になった現場は依頼者の自宅というケースが最も多いのですが、なかには、家族でキャンプに出掛けた先の山奥ということもありました。
 つまり呼ばれたら、北海道から沖縄まで、できる限りお引き受けするのが私のモットーなのですが、ひとつだけ「絶対にしない」と決めていることがあります。それは「なぜ逃がしてしまったんですか」と依頼者を責めることです。
 私が駆けつけると、飼い主さんはすでに自責の念と捜索の疲れから心身ともにぼろぼろになっていることが少なくありません。ペットの安否が気になって気が気でなく、眠れない方もいます。
 全ての飼い主さんに「行方不明にしないための対策」を取って頂きたいのは言うまでもありませんが、どんなに用心していても、思わぬ事態からペットがいなくなってしまうことはあり得ます。またこれは事件ではないか、と思える事態に遭遇することもありました。
 これまで私が受けてきた依頼は約3000件になり、およそ7割のペットを依頼者のもとにお戻ししてきました。ネコだけに絞ると可能性は8割ほどに上がります。
 本書では、様々な状況から「行方不明になってしまった」ペットが家族と再会するまでの7つの物語をみなさんにお届けしたいと思います。さっそく、思いもよらない事件から行方不明になったネコのお話から始めましょう。

*本書に登場する名前や地名は、プライバシー保護の観点から一部改変しています。どうぞご理解ください。

第8章
マンション6階から逃げたネコ

「主人を探しに行ったに違いありません」

「川崎市の柳田と申します。うちのネコが急に出て行って、戻らないんです。主人がかわいがってきたネコで……きっと主人を探しに行ったに違いありません。
 じつは、主人は1週間前に亡くなりました。急に自宅のマンションで……思ってもみませんでした。通夜や葬儀を済ませた後、家族の出入りが続いていたときに、自宅のドアからふっとマロンが出て行ってしまったんです」
 かかってきた電話の話を聞きながら、それは大変なことでしたねと何度もつぶやいてしまいます。
 ただ、「主人を探しに行った」とはどういうことだろうか。気丈に、丁寧に説明してくれる柳田さんの力になれたらと、私はマンションへ向かうことにしました。
 真新しい祭壇がおかれたリビングで、詳しい状況を聞いていきます。
 黒白の模様がはっきりした日本猫のマロンは、子猫のころからご主人が心を込めて育ててきました。室内で飼われており、短時間だけベランダを通じてお隣のお宅へ遊びに行くことがあったといいます。そうすると、行方不明から数日たってもまだ近くにいると思えます。
 さっそくマンション内から捜索を始めました。

マンション内で確認すべきポイント

 6階にある柳田さんの自宅ドアから出ると、外廊下です。廊下の片側に沿っていくつもドアが並んでおり、エレベーターは1基。廊下の奥には階段がありました。ここは中規模のファミリータイプのマンションです
 ともすると、「ペットならエレベーターではなく、階段から降りただろう」と決めつけて動き始めてしまいがちですが、マンションからいなくなった場合は、一戸建ての場合とはまた違った探し方が必要になります。まずはマンション内です。これまでの経験から、突然外に出たネコが潜んでいる可能性の高い場所がふたつあります。ひとつめがガスメーターボックスの中です。
 ボックスにも種類がありますが、下にあるすき間から入り込んで、ガスメーターの上に座っていることがあるのです。中は暗くて、雨や風、人の目を避けられることから安心できるのでしょう。
 ですからガスメーターの確認は、下から覗くだけでは足りません。必ずひとつずつドアを開けて中を見ていきます。足跡が残っていないかも同時にチェックします。ここでは各部屋の脇に設置されていたので、管理人さんの立ち会いのもとひとつずつ見せてもらいました。
 もうひとつは、1階部分のお宅のベランダと地面の間です。そこには物が詰め込まれていたりするのですが、ここもネコが隠れやすいのです。1階部分が住人の庭になっているマンションの場合は、インターフォンで事情を話して見せてもらうようにします。
 このようにマンション内でかなり動くことになるため、まずは管理人さんへの挨拶が欠かせません。幸い、柳田さんのマンションの管理人さんは快く協力してくれました。またこの時はお願いしませんでしたが、場合によっては、監視カメラの映像が捜索に役立つことがあるかもしれません。
 しかしマロンの姿も痕跡もありませんでした。

「ネコちゃん、見たんですよ」

 そこでチラシを作り、柳田さんと一緒に近隣のマンションや一戸建てをひとつひとつ訪ねていきました。懐中電灯で照らしながら夜まで探してみても、この日は何の情報もなかったのです。
 次の日、女性の声で電話が入りました。
「チラシのネコちゃん、見たんですよ。〇〇の△丁目に学習塾がありまして、息子が通っています。そこに迎えに行くときに、黒と白のかわいいネコちゃんが車にひかれて亡くなっているのを見ました。本当に残念ですが、お知らせだけでもと思って」
 待ってくださいね、と言いながら地図で確認すると、女性の言う学習塾は柳田さんが住むマンションからわずか100メートルほどの距離にありました。そして日付も、行方不明になった直後だったのです。
 ともかく柳田さんに情報を伝えます。
「いや、そんな……。それは、うちのネコかどうか分からないですし……」
 ショックを受けるのも無理はありません。ただ確認をする意味で、柳田さんには近くの清掃局に電話を入れてもらうことにしました。こうした事故の場合、ペットを清掃局が引き取って処分していることが多々あるからです。
 小一時間後に電話をくれた柳田さんの声は沈み込んでいました。
「確かにその日、ネコが1匹運ばれてきたそうです。布が掛けてあったので、毛色は分かりませんということでした」
 清掃局が引き受けた場合、記録に残してくれるところとそうでないところがあります。この場合は記録はありませんでしたが、日付が近かったので、係の方が覚えていてくれたということでした。

 もしかして「マロンがいます」という別の電話が入らないだろうか。
 祈る思いでしたが、電話は鳴りません。この翌日に2件受けましたが、いずれも「前に、このネコがひかれていたのを見たと思います」という事故の目撃談だったのです。
「きっとあれがマロンだったんですね。でも見つかったことは、よかったことだと思います」
 そう言う柳田さんに、私はいたたまれない思いでした。特徴も、場所も、日付もぴったり合っています。彼女が言っていたように「マロンが亡くなったご主人を探しに出た」のかは分かりませんが、彼女は家族を立て続けに失うことになってしまいました。こんなに悲しいことがあるだろうか。その思いでたまらなかったのです。
 何もできないけれどもせめて、という思いで、私はお花を供えに行きました。マンションには柳田さんのお母さんが駆けつけてきていました。

予想もしない急展開

 その2週間後、携帯にメッセージが入りました。あの柳田さんです。

「うちのマロンちゃんが無事に帰ってきました。よかった!帰ってきてよかったです!」

 ええっ! どういうこと? わけの分からないまま、私はすぐに電話を入れました。これまでに聞いたことがないような明るい声の彼女が出ました。
「さっき帰宅したら、ドアの下にメモが差し込まれていたんです。ベランダ伝いにマロンが遊びに行っていた隣の方からだったんですが、『マロンちゃんをいま駐車場で見ましたよ』って。それで慌てて降りていきました。
 そして名前を呼んだら、車のかげからマロンが現れたんです。そして寄ってきてくれて、一緒に帰ってきたんです」
 ああ良かった、本当に良かった――‼
 と同時に、こんなことがあるのかという感激でいっぱいになりました。学習塾の前で亡くなったネコは、本当にたまたま、似たような日本猫だったのでしょう。

 外の世界を知らないマロンが、1カ月も生き抜いて戻ってくるなんて。きっと身の危険を感じるような過酷な体験もしてきたに違いありません。
 マロンは少し痩せていますが、元気そうでケガもないとのこと。もしかしたら、本当にご主人を探しに出て行ったのかもしれません。そしてもしかしたら、亡くなったご主人もマロンが無事に家に帰れるようにと見守っていてくれたような気もします。
 ネコをはじめとして、ペットは飼い主の顔色をつねに読んでいるものです。驚くほど愛情深い一面もありますから、マロンなりにご主人を探したあとは、奥さんのことを心配して何とか戻ってきたのかもしれません。
 とはいえ実際のところは、あそこにいたのかもしれないという思いもよぎります。マンション周辺の場所はすべて確認しましたが、一カ所だけ怪しいなというところが残っていたのです。近隣にある大きな個人宅でした。
 訪ねたところ「ネコはいないよー」と言われて、中を見せてはもらえなかったのですが、もしかしたらあの広大な庭に潜んでいたのかもしれません。またもしかすると倉庫などに閉じ込められていたかもしれません。特に台風や雪の前には、いつも開けている倉庫や駐車場が閉められてしまい、そのままネコなどが出られなくなることがあるのです。
 とはいえマロンが戻ってきて本当によかった。もちろん柳田さんの再会の喜びには及びませんが、私もその晩は喜びに浸って過ごすことができました。

「迷子捜しマニュアルブック」の発表

「うちの子を探しています、何かアドバイスはありませんか」
「イヌを捜索して1年、できることはすべてやりましたが見つかりません」
 講演が終わると、参加者が次々に席を立って私に語りかけてきました。皆さんそれぞれに事情も心配事もあるようです。どの声にも必死さがこもっていました。
 2019年10月、私は「株式会社ほぼ日」のオフィス会場にいました。糸井重里さんが運営する犬猫SNSアプリ「ドコノコ」が、待望の迷子捜しマニュアルブックを発表することになり、監修をお引き受けしたのです。
 講演会ではドコノコチームの田中政行さんと対談する形で、この「迷子猫捜しマニュアル」「迷子犬捜しマニュアル」に込めた思いをお話ししました。
 大事なペットがいなくなったら、どうするか。ネット検索すると様々なことが書いてありますが、ペットの種類や性格、環境によって探し方は大きく違ってきます。また慌ててはいけませんが、捜索はすぐに始めることが大切です。その際にはどこから、どんなことから始めればよいのか。自宅や敷地内のどこを確認すべきか。誰かに協力を頼むときはどうしたらいいか。本書でお話ししてきたこととも重なっていますが、「マニュアル」はより短時間に、捜索方法をつかんで頂けるはずです。
 その数日後に、電話が入ってきました。
「講演会でお話しした大宮と申します。世田谷区の自宅からいなくなったうちのネコの捜索を、藤原さんにお願いしたいと思って」
 すぐ女性の顔が浮かびました。
「うちのロックは黒猫で、保護主さんから譲り受けて一緒に暮らし始めました。身体は大きく、しっぽは長い雄です。病院に連れていくため、首輪とハーネスをつけて外出しようとしたところ、何か物音に驚いて逃げてしまったのです。
 夜な夜な探しましたが、姿がありません。また協力して下さる方がいて捜索もしっかりやったのですが、見つからないままなのです」
 首輪とハーネスがついたままなら、目撃情報があがりやすいでしょう。でもすでに行方不明になって1カ月、有力な情報がないということは、すでに外れてしまったのでしょうか。
 秋が深まり始めていました。私は大宮さんのお宅へ行き、これまで行ってきた捜索状況を整理したうえで、改めて計画を練ります。
 お宅の周囲は住宅地が広がっていました。特徴的なのは近くに、「環八」で知られる環状八号線、そして国道246号線があることです。どちらも片側3~4車線になる大きな通りで、その交通量は日本有数です。夜間にも決して車の途切れない大通りを、ネコが渡る可能性は低いはずです。
 まだ捜していない地域を洗い出し、潜伏場所のリストアップや聞き込み、チラシ投函などを行います。また数件あがったという目撃情報の場所を確認しに行ってその日の作業を終えました。
 その数日後、大宮さんへ電話が入ったのです。

畑に現れた黒猫

「ハーネスをつけた黒猫を、1週間前に畑で見ましたよ」
 ハーネスがついているならロックに間違いないと、大宮さんと一緒に駆けつけました。行ってみると、近くの住宅地の中にぽつんとある小さな畑です。ロ ックの姿はなかったので、捕獲器を設置させてもらい、大宮さんに見回りと管理をお願いしました。
 すると翌日、黒猫が入ったのです。
「捕獲器のなかで暴れた形跡はありましたが、私が見に行くと静かにしていました。口のにおいが生臭くて、ロックとは違うのかなと一瞬思いましたが、声をかけながら運ぶと、畑から自宅までとてもいい子にしていました。ロックが無事に戻ってきて、本当に嬉しいです」
 大宮さんの帰宅に少し遅れて、私もお邪魔して対面することになりました。
 大きな組み立て式ケージに移されたロックは、とても野性的な雰囲気を放っています。鼻筋がはっきり通った顔立ち、大柄な身体、長いしっぽ。黒猫の雄には珍しくない見た目なのですが、写真で確認した通りです。ただし目撃情報にもあった首輪とハーネスは取れてしまったのか、まるで見つかりませんでした。
「ありがとうございました!」と喜ぶ大宮さんの声を聞いて、これで一件落着とお宅を後にします。
 もちろん、「その後」があるなんて思いもしません。ですが本章の前半でお話ししたマロンのケースのように、この捜索にも驚愕の展開が待っていたのです。

「こんな情報が来たんです」

 2カ月ほどたった頃、大宮さんから電話が入りました。ロックはもうすっかり落ち着いて暮らしているはずなのに、何かあったのだろうか。
「藤原さん、こんな電話があったんです。西田さんという女性の方からで、しばらく前から庭にロックらしきネコがご飯を食べに来ていると。そのお宅に通っているヘルパーの男性がポスターを見て気づいたそうです。先日の保護の後、ロックのポスターはすべて剥がしてしまっていましたから、ちょっと驚きました。
 ポスターの写真によく似ているというその黒猫は痩せていますが、庭に用意してもらったご飯を食べて、回復しているそうです。夜になると、用意してもらった段ボール箱で寝ている、とも」
 まさかという思いです。
「それで、お宅にいる黒猫の様子はどうなんですか?」
「ずいぶん経ちましたがまったく心を開いてくれなくて、ハウスから出てきません。私にも馴れません。でもまさか、別のネコかもしれないとは、私も電話があるまで思わなかったのですが……。
 ですからすぐ、西田さんのお宅に行ったんです。とても親切なご夫婦で、庭には確かに非常によくロックに似たネコがいました。近づくと逃げてしまうのでじっくり確認はできませんが、いつも遊んでいるおもちゃを持って行って見せたら目の色が変わったんです。
 ロックを譲り受けたときから一緒だった、ボロボロの虫のおもちゃです。その子は近づいてきて、私の手からネコパンチで取ろうとしました。その時ツメを出さなかったので、この子がロックだと確信したんです」
 そこまで聞くと、思わず声が出ました。
「それがロックですね。保護しましょう。現場へ行きますよ」

「このネコがロック」の決め手になったおもちゃ

大通りを2本渡った、1キロ先のお宅に

 西田さんの家の場所を、地図で確認してみて驚きました。自宅から「環八」も国道246号も渡った方角で、1キロ先の住宅地なのです。
 行って見ると、静かな住宅地です。西田さんの奥さんにご挨拶をすると、快くリビングに通して下さいました。窓越しには植木のある庭が見えています。そして確かに、ロックによく似た黒猫がやってきていました。なぜだかぴんと来ました。あれがロックなのです。
 この庭にも奥さんにも馴れている様子なので、リビングに誘いこんで保護することもできるかもしれません。ただ事情があって、室内にネコを入れるのは避けてほしいということでした。するとやはり、捕獲器の出番ということになります。
 まだお昼前でしたが、ちょうどこの日はクリスマスイブでした。
 じっと見ていると、このまま行けそうだなという感触を抱きました。ただし捕獲器の設置は、私よりも大宮さんにお願いするのが良さそうです。ロックは大宮さんが庭に出ても逃げないというのです。
 リビングの窓に面して置いてあるウッドベンチの端に大宮さんが捕獲器を置く間、ロックはじっとその様子を見ていました。
 窓のカーテンに隠れながら見ていると、すぐにロックが近づいてきます。捕獲器のにおいを嗅ぎました。最初は入り口を、そして後ろ側に回って嗅ぎ、また入り口に回ってからすっと中に入りました。
 カシャーン!
 今度こそロックを保護した瞬間でした。
 すぐ後ろを振り返り、「入りましたよ」と大宮さんと奥さんに伝えます。ふたりとも驚いて目を見開いています。ここまでの道中、大宮さんには「作戦を練ったり、仕掛けを工夫するために、保護まで何日か掛かるかもしれない」とお話ししていたので、なおさらだったかもしれません。
 とはいえ、できるだけ早く保護するのがいいのですから、私もスペシャルな餌を捕獲器に仕掛けていました。数粒入りの小分けになっているカリカリに、大人気の「チャオ ちゅ~る」をかけ、さらにまたたびの粉をまぶしたもの。いわば“三種盛り”で、ネコにはものすごく良い香りがするのでしょう、ここ最近はこれで一発で入ってくれるのです。
 西田さんの奥さんに深くお礼をお伝えして、自宅へ戻ります。
 今度こそ本当のロック発見に至った立役者は、この西田さんの奥さんとヘルパーの男性でした。男性がもしポスターを見ていなかったら、もし電話をくれていなかったら、ロックはそのまま優しい西田さんの庭で生活していたでしょう。そして最初に保護した黒猫も「本当にロックかな」と時折思われつつも大宮さんと暮らしていったでしょう。

経験に学びながら

 ただ捕獲器の中にいる本物のロックもロックで、おとなしくしているわけではありません。自宅に戻るまでの車中、金網にぶつかって擦り傷を負うほどでした。口から少し血を流しているので、大宮さんは帰宅するとすぐに布でできた小屋に移します。閉じ込められているのがよほど嫌なのでしょう。
 するとボフッ、と小屋が持ち上がったのです。ロックが中で跳ねているので、小屋ごとジャンプしているのです。なかなかこんなことをやれるネコはいません。それを目の当たりにして思いました。ああ、こんなに身体能力のあるネコだったのか。それにしてもなぜ、普通なら避けるはずの大通りを2本も渡ったのだろうか。
 じつは、西田さんの庭には三毛猫の姿が見え隠れしていました。ロックは雌を追いかけて、あの方角を目指したのかもしれません。
 ロックのただならぬ雰囲気を警戒したのでしょう、間違って保護した黒猫は隠れてしまって出てきませんでした。
「こうやって比べてみるとようやく違いが分かりますが、よく似てますね」
「写真ではちょっと分かりませんね」
 大宮さんと話しながらも、私は最初の「失敗」について考えていました。自分の手で捜索して戻したと思ったら「違っていた」のは、この20年間で過去に1度だけです。よくあることではありませんが、もちろん本物を家族にお返しするのが私の仕事です。
 ペットは自分では「ただいま」とは言いません。ですから私と飼い主さんで「この子で間違いない」と判断することになります。ペットが戻ってきて、もし1週間ほど経っても様子が違っていたなら、別のネコやイヌの可能性があります。もしかすると思い当たるという読者の方もいらっしゃるかもしれません。
 また先にもお話ししましたが、「この子で間違いない」という証拠になるのは、手術などの明らかな特徴のほかは、首輪やマイクロチップになるでしょう。家族再会を叶えるために、ぜひ検討してほしいと思います。
 さてその後、ロックではないと分かった黒猫はどうなったでしょうか。しばらくした後、大宮さんはこう話してくれました。
「同じ区内で逃げた黒猫をお探しの方に、そのネコではないかどうかコンタクトをとっています。もし違っていたら、これもご縁なのでゆっくり気長に心を開いてくれるのを待ちながら、一緒に暮らしていこうと思っています」
 経験から言って、黒猫は大柄で顔の彫りが深くて筋肉質であることが多いのです。また頭がよく、ふだんから思慮深いのも特徴です。ほかのネコならここまでというところを、もうちょっと考えて行動する一面があります。そんなに面白い黒猫2匹との生活なんて、とても羨ましいことです。
 電話依頼を受けて出会うペットにも、飼い主さんにも、毎回本当に学ぶことがあります。今後も様々な出会いと再会を経験しながら、私はペット捜索をしていくのでしょう。だからこそ、この仕事に飽きるということは決してなさそうです。

ロック(右)と先に保護した黒猫。一緒に暮らすようになって3週間、まだ互いに慣れない部分もあるが、
「2匹で餌を食べにくる姿はとてもかわいい。このままうちの子になってもらっても」(大宮さん)

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著者プロフィール

藤原博史

フジワラ・ヒロシ

1969(昭和44)年兵庫県生まれ。迷子になったペットを探す動物専門の探偵。1997年にペットレスキュー(神奈川県藤沢市)設立、受けた依頼は三〇〇〇件以上。ドキュメンタリードラマ「猫探偵の事件簿」(NHK BS)のモデルに。著書に『ペット探偵は見た!』がある。

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