「やりがい搾取」の農業論
836円(税込)
発売日:2022/01/15
- 新書
- 電子書籍あり
「ずっと豊作貧乏」「キレイゴトの有機農業」「スマートじゃないスマート農業」民俗学者兼農家の論客が明かす「泥まみれの現実」。
「日本社会の食糧生産係」の役割をふられた戦後の農業界では、「豊作貧乏」が常態化していた。どんなに需要が多くても、生産物の質を上げても、生まれた「価値」は農家の手元に残らなかった。しかし、いまや食余りの時代である。単なる「食糧生産係」から脱し、農家が農業の主導権を取り戻すためには何をすればいいのか。民俗学者にして現役農家の二刀流論客が、日本農業の成長戦略を考え抜く。
書誌情報
読み仮名 | ヤリガイサクシュノノウギョウロン |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-610935-5 |
C-CODE | 0261 |
整理番号 | 935 |
ジャンル | ノンフィクション |
定価 | 836円 |
電子書籍 価格 | 836円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/01/15 |
インタビュー/対談/エッセイ
カイワレ大根の長さが揃っているのはなぜか?
人の手をほとんど介さずに野菜を育てることを目的とした植物工場は、東日本大震災の後に注目されたこともあるが、実は経営がうまくいっているところは少ない。この理由について、「植物工場」という言葉が定着する前から、コンピューターやハイテク機械を用いた大型施設で、もやしやカイワレ大根などのスプラウト野菜を生産してきた、とある企業の経営幹部はこう言っていた。
「植物工場が儲からないのは、植物への愛情がないからだと私は思いますね。生産設備などのハードは金を出せば買えるけど、ソフト、植物への愛情はどこにも売ってないんですよ」
彼は自分たちの仕事を「農業」と言い、「農家」を自称する。見た目の美しさにまで気を配った野菜の生産は、単純な機械管理だけでは難しい。カイワレ大根の長さが揃っているのは、偶然でもコンピューター制御による温度管理の結果でもなく、カイワレ栽培を行う彼らの栽培技術の賜物だというのだ。そこには間違いなく、農家が永年かけて培ってきた高度な技術がある。
日本の農産物は他の国々に比べて、過剰包装だと言われる。しかし、その過剰包装をもたらしているのは高い水準を求める消費者の審美眼であり、その審美眼に応えてきた農家の技術力である。高級フルーツパーラーやデパートで売られる高級果物だけでなく、広告の目玉として売り出される激安キャベツにまで、このことが徹底されているのが日本の農産物なのだ。
消費者にとっては間違いなく福音だろう。しかし、農家にとっては不幸以外の何物でもない。自らの技術力ゆえに消費者の審美眼を高めてしまった日本の農家は、どんなに生産物の価値を高めても「当たり前」視され、その価値を手元に残すことが出来なかったのだから。
社会から「食糧生産係」の役割を振られた日本の農業界は、その高い品質に相応しくない安売り路線を余りにも長く続けてきた。さらに、商品を定期的に出荷し続けることに重きを置きすぎたせいで、商品ごとの品質の違いを明確に打ち出せずに来た。キャベツは「キャベツ」としか認識されず、キャベツごとの品質は考慮されない。農業界では長らく、軽自動車とスーパーカーが同じ価格で売られてきたのだ。
農家が、自分たちの生み出す「価値」を自分の手に取り戻すにはどうしたらいいのか。解決策は、従来型のコモディティー商品を大量に生産・販売するだけのビジネスから脱却することだ。そして、ラグジュアリーからコモディティーまでのピラミッド型の商品構造を持った農産物マーケットを構築することだ。それこそが本当の農業の成長戦略である。そのことを世間に伝えたくて、本書を書いた。
(のぐち・けんいち 民俗学者・レンコン農家)
波 2022年2月号より
薀蓄倉庫
植物工場にも「農家の技術」
植物工場と言えば通常、「人の手を介さず、フルオートメーションで、科学的に」野菜などを生産する施設を思い浮かべると思いますが、実はうまくいっているところは多くありません。なぜなのか。それは、そうした施設には「ソフト」がないから。ソフトというのは「農家の技能・技術」のことで、植物工場においてすら、中核にあるのは「農家の技能・技術」である、というのが著者の主張です。詳しくは本書の第3章をご覧ください。
掲載:2022年1月25日
担当編集者のひとこと
農業の「泥まみれの現実」を直視する
日本の農業界は戦後、「日本社会の食糧生産係」の役割を担わされ続けてきました。経済成長が続き、人口も増加し、当然ながら食糧需要も激増していたわけですから、本来なら農産物の価格も上がっていてよいはずでしたが、農産物の価格は政策的に低いレベルに止められていました。もちろん、農家は生産物の品質を上げるための工夫も続けていましたが、そこから生み出された「価値」は、農家の手元には残らない。いわば「豊作貧乏」が制度化されていたわけです。
そうしたくびきから抜け出すための手段として、一時は有機農業が大きな期待を集めたこともありました。しかし、日本の有機農業は不幸なことに、当初から「反体制」とセットになっていたので、「みんなで楽しく儲けようぜ。ウェーイ!」というマインドとは正反対。当初は目新しさもあって、一般の農産物よりは多少は高く買われたりもしましたが、最終的には有機農業もやはり「価値のデフレ」に飲み込まれてしまいました。
こうして日本の農業界では、「どんなに生産物の価値を高めても、その価値は農家の手元に残らない」という「やりがい搾取」が常態化してしまったのです。
では、農家が農業から生まれる価値をその手に取り戻すにはどうすればいいのか。日本社会において農業はどのようにあるべきなのか。それを徹底的に考えたのが本書です。
著者の野口さんは、博士号を持つ民俗学者にしてレンコン農家という「二刀流」の論客です。
また、前著のタイトル『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』からも分かるとおり、実家の農園のレンコンを「1本5000円」で大ヒットに導いた実績も持ち、いまでは「1本5万円」という、さらに常識外れのレンコンの販売も手がける「実践の人」でもあります。
著書の中では明確に対象を名指ししていないのですが、著者はどうやら、日本の農業をめぐる言説のことごとくに違和感を覚えている様子もあります。
「資本主義的喧噪とは無縁の農村は素晴らしい」と里山賛美を繰り返す言説にも、「日本農業の可能性は国際化と合理化にあり」とする言説にも、「日本の農業は技術や技能を失いハリボテ化している」とする言説にも。
現実に農家の息子として生まれ、農業や農村について広く調査した経験を持ち、農業法人の経営にも携わっている立場ゆえ、イデオロギーが前景化しがちな言説に違和感を覚えるのは自然なことだとは思いますが。
農業の「泥まみれの現実」を骨の髄まで理解している著者の言説、とくとご覧ください。
2022/01/25
著者プロフィール
野口憲一
ノグチ・ケンイチ
1981年、茨城県新治郡出島村(現かすみがうら市)生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了、博士(社会学)。著書に『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』。