慶應高校野球部―「まかせる力」が人を育てる―
902円(税込)
発売日:2024/07/18
- 新書
- 電子書籍あり
「やらせる」でなく「まかせる」。「教える」まえに「問いかける」。「正解」より「成長」。「勝つ組織」「育つ仕組み」のつくり方。
「高校野球の常識を覆す!」を合言葉に、慶應高校野球部は107年ぶりに全国制覇を成し遂げた。彼らの「常識を覆す」チーム作りとは、どんなものなのか? なぜ選手たちは「自ら考えて動く」ことができるのか? 選手、OB、ライバル校の監督等、関係者に徹底取材。見えてきたのは、1世紀前に遡る「エンジョイ・ベースボール」の系譜と、歴代チームの蹉跌、そして、森林監督の「まかせて伸ばす」革新的指導法だった。
主要参考文献
書誌情報
読み仮名 | ケイオウコウコウヤキュウブマカセルチカラガヒトヲソダテル |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-611049-8 |
C-CODE | 0275 |
整理番号 | 1049 |
ジャンル | 実用・暮らし・スポーツ、スポーツ・アウトドア |
定価 | 902円 |
電子書籍 価格 | 902円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/07/18 |
書評
結局のところ、慶應高校の全国優勝は「運」だった
2023年夏の甲子園。日焼け止めを塗った白い肌に髪をなびかせて、神奈川県代表・慶應義塾高等学校(通称・塾高)の選手が、甲子園から全国のお茶の間に、涼しげな風を届けたのはまだ記憶に新しい。
「エンジョイ・ベースボール」というモットーは、昭和の野球へのアンチテーゼとしても記号的役割を果たした。しかし「昭和vs.令和」のような単純な二項対立では塾高の優勝を説明できない。
徹底した現場取材と関係者へのインタビューから、107年ぶりの全国制覇に不可欠だったピースを一つ一つ明らかにしていく。プラグマティズム的教育論であり、同時に組織論の教科書でもある。
そして結局のところ、塾高の全国優勝が「運」であったことがよくわかる。
第7章「『失敗の機会』を奪わない」が出色だ。この章では、2019年、2020年、2021年、2022年と、全国制覇の直前4年間のそれぞれの年の主将に、当時のチームの状況を事細かに聞いている。
そこでは2023年のチームほどの成果を出すことができなかった原因分析が語られているわけではあるが、この過去の4年と2023年のチームで制度的に大きな差があるわけではない。過去何年にも遡るいくつもの試みが大きなうねりをつくり出す中で、瞬間的にさまざまな条件が重なり合う偶然がなければ、あの優勝はなかったことがわかるのだ。
もちろん過去4年間の主将が2023年の主将に劣るわけではない。むしろ、野球を通して学んだ人生の知恵は、過去4年間の主将のほうが大きかったかもしれない。
それこそが、森林貴彦監督が掲げる「勝利より成長」の真骨頂だ。慶應義塾幼稚舎(小学校)の教諭でもある森林監督は、生徒たちの人間的成長を、指導の目的に据えている。そこがブレない。
「監督のおかげでまとまったとか、監督の言った通りにやったら打てましたとかいう経験って、させてもほとんど意味がないと思っています。『自分たちでやったけど、うまくいかなかった』の方が、意味がある。学校というのはやっぱり、失敗させてあげる場なので」と森林監督。
この構えは、私が取材活動で出会う優れた教育者たちに完全に一致する。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも登場したある数学教員は、「子どもたちは、自分のやり方で試行錯誤しているときにいちばん頭を使って、いちばん伸びるんです」とよく言っている。
スポーツであれ受験であれ、子どもたちの挑戦は、人生の学びのためにある。勝敗という結果は素人にもわかりやすいが、挑戦を通して子どもたちが何を学んでいるのかを感じとり、それを最大化するのがプロの教育者の腕の見せどころ。ときに敗北は最良の教材にさえなる。
ところで私は森林監督と同世代の父親として、2023年塾高ナインが得た運のなかでも特に二つの偶然に注目したい。一つはチームに、元読売ジャイアンツ・清原和博の息子・清原勝児がいたこと。もう一つは森林監督の息子・森林賢人がいたことだ。いずれも優勝時の先発メンバーではないが、本書には彼らの語りも丁寧に記述されている。
日本野球史に名を刻むスーパースターでありながらネガティブな意味でも世の中を騒がせてしまった父親をもつ息子が、世間の注目を痛いほどに感じながら、それでも代打としてグラウンドに立つ健気な勇気を思うとき、私も一人の父親として、こみ上げるものがある。森林監督も一人の父親として感じるところがあったに違いない。
だが一方で当然ながら、監督は息子の賢人をいっさい特別扱いしなかった。塾高には、夏の大会を戦うメンバーを決める「30人切り」という通過点がある。ここでもれた3年生は現役引退を余儀なくされ、監督と1対1で面談したうえで、サポートスタッフに回ることになる。
夏の大会を前にした6月1日、賢人は30人に選ばれなかった。監督と面談し、1年生の指導を担当することになった。帰宅すると父親から「お疲れさん」とひと言だけねぎらいの言葉があり、胸が熱くなったと息子は言う。父親の胸の内を想像するに、このくだりで私はついにこみ上げるものを抑えきれなくなった。
レギュラーが偉くて二軍はダメ。金メダルが偉くて初戦敗退はダメ。合格したひとが偉くて不合格者はダメ。出世したひとが偉くて平社員はダメ。――そんなことがあってたまるか! どこがダメなのか言ってみろ! そんなふうに決め付ける社会のほうがダメなんだ!
心底そう思えるひとたちを、森林監督は教育者として、塾高のグラウンドでも幼稚舎の教室でも、育てているのだと私は思う。
現実社会は競争ばかり。だからこそ子どもたちには、社会に出る前に、勝敗を超えた価値の存在に気づかせてあげなければいけない。その一つの手本が本書にある。
(おおた・としまさ 教育ジャーナリスト)
蘊蓄倉庫
「点が取れない弱い代」はなぜ日本一になれたのか? 従来の高校野球とは一線を画す、革新的な「組織論」と「教育論」に迫ります。
「高校野球の常識を覆す!」を合言葉に、慶應高校野球部は107年ぶりに全国制覇を成し遂げました。彼らの「常識を覆す」チーム作りとは、どんなものなのか? なぜ選手たちは「自ら考えて動く」ことができるのか? 選手、OB、ライバル校の監督等、関係者に徹底取材。見えてきたのは、1世紀前に遡る「エンジョイ・ベースボール」の系譜と、歴代チームの蹉跌、そして、森林貴彦監督の「まかせて伸ばす」指導法でした。
掲載:2024年7月25日
担当編集者のひとこと
2023年の夏の甲子園で優勝し、社会現象にもなった慶應義塾高校野球部。その独自の「組織論」と「教育論」を深堀りしたのが本書です。
多くの関係者にインタビューを行う中で強く印象に残ったのは、選手やOBの「言葉の力」です。こちらの質問に対して、ひとりひとりが自分の考えを元に、自身の言葉で、明晰に答えてくれることに驚かされました。
その理由の一端を垣間見た日があります。慶應高校野球部が取り入れている「木鶏会」を見学した時のことです。
木鶏会とは、「致知」という会員制月刊誌を使用して月に一度行う勉強会です。「致知」には、スポーツ選手や企業人の体験談が掲載されていて、木鶏会では、各自が印象に残った記事について感想を伝え合います。元々、慶應大学の野球部が取り入れたのをきっかけに慶應高校野球部でも導入したもので、私が見学したのは、大学と高校の野球部合同で行われた木鶏会でした。
当日、慶應大学の階段教室に約200人が集まり、まずは4~5人の小グループに分かれて話し合います。その後、ランダムに指名された数人が全員の前に出て、ひとりずつ発表することになったのですが、その際の感想を聞いて驚きました。どの記事のどんな部分が心に響いたのか、それはなぜなのか、自分にとってどんな学びがあったのか――。それぞれが自身の経験や性格を元に、簡潔に、伝わりやすい言葉で発表をしたのです。
そのレベルの高さに驚いて、会の終了後、思わず大学野球部の堀井哲也監督に伝えました。すると堀井監督は、「これも訓練ですから。毎月やっているうちに、できるようになるんです」とのこと。その言葉を聞いて、腑に落ちる思いがしました。
慶應高校にしても慶應大学にしても、学力レベルはトップクラスですから、(本書の最終章で仙台育英の須江監督も指摘している通り)選手の言語化能力が高いことは当然と言えば当然です。ただ、各自が元々備えている力を、さらに高めるための努力が行われているのです。
その他にも、慶應高校野球部では、「従来の野球部」では行われていなかったような新しい試みがいくつも取り入れられていました。「部活動」や「学校教育」の現場だけでなく、企業をはじめとしたどんな組織においても示唆に富んだ「組織論」と「教育論」が詰まった一冊。ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
2024/07/25
著者プロフィール
加藤弘士
カトウ・ヒロシ
1974年茨城県水戸市生まれ。スポーツ報知編集委員。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。アマ野球、巨人担当、デジタル編集デスク等を歴任。YouTube「報知プロ野球チャンネル」のMCも務める。著書に『砂まみれの名将――野村克也の1140日』。