
生きる言葉
1,034円(税込)
発売日:2025/04/17
- 新書
- 電子書籍あり
言葉の力は、生きる力。現場で考え抜いた伝える、鍛える、表す極意。
スマホとネットが日常の一部となり、顔の見えない人ともコミュニケーションできる現代社会は、便利な反面、やっかいでもある。言葉の力が生きる力とも言える時代に、日本語の足腰をどう鍛えるか、大切なことは何か──恋愛、子育て、ドラマ、歌会、SNS、AIなど、様々なシーンでの言葉のつかい方を、歌人ならではの視点で、実体験をふまえて考察する。
はじめに
1 「コミュ力」という教科はない
ヘレン・ケラーの「WATER」/絵本は生身のコミュニケーションツール/自然の中で「めいっぱい遊ぶ」/山奥の全寮制中学/過不足なく気持ちを伝える/言葉の力を鍛えてくれるもの/渋柿を甘くする知恵/スマホなしの中高時代/「みんな仲良く」と言われ続けて
【コラム】10才のひとり旅
2 ダイアローグとモノローグ
「それはでも、あれじゃないか」/つかこうへいさんの稽古場/野田秀樹さんの稽古場/同じ言葉を違う文脈で/「愛の不時着」リ・ジョンヒョクの言葉
【コラム】心の中の音楽を
3 気分のアガる表現
ラップも短歌も言葉のアート/夢中・得意・努力/息子との様々な言葉遊び/相手へのリスペクト/日本語ラップの独自の土壌/句またがり的韻踏み/日本語をリズミカルにする魔法
【コラム】川原繁人先生との出会い
4 言葉が拒まれるとき
思いがけない反応/クソリプに学ぶ/しゃべる家電たち
【コラム】詩が日常にある国
5 言い切りは優しくないのか
何でもハラスメント/マルで終わる日本語/「曖昧表現が好き」という感覚/いろいろな「界隈」/言葉の輪郭を曖昧にする「も」
【コラム】流行語の難しさ
6 子どもの真っすぐな問いに答える
本質をついてくる質問【なんで悲しいときに涙が出るのか?】【説明できないわからない気持ちがあるのはなんで?】【人間はどうして勉強しなきゃいけないの?】他
【コラム】賢い人って、どういう人?
7 恋する心の言語化、読者への意識
ヒコロヒー『黙って喋って』の魅力/塩梅が大事/どういう状況で読まれるか/言葉のマジック
【コラム】河野裕子の恋の歌
8 言葉がどう伝わるかを目撃するとき
歌会のススメ/読者が参加して完成する/歌うに値する体験
【コラム】「夜の街」から生まれた『ホスト万葉集』
9 和歌ならではの凝縮力と喚起力
最重要のコミュニケーションツール/一生をかけての答え合わせ/『枕草子』にみる美意識/『源氏物語』という装置/和泉式部、尋常でない言葉のセンス/「宿ってしまった歌」とは/道長の「あの一首」
【コラム】短歌の現場、言葉探しの旅
10 そこに「心」の種はあるか
1から100より0から1を/万智さんAI/AIの優しさにグッときて/やるじゃないか、AI/作品の価値を決めるもの
【コラム】非正規の翼
11 言葉は疑うに値する
「贅沢」を感じられる言葉遣い/谷川俊太郎さんのこと
おわりに
書誌情報
| 読み仮名 | イキルコトバ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮新書 |
| 装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
| 発行形態 | 新書、電子書籍 |
| 判型 | 新潮新書 |
| 頁数 | 240ページ |
| ISBN | 978-4-10-611083-2 |
| C-CODE | 0281 |
| 整理番号 | 1083 |
| ジャンル | 社会学、思想・社会、日本語 |
| 定価 | 1,034円 |
| 電子書籍 価格 | 1,034円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2025/04/17 |
書評
「心掘り当てること」こそ言葉の本質
お散歩の途中で工事現場に差し掛かったとき、クレーン車を指さして「これは、なにいろ?」と尋ねた保育園の先生に、1歳になるうちの子は「きいろ」、隣の子は「オレンジ」と返し、途端に喧嘩がはじまったという。「きいろだよ」「オレンジなの」と言い合う様子が、保育園からの連絡帳に微笑ましく記されていた。
「『子育て』を言葉の面から定義するなら、私の場合は『まっさらな状態で生まれてきた人間が、日本語ペラペラになるまで、ずっとそばで見ていられること』だ」と、俵万智さんが「言葉」をテーマにした本書を「子育て」から語りはじめたとき、連絡帳のこの情景に新たな光が当たった。
まず思い知ったのは言葉の限界である。「心の音楽」を言葉に紡ぎだす第一人者なのだから、さぞかしその可能性を高らかに謳いあげるのだろうと手にした本書は、意外なことに「そもそも言葉と世界とは、一対一で対応していないし、絶望的にズレがある」と、その限界を認めるところからスタートする。
確かに、クレーン車は「黄色ともオレンジとも表現できる色」だったそうで、こういう単純な表現であってさえ、現実の多くはその間のグラデーションの中に存在するのだから、ましてより複雑な「気持ち」を「言葉で100パーセント……説明するのは不可能」だろう。そういう意味で、言葉は「ざっくりした目印」に過ぎないという俵さんの到達点は、感情の複雑さを言葉で表現しようと推敲を繰り返したプロフェッショナルだからこそ、「ニュートンの海」を彷彿とさせ、さらりとした文章の中で厳かに光る。
次に子どもの側の限界である。1歳児の語彙は圧倒的に少なく、議論はまったく深まらない。山吹色や柑子色――黄色とオレンジの間にある実に多くの色の名前を、この子たちはまだ知らない。「人類の大先輩たちが、世界を理解しようとがんばったり、気持ちを伝えあおうと奮闘し」て豊かにしてきた言葉を学びながら子らは成長していく。
そして、言葉を磨き鍛えることは、ネットを介したやり取りが日常となり、「背景抜きの言葉をつかいこなす力」が求められる現代にこそ重要なのだという記述に深く頷きながら、そのためには「受け身」よりは「生身」、つまり、スマホの動画よりは絵本の読み聞かせだと説く本書に従って、私はいまスマホをしまいこんで、絵本を読み聞かせている。何度も読んで破れたページを「いたい、いたいね~」となでさするわが子の共感力に、とっくに鈍ったはずの私の感性センサーが呼び覚まされる。
かつてもっと繊細だった幼き日、「おばあちゃんは死んじゃうの?」と繰り返し尋ねて、母に厳しく叱られたことがあったっけ。大好きな祖母が自分よりも先に亡くなるという恐れ、口に出せば実現しないという勝手な思い込み、複雑な内面世界に言葉が追いつかないまま、何とか伝えようと躍起になっていた。
もしかしたら、どれだけ語彙が限定されても、自身が切り取った黄色やオレンジの鮮やかさを隣の子にも見せたいと願う1歳児にも同じだけの切実さがあるのではないか。保育園の先生によれば、言葉で闘える限りは、園児たちは力による解決を図らないのだとか。
ラップのディスりに嫌悪感を抱いてきた俵さんが、実はそれがアメリカのギャングにとって殺し合いの代替だったという成り立ちに触れて、見方を変える箇所が本書にはある。そう、限界はあれど、言葉にはそれだけの力もまたあるのだ。自分の内面を伝えたいと願う切実さが、言葉を武器にも翼にも代えて世界に手を伸ばそうとする人々を後押しするだろう。
いま私は自分の内側に手を突っ込んで言葉を引っ張り出そうと躍起になりながら、この書評を書いている。ときに目を見開き、深く頷き、うるっとした、この新鮮な感情を言葉の形で掬いあげようとしても、指の間からするりと抜けていく。この感覚は、複雑な内面世界に言葉が追いつかないともがいたあの頃と何ら変わらないと気づく。年を取るにしたがって自分の気持ちをステレオタイプで分類しがちになっていた。だが、名状しがたい複数の思いがいまも私の中に入り混じっている。それをありのまま伝えたいと願うとき、心の混沌に潜ってもっとも近似する表現を探す。
この「心掘り当てること」こそが、俵さんによれば言葉の本質なのだ。不完全でもこの試みを繰り返そう。内面世界の複雑な広がりに言葉の目印を打ち込もう。たとえ1つ1つの目印は点でも、その集合体は点描のように心のありかを示す地図になっていくだろうから。
(やまぐち・まゆ 信州大学特任教授・ニューヨーク州弁護士)
インタビュー/対談/エッセイ
今日を「生きる言葉」
「生きる言葉」というタイトルに込めた意味を、よく聞かれる。生きるために言葉はある、こんなふうに使うと言葉は生きる、そもそも言葉は生きている……そんないくつかの思いを込めたものだった。が、あるとき、インタビューを受けるたびに熱く語っている自分に気づいた。
「今という時代は、生きるっていうことと、言葉とが直結していると思うんです」
そうか。つまり「生きる」と「言葉」を直結させたのが、まさにこのタイトルだったのだ。ちなみに、私も熱いが、多くのインタビュアーもいつになく熱い。なんならカメラマンも熱くて、撮影がすんだ後も帰らず、居残って話に加わってくる人もいた。みんな、仕事以上に「自分ごと」なんだなと思う。言葉と無縁で生きている人はいない。特にSNSやメールでのやりとりが日常になった今、言葉に悩み、迷っている人が本当にたくさんいることが実感される。
「クソリプに学ぶ」という項の反響が大きいのも、その表れだろう(クソリプとは、Xなどで見られる返信で、くだらない、時に攻撃的なものを指す)。そもそも、人と人とをつなげるために生まれたはずのSNSが、人と人とを分断させるというのは、まことに残念だし、もったいない。せっかくのインフラが、ルールやマナーの整わないうちに広がって、あちこちで事故が起こっている。もらい事故で傷つかないためにも、クソリプと呼ばれるものから目をそらさず、知っておこうというのがこの項の趣旨だ。「クソリプを知る者は、クソリプに勝つ」というのは、これまたインタビューを受けるなかで、思いついた格言(?)だった。
本書を出版した後も、私自身、ちょいちょいクソリプに見舞われている。高校球児を応援する内容のポストをすれば「高校球児だけを特別扱いするのは、いかがなものか」と窘められ、読者の感想を引用して「ありがとう!」と言うと「上から目線ですね。ございますをつけるべき」と𠮟られる。一瞬シュンとなるが、こういう場合は「新種が釣れた!」と喜ぶくらいが、精神衛生上ちょうどよい。本書に出てくる分類に収まらないものが釣れたら、これからもコレクションしていきたい。
「和歌や演劇はともかく、AIや日本語ラップまで守備範囲が広いですね」とも言われる。たぶん、言葉のオタクなんだと思う。私の推しは「言葉」。だから、いろんな現場に足を運んで推し活をしてしまう。最近面白かった現場は、学生のボディビル大会だ。甥っ子が出場するというので応援に出かけた。筋肉にはまったく興味のない私だが、会場で選手を応援する掛け声が新鮮だった。
「◯番、キレてるよ!」といったオーソドックスなものに加え「肩にメロン!」「腹筋が板チョコ!」など、いろいろユニークなものがある。甥っ子のお気に入りは「デカすぎて固定資産税!」とのこと。勢いあまって『ボディビルのかけ声辞典』なるものまで買ってしまった。この本によると大学生の大会は“かけ声文学の宝庫”なのだとか。内容は、とにかくポジティブで、ほめてほめてほめまくる。「肩にちっちゃいジープのせてんのかい」「マッチョの満員電車!」……めくるめくホメの世界に浸っていると、すごく前向きな気持ちになる。昨今話題になる誹謗中傷とは真逆の世界が、そこには広がっていた。
いっぽう『生きる言葉』を子育て本として読んでくれている人も多いようだ。第一章で誕生した息子が、徐々に言葉を覚え、離島での小学生時代や、スマホなしの全寮制中高一貫校を経て、やがて大学では国語学を専攻するようになる。「おわりに」では、私と母の諍いを言語化して救うところまで成長してくれた。自分の子育ては、常に言葉とともにあったなと思う。
ことのほか嬉しかったのは「初めて新書を最後まで読んだ!」「わけわからんくらい読みやすい」という声だ。本書は九割がた書き下ろしで、実は私史上一番と言っていいほど、ブラッシュアップに時間をかけた。言葉について書かれた本の言葉が、読みにくかったらシャレにならない。
水切りのように心を伝えたい軽くて平らな言葉を選ぶ
この一冊をきっかけに、言葉について考え、立ちどまる時間が生まれてくれたら嬉しい。簡単に発信できる時代だからこそ、そういう時間が、一人一人の今日を「生きる言葉」を豊かにしてくれるのではないかと思う。
(たわら・まち 歌人)
著者プロフィール
俵万智
タワラ・マチ
1962(昭和37)年大阪府生まれ。歌人。早稲田大学第一文学部卒業。学生時代に佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1988年に現代歌人協会賞、2021年に迢空賞を受賞。『サラダ記念日』『愛する源氏物語』『未来のサイズ』の他、歌集、評伝、エッセイなど著書多数。


































