
なぜ日本人は間違えたのか─真説・昭和100年と戦後80年─
990円(税込)
発売日:2025/07/17
- 新書
- 電子書籍あり
『あの戦争は何だったのか』から二〇年、偽善を排した「大人のための現代史教科書」。
国家を滅亡の淵まで追い込んだ「あの戦争」から八〇年、同時代史として語られてきた昭和史は、これから歴史の中へと移行する。二・二六事件、東京裁判、高度成長、田中角栄、昭和天皇……時代を大きく変えた八つの事象を、当事者たちの思惑や感情を排して見つめ直す時、これまでの通説・定説とはおよそ異なる歴史の真相が浮かび上がる。いったい、日本人はどこで何を間違えたのか──昭和史の第一人者による衝撃の論考。
まえがき
第一章 「昭和一〇〇年」とは何だったのか――左翼史観に歪められた歴史の見方
近代日本を形づくった皇国史観/唯物史観とアメリカ的な実証主義/半藤氏の四〇年周期説、胡耀邦が語った八〇年周期説/暴力革命、革命純化、板垣は裏切り者/マスコミと教育現場を支配した左翼的史観/歴史を見る目を歪めたマスコミと文化人/自分史、日本史、人類史――三段階の歴史観/左翼系知識人の偽善/「東條について書くなんて右翼だ」/ジャーナリズムに対するアカデミズムの傲慢/記憶を父として、記録を母として/歴史に向き合ってものを書くこと
第二章 「あの戦争」とは何だったのか――大きな戦略に呑み込まれた日中・対米戦争
一五年戦争、太平洋戦争、アジア太平洋戦争/辛亥革命に日本はどう関わったか/国家統一に向けた中国の大戦略/イギリスの先進帝国主義の原価計算/国民党の軍事指導者が明かした抗日戦の真相/華族になりたい一心から国家を破滅に導いた/失われた武士道という倫理/対米戦争とは何だったのか――近現代史の俯瞰図/近代化の手本はアメリカではなくプロイセン/対中政策をめぐって高まった日米の軋轢/アメリカへの最大の援軍となった「本土決戦」/対米関係に支配され続ける国/対アメリカ観を再構築できるか
第三章 「二・二六事件」とは何だったのか――狂信者たちの目的は達成された
ファシズムへの導火線、新統制派の実権掌握/事件と共産主義者を結ぶ点と線/「天皇と一体化」という危険な精神構造
第四章 「東京裁判」とは何だったのか――平和と人道という名の下の復讐
天皇を訴追しないと決めたマッカーサー/隠された事実を晒す大掛かりな情報公開/訴状を押し戴いた被告たち/大きな無理を抱えた検事団の起訴状/自分の首を絞めた敗戦前後の資料焼却/戦争よりも虐殺行為への復讐が目的/パル判事の「日本無罪論」を否定する/「これでアメリカと戦争をやったのか!?」/ソ連の証人になった「昭和の参謀」瀬島龍三/法務省地下に埋もれた資料が語ること/「東條を真人間にしてあの世に送った」
第五章 「高度成長」とは何だったのか――経済官僚が挑んだ軍人への復讐戦
「政治の季節」から「経済の時代」へ/平時の予算の組み方を知らない大蔵官僚/高度成長を取り仕切った「短現」出身者/七〇年安保とは高度成長のアダ花/復讐戦の終焉から低成長の時代へ/歴史の法則性と準備運動
第六章 「田中角栄」とは何だったのか――大衆の生贄にされた無作為の社会主義者
際立った三つの特徴/昭和天皇の前で話しまくる/キッシンジャーを激怒させた「アメリカ離れ」/『日本列島改造論』の先見の明、狡猾な大衆のエゴイズム/支持率七〇パーセント、驚異的人気の秘密/「国のためになど死んでたまるか」
第七章 「昭和天皇」とは何だったのか――時代の象徴にして人間天皇という二面性
明治・大正天皇の分裂から昭和天皇の一体化まで/象徴天皇にして人間天皇へ、苦渋の変身/日本人として理解すべき天皇の二面性/近代天皇制への理解不足
第八章 「戦後八〇年」とは何なのか――言葉の呪縛と思考停止の時代
中国訪問で「あなたはなぜ謝罪しないのか」/「した部隊」と「しなかった部隊」の違い/政治的プロパガンダより生身の証言/モラルが逆転した戦争体験を聞くルール/歴史認識は食い違うのが当たり前/報道と戦争は今も昔も相性がいい/自分の意思と関係のない「世代の宿命」/日本人は本当に「わだつみのこえ」を聞いたか/「国のために死ぬ」というアンビバレンス/「一国平和主義」「平和憲法」への自省はあるか/「戦後」「戦後民主主義」に潜むエゴイズム/新しい戦争観と平和理論を構築できるか/「戦間期の思想」を持たなかった国
あとがき
書誌情報
読み仮名 | ナゼニホンジンハマチガエタノカシンセツショウワヒャクネントセンゴハチジュウネン |
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シリーズ名 | 新潮新書 |
装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 新書、電子書籍 |
判型 | 新潮新書 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-611094-8 |
C-CODE | 0221 |
整理番号 | 1094 |
ジャンル | 歴史読み物、歴史・地理・旅行記、日本史 |
定価 | 990円 |
電子書籍 価格 | 990円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/07/17 |
書評
ジャーナリストの史観、ここに極まる
歴史取材の鬼たる著者の「昭和一〇〇年」と「戦後八〇年」に向けての魂の叫び。しかも一字一句が重い。長年の取材の蓄積に裏打ちされているからだ。幾ら書物を漁り、公文書を調べても、耳に届かぬだろう声が、どの頁からも溢れ出る。特に近代日本の戦争に絡むことにおいて。
とはいえ、著者は1939年生まれだから、取材できる声の主は戦後に生き残った人々にもちろん最初から限られてきた。でも著者は自信を持って書く。「もとより死んだ者の肉声は聞けないが、それでも死者の声が聞こえてくる。妙な言い方だが、生者の声を長く聞いていると、その声が目の前にいる一人ではなくて何人もの声を代表していることがわかる」。保阪流の取材の極意であろう。これぞ真の聴く力だ。特定の理屈や史観による学者的予断を排し、周辺をよく調べ、相手の立場を想像し、自己の思い込みを滅して聴く。そういう作業を繰り返していると聞こえてくるものなのだろう。そうやって著者は、歴史の膨大な破片、ミクロな声を拾い集め、その声を聴いた実感を活かしながら歴史を編む。アカデミストではなくてジャーナリストによる歴史の書き方の理想と実践だ。そのひとつの見事なまとめが本書。扱われる内容は多岐に及ぶ。でも決してとっちらかってはいない。著者ならではの生き生きとして剛直な縦糸が幾筋か通り、全編が有機化して骨太な声になる。
縦糸の一本はたとえば「原価計算」。著者は言う。英国の植民地支配は常に原価計算の上に成り立っていたのだと。中国に対しても決して面の支配を試みなかった。上海や天津を点で支配し、面の富を点に集め、事実上の面の支配に結びつける。本当に面を征服しようとしたら、軍隊が幾らあっても足りない。中国は奥深過ぎる。コスト高だ。減価償却のできない植民地を支配したがる馬鹿が何処にいる? それが居た。日中戦争のときの日本である。特に日本陸軍である。面の征服にこだわった。なぜか。著者の本領が発揮される。陸軍全体が愚かという大雑把な議論はしない。あくまでミクロに。日中戦争のときの軍の若手・中堅幕僚層は大正後期以降に陸軍士官学校で学んだ世代。1922(大正11)年卒業の第三四期生だと、三五〇人中、五〇人以上が中退したという。大正デモクラシーの影響だ。普通学校の同世代の学生とさかんに交際し、人文書や社会科学書も読み、軍に疑問を感じて辞める者が続出。大変だ。軍組織が持たぬ。人文書や社会科学書を読むな! よその学生と付き合うな! この反動期以降の軍事純粋培養世代が戦時の陸軍の中間管理職を覆い尽くしていった。陸軍が政治や経済に発言力を高めていくときだというのに。しかも昭和10年代の陸軍の上層部は、派閥抗争の末、東條英機とその仲間たちに握られてゆく。そこで著者はダメを押す。東條は「思想書や人文書をまったく読まずに生きてきたと秘書は証言する。だから人間の心理、文化や思想は皆目わからなかった」。東條個人のパーソナリティと世代論が重なり、陸軍は現実を観られなくなったのだ。原価計算も中国への理解もあったものではない。目から鱗の落ちる陸軍史ではないか。
では戦時の日本の軍部は冷静な損得勘定と全く切り離されてしまっていたのだろうか。そうでもあるまい。著者は海軍に昭和10年代に存在した「短期現役士官制度」にその後の歴史の起爆剤を見いだす。「法学部や経済学部出身で、大蔵省や大手銀行などに勤めて間もない優秀な若手」を海軍は集めて、「彼らを主計将校にするために短現コースで鍛え上げた」。具体的には何を? 海戦における敵味方の損害を金銭に換算して損得勘定をする。あるいは損害を受けた艦船を修理するのと相当する艦船を新造するのとどちらが得かを計算する。つまり原価計算だ。この仕事を通じて大日本帝国の軍備の無駄と虚しさに絶望した主計将校が、官僚に復帰して、軍の無謀さへの怒りをバネに戦後日本の高度成長を支えてゆく。著者によれば「高度成長期」の歴代大蔵事務次官の一三人のうち九人までが「短現」出身者という。
原価計算的思考の有無。たとえばこの縦糸一本で日中戦争から高度成長までが通るのだ。証言を集め、世代や個人を細かくミクロにつかまえ、大きな主語を小さな主語に取り換えて、それでこそかえって大きな視野が開ける。著者の方法だろう。
「昭和一〇〇年」と「戦後八〇年」に因んではいるけれど、そういう言葉が予期させる大きな物語を徹底的に裏切るのが本書だ。常識のお膳をひっくり返そう!
(かたやま・もりひで 思想史家)
蘊蓄倉庫
リアルな近現代史
自分の高校時代を振り返ると、当時選択した日本史の知識習得は古代から明治維新ぐらいまでが中心で、近現代史については通り一遍の理解しかありませんでした。お隣の韓国では高校の歴史教科書は近現代以降、日本の植民地支配からの独立や戦後の民主化運動などに半分以上の紙幅が割かれているそうですから、いわゆる歴史論争が起こるたび、口ごもって下を向くばかりになるのも、歴史を議論する以前に日本人が自国の近現代史をあまりに知らないということが背景にありそうです。3年前から自国と世界の近現代史を学ぶ「歴史総合」が必修科目となったことで、19世紀以降、西洋近代という巨大な文明と向き合った日本人が何を目指し、何を間違えたのか、成功も失敗も含めてリアルに考えるきっかけになりそうです。
掲載:2025年7月25日
担当編集者のひとこと
同時代史から歴史の中へ
「小学校しか出ていない男が総理になるとは。これで日本は変わる」……テレビの画面を見つめながら、父親がそうつぶやいていたのを今でも覚えています。思えば4歳時分のおぼろげな記憶ですが、早口のダミ声で身振り手振りを交えてまくしたてるその様子は、子供心にも強烈なインパクトがありました。
一時は支持率7割を超える驚異的な人気を誇り、より多数の、より豊かな暮らしを追求しつづけた「今太閤」こと田中角栄は、やがて自身の金脈問題とロッキード事件によってわずか2年で総理辞任に追いこまれますが、その後も常に衆目を集め続け、日本のキングメーカーとも称されました。
現代史上の人物としては関連本の数は日本一ともいわれるその田中について、著者は「無作為の社会主義者」と意外な評価をしています。そして、「田中なき後の日本に田中のような人間は二度と現れていない」、「角栄という存在を歴史の中にどう位置付けるか、日本人として問われている」とも言うのです。
本書では、田中を含め、昭和天皇、高度成長、2・26事件、そして「あの戦争」など、この国の百年を大きく変えた八つの事象をめぐり、長年にわたる取材経験を交えながら、冷徹な歴史家の目で裁断していきます。
世界的混迷の時代に迎える戦後80年、激動の昭和史が同時代史から歴史の中へと去っていくなか、あらためて成功と失敗の過去に向き合ってみたいものです。
2025/07/25
著者プロフィール
保阪正康
ホサカ・マサヤス
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『昭和天皇』『瀬島龍三』『後藤田正晴』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、「昭和史の大河を往く」シリーズなど著書多数。