
運命まかせ
990円(税込)
発売日:2026/02/18
- 新書
- 電子書籍あり
すべてはなるようになる。90歳を迎える美術家が語る、身をゆだねる生き方。
90歳を迎える現代美術家は、どう「老い」を受け入れているのか。極度の難聴で負ったハンディキャップを「面白い!」と言い切り、難問にぶつかれば「しゃーないやんケ」とすぐに諦め、「何もしない」ことの効能を説いたと思えば、世間の「人生百年時代」という風潮には抵抗する──。とにかく生きるも死ぬも運命に翻弄されるのが面白い。その潔い言葉に触れるだけで心が楽になる、「身をゆだねる生き方」の美学。
まえがき
第1章 五感が朦朧としたままの世界
デザインが絵画に代り、延命された僕の寿命
僕はまいったまいった、インテリゲンチャーの谷内さん
150号のキャンバスはアスリートになった気分
ジョン・レノンとヨーコさんのベッドの横で、奇妙な晩餐会
店内に響く大声で「もし、もし、三島由紀夫ですがね」
難聴で五感も全滅、頼りは特技の第六感
芸術は幼児性。散乱のアトリエは創造のルツボ
「死んで当然!」と思って安心する僕のクセ
芸術家に似合う異端者のボーダーシャツ
嫌々描いた絵はどんな絵か。その好奇心が芸術の理念
第2章 「何もしない」ことを体験する
作品は消滅した何光年も先きの星の光。僕にとっては旧作展
雑念に振り廻された日に悟ったこと
子供を退学させた僕の芸術行為!?
将来の夢は郵便局勤めで日曜画家だった遠い昔
「何もしない」はあの時代の前衛芸術だった
現世の寿命以上に死後の世界は長いはず
老齢で死を目前にするのは思ったよりずっといい
三島さんが僕の顔を見るたびに礼節を説き続けたのは
諦めによって知らず知らず人生を切り拓いてきた僕
自分を見失っていた時に三島さんや健さんに出合った
第3章 長生きしたってエラくない
断捨離は「インスタント悟り」。お釈迦さまの真の悟りは
身の上相談は、自分で自分の中の占い師か神に
AI一色になったとき、本当のリアリティは
誰が言い出したか人生百年時代
ボーッとすることから始まる新しい老齢時代
最高潮のパニック状態で始まった、天皇・皇后両陛下との懇談
年末年始にいつも考えること
2泊3日異次元の旅
知識や教養に縛られず「アホ」に生きたら
出合った人の言葉が「神の言葉」に早変り
第4章 運命のいたずらに従がう
期待も疑問も持たず「受け入れる」生き方
できればもうこの世に生まれ変りたくない
人生に「全面降伏」で「なるようになる」
自分の意志はないのか? 答えは「ハイ、そうです」
墓も物質、やがては非存在的存在に
ひとりごとのような寝言のような神様にムニャムニャ
今やアトリエは記憶の倉庫
朝食はわが家のベッドで35年
描けば描くほど未来永劫、描くのを止めたらバタンQ
第5章 描くこと以外にすることがない
僕21歳、彼女22歳。夜逃げ同然の同棲生活
言葉をそのまま返して解放させる“言葉の呪縛”
アメリカ人に一発ガツンで大爆笑
神秘の島での出合いから半世紀。「奇妙な夢」の謎のお告げ
デザイナーから納品係のち「明日から、君の机はないからな」
おでんと野良は「幸せな猫ちゃん」。天皇ご一家とまさかの“猫談義”
手元の電話帳は半分以上が物故者に
好奇心に振り廻されるのは苦の種
あとがき
書誌情報
| 読み仮名 | ウンメイマカセ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮新書 |
| 装幀 | 新潮社装幀室/デザイン |
| 雑誌から生まれた本 | 週刊新潮から生まれた本 |
| 発行形態 | 新書、電子書籍 |
| 判型 | 新潮新書 |
| 頁数 | 224ページ |
| ISBN | 978-4-10-611115-0 |
| C-CODE | 0295 |
| 整理番号 | 1115 |
| ジャンル | エッセー・随筆、ノンフィクション |
| 定価 | 990円 |
| 電子書籍 価格 | 990円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/02/18 |
書評
底のない自由
この本を読みながら、はじめて言葉を交わした日のことを思い出していた。朝日新聞の書評委員会で、たまたま横尾さんのとなりの席が空いていたので椅子を引くと、足下に銀色の光を放つシューズが見えた。「すてきな靴ですね」と、目を合わせるより先に言葉が出た。
絵を描くときにはとにかく頭を空っぽにして、まるでアスリートのような「肉体的興奮をおぼえ」ながら筆を走らせると、横尾さんはこの本で書いているが、あの銀色のシューズには横尾さんのそんな意志がのぞいていたと、なんだか腑に落ちるような気がした。もの書きは横たわるといいアイディアが浮かぶようだが、絵描きは立っていても筆の思考に没入できるらしいと、ふとおもったのだ。
「絵を描くことは心の中で行方不明になった『何か』を探す行為だと思うのです」とも横尾さんは書く。絵を描いていくうちに絵具の層がだんだん厚みを増してくるが、それはいってみれば、ああでもないこうでもないという「思考の迷いの層」であって、だから描き終えて筆を置くというか、キャンバスから引き下がるのも、絵が「完成」したからというより、「描く限界に達して、描くことに飽きた」だけの話だというのである。
だが、それで話は終わらない。飽いたあと、気力、体力ともに「よれよれ」になったあとに、そこに何を見届けるか、それからが勝負だというのである。そんなふうにいえばさぞかし「つらい」仕事とおもわれるかもしれないが、そこに芸術家の「幼児性」というのがあって、子どもとおなじで、何でも遊んでしまう、どんな環境も遊びの場に変えてしまう。努力などしないのである。そんな身軽さの中へじぶんをたゆたわせつつ勝負に出るのだという。
なるほど、おもしろい。でもそのスタンスはどこから来るのか。
横尾さんはじぶんが幼いときに伯父の家に養子に出された。つまりよそ(余所と書くべきか)の子になった。じぶんの人生は人が決める、しかも甘やかされて、右のものを左に動かすのまでまわりがしてくれる、そんな想いを人としての心が生まれる前に植えつけられたという。それからは生来のめんどくさがりもあって、人に流されるままに生きてきたと。
そういわれてもにわかには信じられない人は多いはずだ。1950年代から今日まで手がけてきた夥しい数のデザインやイラストレーションの仕事、最近だと《寒山百得》の大作のシリーズやコロナ禍の下で毎日配信されたスターの肖像などの集中的制作に取り組むだけでなく、それと並行して小説やエッセイ、さらに日記も書き続け、一年に何冊も新刊を世に問うさまを見せつけられれば、「飽きる美学」といわれても、ここでのように「運命まかせ」といわれても、なかなか想像が追いつかない。いったい何に身をゆだねているのかと。
「運命」と対決するというより、予測はできず、なるようにしかならないという事態に身をまかせてしまうのだと、横尾さんはいう。「しゃーないやんケ」「ドンマイ、ドンマイ」。主体性がないとか、優柔不断だとか、白黒がはっきりせず曖昧だとか、諦めが早すぎるとか、「大人になりたくない症候群」だとか、こういう「宿命」的な性格の中にこそ「自由」が見つかるかもしれないと。マイナス×マイナスがプラスになることは中学で習って知ってはいるが、そのからくりはこうしたイメージを与えられてはじめて解る。
基準をまったく別のところに立てるということが大事なのだ。そう考える横尾さんは、絵の中に、およそ「美」術の要素に反するものをどんどん並べ立ててきた。文章にしても、モチーフはない、とくに書きたいことがあるわけではないとしながらも、限りも知らず書きつづけてきた。
何かに身をゆだねられるのは、それだけ身を軽くしているから。これほどに絵具と言葉を費やしてはじめて自由になれるというのは、だから横尾さんのいう自由ではない。自由は目的ではない。何に駆られてか、絵や文へと筆がたゆまず走る、それが横尾さんにとって自由の現実態なのだろう。
この自由の現実態につられて、わたしたちはついいろいろに連想してしまう。思考を停止し、脳を空っぽにして、すばやく筆を走らせ、「こんな絵ができました」と差しだす横尾さんなら、子育ての現場について意見を求められれば、きっとこう言うだろう(いや、口にするはずもないか)。──子育てで大事なのは、育てる方法ではなく、そこにいれば子どもが勝手に育つ、そんな環境を用意しておくこと、そして「こんなふうに育ちました」と言えることだと。
あるいは、モチーフなんかなしに朦朧としたまま世界と対峙するという横尾さんなら、他人と向きあうときもきっとこんなふうに聴くのだろう。──(これは河合隼雄さんがわたしに語ってくれたことだが)他人の苦しい心の内に耳を傾けるときには、その言葉から何かを摑むんじゃなくて、「ふわーっと」「ぼーっと」聴くのが、全体をとらえるには大事だと。
ことほどさように、この本は「自由」の底知れなさに読む人を向きあわせる。
(わしだ・きよかず 哲学者)
蘊蓄倉庫
「人生百年時代」は誰が言い出したのか
本書の中で、横尾忠則さんがこう書いています。「誰が言い出したか人生百年時代。少子化時代に突入している現代社会に、困ると言っているのは政治家の戦略で、もしかしたら国民はいつの間にかこの戦略に洗脳されているような気がします」。
この「人生百年時代」、いったい誰が言い出したのか。Wikipediaなどには、「ロンドン・ビジネス・スクールの二人の教授が2016年に『THE 100-YEAR LIFE』という書籍で提唱した概念」とあります。医療の進歩の恩恵に与って長寿化が進み、私たちは100年以上生きる時代を迎えると。さらにこの日本語版(『LIFE SHIFT(ライフ・シフト) 100年時代の人生戦略』東洋経済新報社)には、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳まで生きる、という驚きの予測が載っています。
教授たちの予測の真偽はともかく、この言葉を日本で広く知らしめたのは、衆議院議員の小泉進次郎氏とされています。『THE 100-YEAR LIFE』の刊行と同じ2016年、小泉氏ら自民党の若手議員がメンバーだった「2020年以降の経済財政構想小委員会」で検討された将来の社会モデルが、「人生百年時代」を前提としていたのです。小泉氏は様々な場面で「人生百年時代」と発言し、翌2017年には当時の安倍晋三内閣総理大臣を議長に「人生100年時代構想会議」が発足、同年の「新語・流行語大賞」にもノミネートされました(ただし、受賞はならず)。横尾さんが言う通り、政治家の戦略であることは間違いなさそうです。
その小泉氏に先んじること14年、聖路加国際病院の名誉院長を務めた日野原重明さんが2002年頃からこの言葉を使っていたという話もあります。現在、私たちが認識している「人生百年時代」とはややニュアンスは異なるものの、日野原さんはこの年に『人生百年私の工夫』(幻冬舎)という書籍を出し、2002年度ベストセラーランキング第18位(出版科学研究所調べ)を記録。最晩年まで診療や講演活動を続け、105歳の天寿をまっとうした日野原さんこそ、はやり言葉ではなく、本当に「人生百年時代」を体現した人物でした。
掲載:2026年2月25日
著者プロフィール
横尾忠則
ヨコオ・タダノリ
1936(昭和11)年兵庫県生まれ。現代美術家。1972年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ・ベネチア・サンパウロのビエンナーレに出品するなど国際的に活躍。著書に『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)、『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)ほか多数。


































