
10月1日の夕方。スーパーのレジでポイントアプリを起動しようとスマホをオンにしたら、Facebookの友人の投稿が目に入った。
「え? 香山さん? 噓でしょ……」
血の気が引くのがわかった。人の死を知り、立ちくらみを起こしそうになったのは人生で二度目だ。
香山と私は1975年に早稲田大学に入学した同期だが、ワセダ・ミステリ・クラブに彼が顔を出したのは二年生の時だった。およそ半世紀にわたるつき合いだ。当時の香山の出で立ちで覚えているのが、襟にボアがついたドカジャンにマスク姿である。最近ではアベノマスクでしか見たことのない木綿製のあれだ。どこからみても地方出の青年であった。面長で秀でた額に黒縁眼鏡。眼鏡を外せば芥川龍之介に似ていなくもない。少し猫背気味の痩身は、後年になっても中年太りとは無縁だった。
「本の雑誌」を創刊した目黒考二が書き手を募るためクラブのたまり場である喫茶店モンシェリに現れ、当時幹事長の三橋曉と会ったのはたぶん1977年だ。三橋はその年に4月発行の「本の雑誌」第五号に木暮修名義で原稿を書き、そのまま連載を始める。三橋も同期だ。七号と八号は目黒考二がやっていたテーマ別に面白本を数十冊並べる「ブックカタログ」の編者が〈ワセダ・ミステリ・クラブ〉である。この選者の中に香山もいたかもしれない。私は二年生のころからすっかり麻雀部員となっていた。
そんな不良部員を尻目に、香山は二学年上の新保博久と並んで、1978年6月の「本の雑誌」第九号で、商業誌デビューを飾る。香山が大学三年の時だ。
香山に一番影響を与えた人物が四学年上の関口苑生と目黒考二であろう。この二人がいなければ、彼も違った人生を送っていたかもしれない。ともあれ大学卒業後、一度も就職せず、それからのほぼ半世紀を、フリーの物書きとして過ごしてきたのだ。当時の事情については北上次郎(目黒考二)『書評稼業四十年』に詳しい。北上はその中で、エンターテインメント書評一本で食ってきた関口、新保、香山らを「書評三銃士」と呼び、彼らの大学を出て以来の軌跡が、この三十年のエンタメ書評界の歴史になると力説し、その流れを関口に書かせようとしていた。関口の死とともにこれが叶わなくなったことは本当に残念だ。
香山のその後の活躍に多言を労す必要はないだろう。「本の雑誌」「ミステリマガジン」はじめ各紙誌への連載、寄稿。多くの文庫解説、CSミステリー専門チャンネルでの司会、創設から二十四年にわたる『このミステリーがすごい!』大賞の選考委員、ハロオタ活動。
特筆すべきは目黒の推薦によって始まった「小説推理」の国内ミステリー書評を1983年から今年まで四十二年にわたって続けたことだ。1983年から1994年までの分は『日本ミステリー最前線』として上梓されている。
香山とは目黒考二が中心になった飲み会や、文学賞のパーティ、あるいはミステリー新人賞の選考会などでよく会っていた。ところがコロナ禍でそれが中断。だいぶ間が空いて何かのパーティで久しぶりに再会した時、あまりの変わりように驚いた。猫背がひどくなり憔悴という言葉がぴったりだったからだ。睡眠障害で投薬を受けていると聞いたが、そのうち回復するのだろうとあまり深刻に考えなかったのは迂闊であった。
香山は常に平らかな佇まいで、他者に対してとても穏やかだった。前に出たがるキャラクターではなく人望があった。彼は作品の要約がたいへんに上手で、あいつがいると選考会が円滑に進むと目黒考二は絶賛していた。それは文章でも同様で、彼の書評はストレスなく読め、俎上に載せた作品が一層魅力的に見えたものだった。
最後に会ったのが今年の6月14日、関口苑生の葬儀会場だった。終了後、有志でのお清めの席にも顔を出していた。その一月後にも三橋らと飲んだという話も聞いた。
「小説推理」連載のマクラで「関口ショックが尾を引」(9月号)き、「エアコンレスの生活」で「グロッキー気味」(10月号)などと書いてあった。たぶん本があふれて交換工事ができなかったのだろうと教えられた。すぐにそこに想像が至らなかった己を恥じるばかりだ。
仕事に対しては真面目で、書く原稿も端正だったが、私生活はかなりズボラだったはずだ。ずいぶん前になるが、一度も確定申告をしたことがないと言われて、腰を抜かしそうになったことがある。安価な健康保険に入れる団体にも入会しなかった。たぶんマイナス分は生涯で数千万円に及ぶのではないか。
一報を受けた翌日に「小説推理」11月号が届いた。毎回三作品を紹介するのに、前月は二作、今月は一作きりの紹介だった。他の本を読む余地がないほど弱っていたのか。それを押してこの原稿を書き上げたのか。乱歩賞受賞作・野宮有『殺し屋の営業術』の見事な書評を読みながら、香山二三郎を偲んだ。ただただ悲しい。(文中敬称略)
(にしがみ・しんた ミステリー評論家)
波 2025年11月号より































