新潮 くらげバンチ @バンチ
対談 vol.9-1 ローマの大火と皇帝ネロ

*本稿は、『プリニウス7』の巻末に収録した「とりマリ対談(9)」の完全版です。


とり・みき(以下「とり」) 7巻は、西暦64年7月19日に起きたローマの大火、そしてプリニウス一行のアフリカ珍道中。主にこの二本立てで話が進行していきます。

ヤマザキマリ(以下「マリ」) 7巻の後半では、クーデター計画など、大火後の政局をめぐるゴタゴタを描いています。

とり ローマパートは史実を無視できませんが、アフリカのパートは思いきりファンタジー要素が強くなっています。砂漠で砂嵐が起きたり、ピラミッドが出てきたり、よりスペクタクル。ピラミッド内部のシーンもあり、そこでは「インディ・ジョーンズ」的なドタバタ活劇が繰り広げられます。一方、ローマパートは非常にキナ臭くて重苦しい政治劇です。

マリ そのコントラストをはっきりつけようと、最初から話をしていましたね。ローマがあんな状況なので、プリニウス一行の旅は全く違う感覚のものにしたいというのがありました。インディ・ジョーンズ的な展開は何度か入れたいね、とは話していたんです。ピラミッド内部でのシーンは、とり先生が4分の3ぐらいのネームというか動きを担当されています。

とり 映画における「第二撮影班」みたく分業で。

マリ はい。今回、「第一撮影班」は、ローマのグチャグチャした人間模様を担当し、「第二撮影班」はピラミッド内でのドタバタを担当しています。

とり マリさんは、そうしたローマでの人間関係を描いていて嫌になったと言っていましたよね。

マリ 陰謀の中にもそれぞれの私欲やら妬みやらが重なって、どんどん気持ち悪くなってきちゃって。人間ってのは本当に嫌な生き物だなあとしみじみ思いました。ローマの大火についていろいろな史料を読んだのですが、その多くが「ネロ主犯説」。こうした記録を残した歴史家なんてのは当時はフィクション作家みたいなもんですからね、売れ線狙いであれこれ書込む。あれこれ事実でもあるのだろうけど、もういい加減、その見立てはやめてくれと。

とり 最近はだいぶ見直しがされるようになりましたが、まだまだネロが自分で火をつけて、音楽を奏でながらそれを優雅に眺めていたなんて話が通説としてまかり通っていますからね。

マリ  「ローマが燃えているぜ、イエーイ!」なんて、いくら何でもネロが言うわけないのに......。どうしてもネロというのは「悪徳皇帝」として描かれがちで、その最たるものが、「ローマの大火の主犯で、自作自演だ」というもの。でも、ネロは周りの人間に利用され翻弄され、どんどんそのポジションを乗っ取られていった人なのだと、私は考えています。しかし、そのプロセスを丁寧に描かないと、結局これまでのステロタイプのネロ像を踏襲してしまうことになる。その意味では、ジェラール・ヴァルテルの書いた『ネロ』(山崎庸一郎訳、みすず書房)は説得力があって、参考になりました。

とり 何百年もの間キリスト教迫害の敵役にされてしまって、映画『クオ・ヴァディス』で描かれたような「悪徳皇帝」のイメージが根深く浸透していますからね。いまだにそのイメージは引きずられていますが、近年になって、その反動からか、ネロを善良で悲劇の主人公として描く海外ドラマも出てきました。

マリ どちらも極端ですよね。ネロは別にとても良い人ではなくて、どちらかというと駄目な奴(笑)

とり その意味では、マリさんによる新しいネロ像は面白いですね。

マリ 繊細で芸術家肌ではあったけど、決して強い性格の持ち主ではなかったと思います。例えばギリシア文化に傾倒しているところは、後世のハドリアヌスにも似ていますが、だからといって彼ほどの知性と教養があったようには思えないですね。情動的で、感傷的で、寂しがりやで。そんな性質のために周りに良いように利用されたんじゃないかと思うんです。弄られやすいタイプ。だからこそ後世になって、散々な言われようをするのかもしれない。

とり 『プリニウス』を描き始めた当初は、こんなにネロをフィーチャーするとは思わなかったですよね。

マリ 全く。厄介な時代背景だなあ、いろいろ大変そうだなあとは思っていたけど、プリニウスを主人公にしたマンガで、ここまでネロのことを調べて描かなければいけなくなるとは想像していませんでした。でも、始めるとネロのことを軽く扱うことはできない。もはやプリニウスとネロが、〝ダブル主人公〟の状態になってきました。

とり ネロが死ぬまでは、そうなるでしょうね。さらに7巻では、ネロの側近であるティゲリヌスも大きくフィーチャーされています。この人は完全に奸臣というか悪役っぽく描かれていますが。

マリ ティゲリヌスをこんなに大きく扱うとは、ネロ以上に想像していませんでした。歴史家も深くはこの人物を掘り下げていませんが、断片的なイメージからだけでも、正直言って、あまり描きたくない人物(笑)。でも、ローマの大火前後のプロセスを描こうとすれば、そうせざるを得ない。

とり 7巻では完全に"第三の主人公"みたいになっています。

マリ 「本当の悪人」というのは、ネロではなくこういう人ですよね。自分がリスクを負わないで、いつも陰でこそこそ動く。

とり 誰かモデルがいるのかな(笑)。でも、彼はおそらく彼なりの論理でローマのためになると思って行動している。

マリ そのティゲリヌスがユダヤ商人と手を結んで、まだ新興宗教だったキリスト教を追い落とすため、大火の罪を彼らになすりつけようとする――というストーリーは、まあフィクションではあるのだけど、十分にあり得る話だと思いますけどね。


 

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