@バンチ
プリニウスを探して―ナポリ「炎上」旅行記― vol.2

「では失踪します」

 旅は、9月14日の朝、「では失踪します」という、とりさんのツイートから始まった。2週間(実は取材のため)日本を留守にするという宣言だが、吾妻ひでおさんの名著『失踪日記』が踏まえられている。空路20時間、ミュンヘン乗継でカポディキーノ空港到着夜9時。滲んだような美しい月に歓迎されて、翌朝から取材開始。

ヴィスヴィオ火山博物館
 まず、訪れたのはヴェスヴィオ火山博物館。1822年に14キロの噴煙を上げた後の1845年、フェルディナンド2世の命により建設された火山観測所を改装した由緒正しい建物である。開館より30分ほど早く到着してしまい、廃墟状態で派手に素人ペインティングされている謎の建物で火山やナポリ湾の景色を楽しんでいると、2人組の警官が近寄ってくる! そういえばさっき背後から警告らしきクラクションが鳴っていたか、と気づいたものの、いきなりの緊迫。しかし、「この建物を出なさい。ほら、割れたガラスが飛び散ったりしていて、危ないだろう。君たちのために注意しているんだ」と追い出されただけでセーフ。

 さらに10分ほど、事務所の前で、人に近づいてくる子猫と戯れ、甘えた鳴き声を聞きながら「お腹減ってんじゃない」とか噂していると、いい感じに肥えた中年男が現れまくしたてた。「猫じゃなくてオレのほうが腹ぺこだ。この辺、日曜日はみんな店が閉まっていて何もないんだよ」。何はなくても、ちょっとふざけ気味に話しかけてくるのが、ヤマザキさんの大好きなイタリア親父の特徴だ。警官コンビの登場といい、いきなり、ナポリの洗礼を受けた気分である。

パラート研究員にレクチャーを受ける一行
 開館時間通りに扉は開かれ、ルイージ・パラート研究員がレクチャーを始める。19世紀後半、ヴェスヴィオ火山観光は世界的なブームを呼び、1880年、山頂まで結ぶケーブルカーが開設された。世界最初のCMソング「フニクリ・フニクラ」で知られるケーブルカーである。1944年の噴火により全線不通になるまで、ブームは続いた。今は森閑と静まり返ったこの地もかつては賑やかで、さっきの廃墟はホテルだったという。

廃屋ホテルにて。かつては火山観光の客で賑わった
 紀元79年の大噴火についての講義は刺激的だった。まず、噴煙は35キロ上がったので、1944年の噴火より圧倒的に規模が大きかったこと。そして、プリニウスの死因は、小プリニウスの手紙に書かれている「窒息」ではなく、200度ほどの熱波や灰を吸い込んで肺や呼吸器の細胞が一気に損傷したショック死だったという。一方、火砕流の温度は500度以上で、速度は百キロを超えるほどなので、ポンペイとエルコラーノの死者たちは、あっ、と声を上げる間もなかっただろう。

「熱波と火砕流、どっちで死ぬのがいいですか?」

「比べようがありませんよ ......」

(以下、ヤマザキさんの発言はY、とりさんの発言はT、編集部はH)


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