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プリニウスを探して―ナポリ「炎上」旅行記― vol.3

イタリアと日本の共通点

 ヴェスヴィオは紀元前217年頃に噴火しているが、住民にはその記憶が残されていない。紀元62年に大地震に襲われて大きな被害を受けた際も、噴火の前兆現象と考える人など当然おらず、周囲一帯は復興工事の最中だった。

日本とイタリアは地震と火山の国
「日本とイタリアは、地震と火山の国という点でとても似ているんです」

「火山とつきあいながらすぐ近くで生きていくのは阿蘇や桜島と住民の関係を思い出します。さっき、ガイドさんも本気でこの辺の地震を怖がっていましたね」

 とりさん、熊本県の人吉出身なのだ。 5キロ離れたエルコラーノを火砕流が襲ったのは噴火1日目、10キロ離れたポンペイを襲ったのは2日目だったため、死に方にも違いがある。ただ逃げ遅れただけのエルコラーノと違い、ポンペイの死者は宝石や荷物などを取りに戻ったところを火砕流に襲われた。

「東日本大震災の時も、津波が来る前に家へ様子を見に帰って亡くなった方が多かったでしょう」

「2000年前でも色んな教訓があるということですね」

 ヴェスヴィオの噴火をテーマにした作品としてもっとも有名なのは、1834年に書かれたエドワード・ブルワー=リットンの『ポンペイ最後の日』だろう。何度か映画化されているが、DVD化されている1935年のプレストン・フォスター主演版を見ると、当時としてはセットや特撮も頑張っているはずだが、どうにも......。 (この取材以降に映画『ポンペイ』が公開。こちらは最先端のCGで迫力満点の噴火と被災シーンが描かれていたが、史実や火山学的には首をかしげるシーンもあった)

 最近の収穫では、若き水道管技師を主人公にするという意表をついた設定が魅力のロバート・ハリス『ポンペイの四日間』が注目株だ。古代ローマ文化や地質学などの最新の研究成果を踏まえ、現地取材も行き届いていて、モデルになっている場所や建物が特定できる仕上がりで、ガイドのアントネッラ・ラニエリさんともこの小説の話で盛り上がった。

「どうしても、ロバート・ハリスの小説とイメージが重なりますね」

「ハリスもきっとこの近辺の取材で同じ話を聞いている、という気がします」

 この博物館には19世紀イタリアの火山観測の歴史のすべてがある。展示中の2代目所長ルイジ・パルミエリが開発した世界初の電気式地震計は日本の外務省から2台、注文する手紙が残っている。

「イタリア人は科学と芸術が手仕事で結びつくんです。そこが好き」

「ということはこの機械、東大とかに残ってるんじゃないかなあ」

 帰国して調べてみると、東大ではなかったが、気象庁で使われていた。こちらも日本で最初に地震観測に使われた計器で、1875年頃、今のホテルオークラの辺りに設置されていたという。U字型ガラス管に水銀を満たして浮かべた鉄球のウキやバネで地震を観測する、遊び心に溢れた美しい機械。イタリア車の魅力を思い浮かべると、納得の言葉である。と、ここまでずっと日本語で会話しているようだが、研究員の説明はもちろんイタリア語、我々はヤマザキさんの通訳により理解している。とりさんは現場で「取材ターミネーター」化し、ずっと動画を撮り続けていた。作画分担では主に背景や調度品などが担当で、締め切りギリギリでもとことん本物の資料写真を探し続ける作家だから当然の備えである。

「サン・マルコ荘」の壁画は今も美しい
 次に訪れたのはスタビアエだ。古代ローマ時代の別荘地であり、ヴェスヴィオを挟んでナポリの対岸に位置しており、今は貴族のお屋敷が何軒か発掘されている。最初に足を運んだ「サン・マルコ荘」は、その趣味の良さから、ヤマザキさんがプリニウスの最期の宿泊地「ポンポニアヌスの別荘」だと想定している屋敷の跡である。

「ああ、ここに泊まりたい!」

 なるほど、まず水を貯めるアクアリウムがあり、円柱に囲まれた中庭にプールがあり、という典型的な古代ローマ様式で、海に面した立地の屋敷だが、華美に走っていない。床のモザイクの模様もモダンなシンプルさで、壁に描かれた鳥などの小動物も愛らしく、残されている部分だけでも快適さが想像できる。

「この家の人、お風呂が大好きだったはずです。仕組みも最新式だし、何より、家の大きさの割にお風呂が大きいでしょう。入りたい......」

 今は壊れてしまっているが、優に20畳を超えるお風呂スペースは贅沢である。

「花瓶や果物が騙し絵のように壁に描かれていますね」

「古代ローマ人は、手に入れられないものは絵に描くんです」

 ヤマザキさんは遺跡から人となりを言い当てるという特異な能力を育んでいる。この屋敷の住人は、プリニウスが大噴火の中でも船で救助に向かいたくなる高貴な精神を備えていたに違いない。

「ブレーメンの音楽隊だ」(とり・みき氏撮影)
 屋敷を出て周囲を見渡すと、ヤギとニワトリとイヌと猫が一緒くたの檻を発見し、ヤマザキさんが指さした瞬間、

「ブレーメンの音楽隊だ」

 とり・みきギャグが炸裂した。爆笑している処に、われわれ一行に続き、同レベルの熱心さで壁や建物をヴィデオ撮影していた日本人の若き古代ローマおたくがやってきて、ヤマザキさんはサインを求められる。ヤマザキさんによれば「イタリアにいるほうが、『ヤマザキさんですか』って声をかけたり、サインくださいって言われる」とのことだが、その前に、とりさんと若者の間で「あれ、ヤマザキさんですよね」「はい」「声で分かりました」という会話があった。

 もう1軒、近所のアリアンナ荘を見学した。元漁師の太った親父が管理人で、こちらも福福しい黒猫のアリアンナがついてくる。ナポリの近辺は小動物との距離がとても近い。管理人が「ここは水槽で、古代ローマ人は魚を養殖していたんだぜ」と解説。

「これまた『ロバート・ハリスは(ここを)見た』ですね。たぶん」

「ロバート・ハリスが見たものを(我々は)見た」

 という1日を総括するギャグがまた飛び出した。読まれた方はご存知かもしれないが、『ポンペイの四日間』の話は、大金持ちの悪役がウツボを水槽で飼い、その中に奴隷を沈めて殺そうとする、というエピソードから始まる。ハリスもまた、この屋敷に来て設定を思いついたに違いない、と納得し、一同爆笑である。


 

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