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新潮ミステリー大賞

主催:新潮社 後援:東映 発表誌:「小説新潮」

こんな作品を求む!
「新潮ミステリー大賞」事務局座談会

A……新潮社の編集者。旧「新潮ミステリー倶楽部賞」以来、新人賞の事務局歴は20年になる。
O……新潮社の編集者。「新潮ミステリー大賞」事務局メンバー。文芸編集者歴10年。
K……東映の映画プロデューサー。映画、テレビの脚本作成から現場制作まで一貫して行う。プロデューサー暦20年。
R……東映の映画プロデューサー。「新潮ミステリー大賞」の初回より応募作を読み続ける。プロデューサー暦10年。

【目次】
――小説と脚本はどこが違うか?
――応募原稿のどこを見るか?
――映像化しやすい作品、しにくい作品
――新人賞に傾向と対策はある?
――こんな作品を求む!

○ 小説と脚本はどこが違うか?

A まずは、ざっくばらんに、予備選考にかかわった印象をお聞かせ下さい。お2人は映画のプロデューサーですから、小説の新人賞にかかわるのは初めてですよね。いかがでしたか?

K 原作探しで、本は日頃から読んでいるんですが、世に出る前の原稿を読むのは初めての経験でした。

R これだけの数の人が、ゼロから物語を考えて小説を書く、ということにまず驚きました。しかも長編ですから、書き上げるだけでも大変ですよね。

A お2人は、脚本の世界の新人賞である「城戸賞」の下読みを長いことされているそうですが、脚本と小説で、一番違うところって何ですか?

K 「城戸賞」の下読みで私が一番重視するのは、「技術」なんです。脚本というのは映画の設計図なので、映像になり得るかどうか、俳優がちゃんと演技できるか、そこまでを含めて読む。だから、極端なことを言えば、どんなに話が面白くても、映像化できないものはダメなんです。

R 脚本は、絵になることが前提で、逆に言うと、心理描写を入れる余地はないんですよ。行動と台詞の連なりで、心情を伝えるしかない。でも、小説は登場人物の内面をたっぷり書ける。そこが一番新鮮でした。

K 小説の方で印象的なのは、選考会で必ず「この人は、この先作家として長く書いていけるかどうか」という議論があることですね。脚本は、どこまでいっても映画の「一部」なんです。「設計図」ですから、一回完成したらそれで終わり。
 だから、テレビや映画のシリーズでも、様々な事情で前の人が書けないとなると、別の脚本家を立てて繋いでいくことになる。その辺はクールですね。

O 映像は集団で作るもので、小説は1人で書くもの、その違いですかね。

R 小説家は、ゼロから1を作る。それがすべて、って世界ですもんね。

A 映画だと、脚本家の名前より、監督や俳優の名前が前に出ることが多いですよね。

O テレビドラマは、脚本家の名前で見ようと思うことってありますけど、映画ではあまりないですね。

R 今は、映画よりテレビの方が、脚本家の地位が高くなってる印象がありますね。

K それは単純な話で、映画が、昔ほど脚本家を大事にしなくなっちゃったってことなんです。今は、原作物が増えて、製作委員会方式になってますので、原作者の意見、俳優の希望、スポンサーの意向を聞いて、それを上手くまとめられることが、脚本家の条件になってきている。クリエイターというよりも、本当に、「設計者」なんです。
 原作のエキスを抽出して、いかに映画として独立した作品に変換するかという考え方も、昔からありますが、今は、原作と同じであることが求めれる傾向が強い。漫画原作でより顕著なんですが、キャラクターはもとより、フレームの構図まで同じであることをお客さんが求めている。脚本家の役割そのものが、変わってきてるんです。

R それは、若干偏りがある見方かもしれません(笑)。 映画の規模にもよりますし、Kさんは自分で脚本を書く人なので、よりシニカルに脚本に対しているという面はあると思います。プロデューサーでも、自分でまず脚本を書いてみる人もいれば、僕みたいに自分では書かない人もいる。

K 脚本は設計図なんですよ。だから、実際に書いてみて、どのくらいお金がかかるのか、実際に映画として成立するのか、を検証してみるんです。例えば、「ビルが倒れた」って一行書いてあるだけでも、実際にやろうと思ったら、VFX使って、一体いくらかかるんだ、と。そういう地道な検証作業でもあるんです。

A その設計の段階で、「これは無理だな」と、お蔵入りにしちゃうこともあるんですか?

K その方が圧倒的に多いですね。

R 設計図ができて、「これならいける」って撮り始めたものの、途中で設計図を書き直さなきゃいけないこともあります。予算とか天候とか俳優のスケジュールとか、不測の事態はいくらでも起こりますから。

○ 応募原稿のどこを見るか?

A さっき、「城戸賞」では「技術」を見る、というお話が出ましたけど、僕ら編集者は、テクニカルな面って、後からどうにかなると思ってるところがあるんですよ。筋トレみたいなもので、書けば書くほど上手くなる、と。
 それよりは、ポテンシャルを見ようとするんですね。例えば、点数にすると70点くらいで、良く書けてるけどプロでもっと上手い人沢山いるよね、という作品には厳しい。文章は下手だけど、発想がとんでもなくて、「こんなの読んだことない」とか「よくこんなこと思い付いたな」という作品に魅力を感じてしまうんです。将来、とんでもない作品を書くかもしれない、と。

O ○○二世を目指すよりは、下手でもいいから、一世であることを、まずは目標にして欲しいです。
 また、脚本と逆だなと思ったのは、心理描写をこってり書きすぎる傾向が強い。伝わらないのが不安で書きたくなってしまうんでしょうが、内面ばかり書いてあると、スピード感が殺がれてしまうこともあります。

A 新入社員のとき、配属された先の編集長が、「文章は削れば削るほど良くなる」というのが口癖で、刷り込みのように教え込まれたんですが、実際その通りだと思う。心を鬼にして、削る方向で推敲できるかどうかは、とても大事だと思います。

O そもそも、推敲してから応募して欲しい、というのもありますね。誤字脱字が多い原稿は、それだけで萎えますからね。

R それは、脚本でも一緒ですね。

O 締め切りギリギリまで書いてるんでしょうけどね。

A でも、締め切りに間に合わせるんじゃなくて、自分の中で「完成した」と思えたものを出して欲しいですね。
 ある作家は、新人賞に応募するとき、書き上がった原稿を1年間推敲してから応募したんだそうです。1年とは言わなくても、せめて1ヶ月くらいは推敲の時間をみて欲しい。
 ポテンシャルを見るというのと矛盾してると思われるかもしれませんが、技術が未熟なのと、推敲してないのとは別の話です。

R 小説は、書き方の「型」みたいなものってあるんですか?

O 特にないんじゃないでしょうか。皆さん、それぞれですね。

A 小説教室とかは沢山ありますが、でも、「こうじゃないとダメ」という定型はないですね。1つだけ大事なことがあるとすれば、「書きたいことがある」ということでしょうか。
「作家になりたい」のか、「小説を書きたい」のかは、まず最初に一回考えて欲しいなと思います。デビューできなくても、書きたいから勝手に小説を書くくらいの人でないと、長く書いていくのは難しい。一部の売れっ子以外、本はそんなに沢山売れるものじゃないですから、筆一本で生活するのは大変です。

O 新人賞の受賞者に、まず「仕事辞めないで下さいね」と言うというのは、都市伝説ではなくて、本当の話です。

K 表現の世界は厳しいですよね。映画業界もまったく同じです。我々は、プロデューサーなんて格好のいいこと言ってますが、その実、やってることは雑用の嵐で、一本撮るとボロボロになります。
 若い人から、「プロデューサーになりたいんです」なんて言われることもありますが、プロデューサーになることと、映画を一本作ることは、まったく別のことなんです。

R 映画の脚本も、もちろん書き方は自由なんですが、俗に「大箱」という、結末まで見通した全体の枠組みを作ってから、中を細かく割っていくっていうのが、オーソドックスですね。

A 「新潮ミステリー大賞」なんで、ミステリーの新人賞に特有の事情を言えば、ミステリーは物語の枠組みを作りやすいんです。そこは決まっていると言っていいかもしれない。謎があって、伏線を回収して、解決する。恋愛小説や青春小説なんかは、始まりや終わりで苦労するかもしれませんが、ミステリーはそこがはっきりしている分、物語を作りやすいジャンルかもしれません。

R でもその割に、そういうシンプルな原稿って、あんまりないですよね。

A そうなんです。かといって、変化球というわけでもなし。やはり「ミステリー」の名を冠した新人賞なんで、ミステリーとして面白いもの、企みのあるものを読みたい。小説としては下手でもいいから、なんとか驚かしてやろう、騙してやろうという、野心に満ちた作品を。

O 残念ながら、そういう作品はそんなに沢山来ない。

R シンプルな構造のミステリーって難しいんですかね。大抵の作品は、入れ子構造というか、シンプルな謎一つだけじゃなくて、色々と複雑に絡んでくるじゃないですか。

A シンプルなネタ一つで長編を書こうと思ったら、そうとう大がかりじゃないと持たないんですよね。だから、自然といくつかの要素を組み合わせることになる。

○ 映像化しやすい作品、しにくい作品

K 今まで一作も映像化できていないのは本当に申し訳ないと思っているのですが、実は、この第4回は、第1回のときと同じくらい、映像化したい作品が多かったんです。
 第1回は、始まりの熱量みたいなものがあって、多様な作品が集まったからだと思うのですが、それから回を重ねて、今回は是非映像化したいと思える作品が多かった。受賞作は残念ながら出なかったけれど、賞そのものは確実に育っていると感じることができました。

O 映像を企画検討する側から見て、「映像化しやすいと思える作品」ってどんなものですか?

K テレビで言えば、事件物で、キャラクターが立っていて、そのまま2時間ドラマに出来そうなもの、というのが一つありますよね。映画に関しては、そういうミステリーの要素の他に、もう一つ大きな何かが必要だと思うんです。

O 社会背景とか、情念とかですかね。

K そう、書き手の持っている強い思いや経験ですね。

A 表には直接現れて来ない、込められた思い?

K そうですね。

R 脚本化して、具体的な企画検討にまでいってるのは、そういう作品ですね。

A 確かに、「この人は本当にこれが書きたくて書いたんだな」というのは分かりますよね。歪だけど魂が込められてる、というか、歪であるが故に、そう感じる。

R ただ、そういうのって、往々にしてそっちの思いが強くなって、ミステリーの面が縒れてしまってるんですよね。

O あるいは、書きたいことを無理矢理ミステリーの枠にはめ込んだせいか、ミステリーとして、あまり上手くいっていない作品もありますね。

A そこは確かに難しいんですが、「新潮『ミステリー』大賞」であることだし、これから長くプロとしてやっていくためにも、頑張って欲しいところです。

O 我々としては、記念受賞で終わってもらうつもりは毛頭ありません。長く第一線で書いてもらいたいと思って新人賞をやってますから。

A ある人が、新人賞の選考で一番見たいのは、本当は「改稿の能力」なんだ、と言っていました。編集者との打ち合わせとか、自分で推敲していて気づいたことなんかを、きちんと生かしてより面白いものにできるかどうかが、プロとしてやっていくのに一番大事なことだ、と。

R 選考会でも、「ここをこうしたらもっと良くなるのに」という話は結構出ますし、受賞作はそのアドバイスで改稿されますよね。

O でも、新人賞の応募原稿では、その改稿の能力までは残念ながら分かりません。

A 応募前の原稿は、出来れば周りの誰かに読んでもらうといい。あしざまに言われて腹が立つこともあるだろうけれど、渾身の描写を冗長と言われたり、主旨が全然伝わっていないことが分かったりして、発見や勉強になることは多いと思う。

R 「新潮ミステリー大賞」は、最終候補に残った人達には、それぞれ編集者が付くんですよね。

A そうですね。それは、この賞に限らず、他の新人賞でもずっと前からそうです。

O 最終候補に残ると、連絡係は絶対必要になるので、そのまま担当になるんです。一番推した編集者が連絡係になることが多いので、ちょうどいい。

A そして、会えるようなら、選考会の前に一度会うように言ってます。

O 感想を伝えて、「今回は残念な結果になっても、また来年出して下さいね」という話をします。そして、「原稿も読みますし、何でも相談して下さい」という話もします。

A とはいえ、実際に原稿を読ませてくれる人は、あまりいないんですけどね。事前に原稿を読んだからといって、次回新人賞の選考過程で優遇されることはなく、他の皆さんと一緒に最初からスタートです。そこはフェアにやってます。でも、最終候補に残れば担当が付いて、プロの編集者の意見を聞けるというのは、結構大きなことじゃないかと思います。

O そうやって遣り取りしている間に、他社の新人賞でデビューする人もいますが、それはまったく構わないんですよ。むしろ、デビューしてくれて嬉しいくらい。

A 余所でデビューしたら、今度はプロの作家として一緒に仕事すればいいわけですから。多少なりともかかわった人がデビューしたら、喜びこそすれ、裏切り者なんて思う人はいません。

O だから、一回縁が出来たら、遠慮しないでどんどん相談するなり、原稿を送るなりして欲しいですね。

○ 新人賞に傾向と対策はある?

R ミステリーの中にも、ジャンルとかあるんですか? なんとなく、ラノベ的なものがよく読まれてる印象があるんですが。

A 応募原稿の多くは、今人気のある作品の系列に属するものですね。

R 今回は医療ものが多かったですね。

O 応募原稿を読むと、今世間で人気のあるジャンルが何なのか、よく分かります。

A でも、そういう世の中の流行り廃りとは関係なく書いて欲しい、と本当にそう思います。例えば、今「○○」が流行ってるからという理由で、調べてそういう作品を書くとします。構想を練って、書いて、応募して、受賞して本になるまで、どんなに速くても2年はかかる。出る頃には、もう流行は終わってるかもしれない。

O 自分で流行を作るくらいの気持ちがないと、長くはやっていけないかもしれませんね。

K 今まで見たことのない世界、読んだことのないもの、ってことですね。「城戸賞」に応募されてくる脚本でも、「今どきのエンターテインメント」という作品は多いです。そこを突き抜けたものを、僕らは脚本に求めていて、気持ちはまったく同じですね。

O 流行り物だったら、プロの方がやっぱり上手いんですよね。

A ミステリーって、謎があって、手掛かりがあって、伏線を回収して、論理的に解決する、という物語のはずなのに、肝心の部分がふわっとした作品が多いんです。大した伏線もなく突然解決しちゃうとか、変人はいっぱい出てくるけど、謎らしい謎がないとか。

O キャラが立ってるというよりは、変な人がいっぱい出てくるって話が多いですね。読者は普通の人なので、一般人が寄り添える登場人物が、最低一人はいた方がいいと思います。

A バディものが流行っている1つの理由はそこですよね。エキセントリックな人を1人で出すと、単なる変人になっちゃう。だから、普通の人と組ませて、その人の視点で語らせることで、才を際立たせるんです。ホームズだって、ワトスンがいなかったら、ただの偏屈な人ですから。

K 小説に限らず、映像の方でも、その傾向は強いですね。犯人側の事情のヴァリエーションはほぼ出尽くして、今は探偵役、警察側の方に、特殊能力とか、特殊事情を付けるようになってきている。
 これも、早晩限界がきて、見ている方は食傷気味になっていくと思います。となると、やはり「ミステリーって何だろう」という、根本に立ち返ったところにある面白さが問われるのではないか。

A 発想は面白いのになあ、という残念な作品もあるんですよね。ミステリーには、暗黙の了解というか、約束事がありますから、そこは外さないで欲しい。

O フェアとかアンフェアとか?

A そこまでいかなくても、ちゃんと伏線張ろうよとか、謎は謎らしくしようよとか、そういったこと。ミステリーと銘打たれた作品は、読者はそのつもりで読みますから、読んでも読んでも事件も起きなければ謎の一つも出てこないと、「これ、本当にミステリーなのかな?」と、不安になってきちゃうんですよね。

O 何も起きなくて読ませる作品もありますが、それは物凄く力量がいるし、冒頭に謎を置いて悪いことは一つもない。

A ミステリーの多くに、なぜ「プロローグ」があるのか、ということなんですよ。

O 後から事件が起こるのであっても、その場面を「プロローグ」として頭に出すことで、「ああ、こういう事件がいずれ起きるんだな」と安心させることができます。

A 登場人物の紹介も、最初の30枚でベターッと単調に書くんじゃなく、出番のときにその都度書くとか。そういうことも考えて欲しいですね。自分が本を読んでいて、「たるいな」と思ったら、なぜそうなのか考えて、同じ事をしないのが大事です。

O あとよくあるのが、最後の方で急に手掛かりとか伏線が一杯でてきて、スピード解決してしまうタイプ。伏線は、頭から満遍なく、バランス良く張って欲しい。最初の方に、堂々と大胆な伏線があるのって、あとから気付くと格好いいんですよ。

A 読み手は、これから何が起こるか分からない状態で読んでますから、何が伏線かも分からない。相当露骨に伏線張っても、まずバレることはありません。

O 怖々と伏線張っても、気付かれないし、覚えてて貰えないですしね。

R 何か一つでも「やられた」というのがあれば、印象は違うんですよね。

A それから、沢山本を読んで欲しいなとは思いますね。ミステリーの新人賞に応募するのであれば、ミステリーを沢山読んで欲しい。色々読んでいる中で、「こういうことがネタになるんだ!」という発見の瞬間ってあると思うんですよね。

O そうしたら、「じゃあ、こういうことがネタになるかもしれない」と、発想の幅が広がるはずです。

A そういう基礎体力のあるなしで、アイディアの限界も変わってくると思うんです。

O トリックの前例があるかどうかも、読んでないと分からないですからね。

A 自分が思い付いたと思ったネタでも、前例があれば、「○×と同じ」と言われてしまいますし、酷いときは「パクり」と言われ兼ねない。もちろん、まったく同じじゃないにしても、あまりにも似た前例があったら、選考の場で有利に働くことはありません。

O ネタに関して言えば、「最初にやった人が偉い」というのがある。先駆者特権というか、知的財産みたいなものですね。ただ、同じネタだったら、今風にアレンジした方が、絶対に面白くなるのは確かですね。時代も社会背景も違いますから。

A 完全にオリジナルなネタなんてもうない、という人もいますが、そこはアレンジとヴァリエーションだと思うんです。根幹は一緒でも、同じように感じさせない見せ方や処理はある。そのためにも、沢山ミステリーを読んで欲しいですね。

O 最終候補になった方に会うと、時々、ミステリーあんまり読んでないんです、と言われたりするんですが、今からでも遅くないから、どんどん読めば良いと思います。

A 「ミステリー」の名を冠した新人賞にこだわった理由というのは、明確にあるんですよ。ミステリーが書ける人は、他のジャンルも書けるんです。
 ミステリーって、論理的に作らなければいけない物語で、高い抽象論理構築能力が要求されるんですね。伏線張って、ロジカルに解決する、という。

O 物語を論理的に完結させられるということは、どんな物語でも、面白くまとめられるってことなんです。

A 伏線とその回収、というのは、言い換えれば、エピソードの呼応。どんなエンターテインメントにも応用できる。

O エンターテインメントって、多かれ少なかれ、「なぜだろう?」と思わせるような謎の要素が、物語の吸引力になってますよね。

A ミステリーの新人賞から出て、その後色々なジャンルを書く人は結構いますが、皆さんちゃんと活躍されてるのは、やはり物語作りの基盤がしっかりしてるからだと思うんです。

○ こんな作品を求む!

A 「新潮ミステリー大賞」の特徴の一つは、映像関係の方が、かなり早い段階から原稿を読んでることじゃないかなって思うんですよね。

O 最終候補になる前の段階から、映像関係の人達に読んでもらえるって、そんなにないんじゃないでしょうか。

R 我々映画部のプロデューサーだけじゃなくて、色々な部署の人が読んでます。テレビ部でも、配信ドラマを作る部署でも、読ませてもらってます。

A そこでの話を応募者にフィードバックできないのは辛いんですが、本当に皆さん真剣に読んで検討してくれているので、安心して応募していただきたい。

K まだ映像化できた作品がなくて申し訳ないのですが、今でも心に残っていて、「チャンスがあれば」と企画として暖め続けている作品も、いくつもあるんですよ。

A 自分の作品が、見ず知らずの人の心に残り続けるって、なかなか凄いことですよね。

O 矛盾するようですけど、編集者としては、映像ではできない、小説でしかできない作品を書いて欲しいという気持ちがあるんです。でも、そういうこととは関係なく、今まで誰も書いてこなかった世界を、小説で見せて欲しいと思いますね。

A そして、皆さん勘違いされてるかもしれませんが、「ミステリー大賞」なんで、ミステリーの部分を一番重視したい! ということは、ここでもう一度強くアピールしておきます。

O ミステリー部分が強ければ、他はいくらでもアレンジできるから、むしろ映像化に向いてる、って聞きますね。

R 「相棒」を立ち上げて、推理ドラマを何百本と作っているプロデューサーは、キャラクターはいくらでもアレンジできるから、メインプロットが一番大事なんだ、とは良く言ってますね。

K プロットの部分が不完全だったり、魅力がないと、そこから作らなきゃいけないから、非常にしんどい。

O そうなると、原作である意味がなくなりますしね。

R 新人だと、どうしてもその辺が臆病になっちゃうんですかね。

A むしろ、新人だからこそ、ぶっ飛んだことにトライして欲しいですね。今売れてるテーマとか、今までの受賞作の傾向とか、そういうつまんないことは一切考えないで、「これでも食らえ!」というくらいの気持ちで、作品を送りつけて来て欲しい。

 では最後に、「こういう作品を求む」というのを、一言ずつお願いします。

K 映像化しやすい作品って何だろう、と分析して書かれるのが一番嫌ですね。逆に、「できるもんならやってみろ」という、どうやって映画にしたらいいんだ、と思えるような作品が読みたい。そういう作品を読むと、やってやろうじゃないかと、映画を作る人間は燃えると思います。

R 作為的に書くよりも、「自分の中を素直に掘っていったら、最終的にここに辿り着いた」、というような世界が読みたい。それが結局、驚きに直結してるんじゃないかと思うんです。

O 僕は、読んだことないものを読みたいですね。「こんなのありか!?」というぶっ飛んだ作品、好きなんです。

A 僕はシンプルに、「つまんないこと考えないで、書きたいことを書いて下さい」、というのを改めて言いたいですね。もちろん、ミステリーで。
 そして事務局の立場からは、「『新潮ミステリー大賞』には、傾向もないし、何が有利とか不利とかもありません!」というのを、最後に強調しておきましょう。
「自分が賞の傾向を変えてやる!」くらいの気持ちで書いてくれたら嬉しいですね。

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