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Fieldwork 谷川・岡谷両氏と南島を行く
 11月2日から4日まで、台風20・21号の影響で、晴れたり曇ったり土砂降りになったりと、めまぐるしく天候の変わるなかを、谷川健一氏、岡谷公二氏らと、南島を旅した。
 初日午後は、宮古島上野村宮国での第七回「宮古島の神と森を考える会」(会長は谷川氏。編集子は先に氏の取材に同行した縁で、本土側事務局長を仰せつかった)の講演とシンポジウムに参加。池間島ウパルズ御嶽(ウタキ)の後継ツカサ(神女)が選出されたのにもかかわらず、拒絶にあって、神祀りが途絶えているのを筆頭に、過疎と開発の狭間で宮古島各集落の「神と森」が存亡の危機に立たされている現状を踏まえ、各御嶽のツカサ、元ツカサを囲んで、真剣な討論がかわされた。谷川、岡谷両氏は、30年以上も前から何度となくこの地を訪れ、本土では見失われた神への熱い信仰が今もって受け継がれていることに感動した代表的人物。いったん「神」を手放したら眼に見えないものへの畏敬は失われ、共同体は急速に崩壊することを強く訴えて、地元の人たちの共感を呼んだ。
 二日目夜は、同会宮古島事務局長佐渡山安公氏のオープンしてまもない窯場に併設された多目的ホールを会場に、谷川氏『神に追われて』岡谷氏『南の精神誌』(共に小誌掲載、新潮社刊)の合同出版記念祝賀会と交流会が開かれた。『奄美のシャーマニズム』『奄美説話の研究』などで知られる民俗学者山下欣一氏や平良市長の祝辞に始まって、地元の来賓と本土の来賓が交互にスピーチに立ったが、ハイライトは、会半ば『神に追われて』の主人公カナのモデル根間ツル子さん(カンカカリヤ=神がかりする人)が、あでやかな黄の大島紬に神の白い衣装を纏って現れたとき。
「神事以外で着るのは初めてだけど、今日は特別だから」という挨拶に、会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響き、あとは島唄や三線(サンシン)で盛りあがって、いつしか踊りの輪まで出来ていた。
 最終日は石垣島に場所を移して、今度は谷川氏とは旧知の島の郷土史研究者グループが主催する出版祝賀会・交流会が、石垣市内のレストランを借り切って開かれた。ここでは余興にプロによる琉球踊りや八重山古謡が披露されるなど豪華な宴になったが、この三日間、担当編集者、歌人、大学教授、民俗学者、研究所員など十数名の本土側参加者は、会の合間を縫って、谷川・岡谷・山下氏のガイドつきで、各地の御嶽や資料館をめぐってフィールド・ワークし、三氏の著書を実地におさらいすると共に、日本における南島の重要性を改めて学んだ。
 このかん一行は昼夜泡盛づけ、とりわけ谷川・岡谷両氏は意気軒昂としていて、さすが南島の風土にすっかり溶け込んでいたのが、印象的だった。

Reading Party カウンター越しの声に酔う
 11月18日夜、東京・新宿の「風花」にて古井由吉氏、角田光代氏による小説朗読会が催された。店は都内有数の文壇バー。カウンターとテーブル席ひとつの、小さな店内には、開演前から観客が詰めかけ、立ち見も含めて入場者は約四十名。
 演者ふたりは、客席よりも薄暗いカウンター内に椅子を持ち込み、朗読の準備。客も初めは演者とのあまりの近さに少々身構えるようだったが、辺りを見回し「僕らはいつもこうやって眺めてられてるんだな」と笑う古井氏の言葉に会場の空気も和らぐ。
 ところで、これまで幾つもの朗読会を行なってきた古井氏に対して、角田氏はこれが初めての朗読経験。持参した"梅酒の焼酎割り"入りのペットボトルで喉を潤しつつ、旧作「昨夜はたくさん夢を見た」(『ピンク・バス』収録)を読み始めた。生活に向き合う気概の乏しさを批判し、「放浪」の旅に出た知り合いの男を薄っぺらな「イメージ野郎」と煙たがる主人公の女が、後日旅先から送られた男の手紙に感じた、ある普遍的な懐かしさ。物語る角田氏は、役者修業の経験もあるだけに声量豊かにして発語明瞭。聴衆の心を巧みに旅へと誘い出すように語りつづけ、約三十分間の朗読を終えた。
 休憩をはさみ、古井氏が登場。新作の連作短篇集『聖耳』から「犬の道」を披露した。作品は中学生の「私」が散歩の折りに迷い込むように立ち入った寄席での体験がテーマ。橋大工の亭主が人柱代わりに養女の髪を一房橋脚に埋めるが、それを契機に養女は消息を絶ち、妻は突然亭主の身体を求める。同じ題目を繰り返す噺家と常連客の八畳二間の夢幻的な交流が語られ、グラスの音をたてるのもためらわれる静寂のなか、古井氏のときにくぐもり、あるときには調子を高めていく声の調子に、聴衆も主人公とともに、障子越しに噺家を覗き込むような気持ちで、息を詰めて聞き入った
 終演後は大きな拍手とともに、二人に花束が渡され、演者を囲み深夜まで歓談が続いた。今回の朗読会は、「風花」としても初の試み。ママの滝沢紀久子さんによれば、今後、年三回程度のペースで続けていきたいとのこと。次回は来年3月に古井氏と島田雅彦氏の組合わせで朗読会が予定されている。普段は一見さんお断りの店だが、こうした機会に店内の見物がてら、間近で小説家の語りを聴いてみるのも面白いだろう。詳しい問い合わせは風花(03-3354-7972)まで。

International meeting 欧米文芸編集者との懇談会
 国際交流基金、日本著作権輸出センター、日本の100冊翻訳の会の招きで、11月16日から29日まで二週間、欧米の編集者が来日した。一行はグローブ・プレス、ハーコート、ラーナー(米)、フェイバー&フェイバー(英)、セルペン・エ・プリュム(仏)、DVA(独)、フェルトリネッリ(伊)、レインコースト(カナダ)の八社。主に文芸書・児童書のベテラン出版編集者で、11月20日には、神楽坂の出版クラブ会館で、懇談会がもたれた。日本側からは、新潮社、文藝春秋、講談社、河出書房新社、幻冬舎、岩波書店、筑摩書房、偕成社、こぐま社、福音館が参加、「欧米の出版事情、日本の出版事情」をめぐって、四時間近く、熱心な討論が行われた。
 冒頭、日本書籍出版協会五味専務理事がわが国出版界の現状や再販制度問題について講演したあと、編集者側のトップをきってスピーチしたのは、小誌編集長。「新潮」が創業百年を越える文芸出版の老舗新潮社の創業以来の志を継ぐ「本誌」であること、最新号は1151号に達することなどを述べると、一斉に感嘆の声があがり、小誌が世界に類を見ない、現在まで最も長く続いている文芸雑誌であることを、改めて証明し、強く印象づける結果になった。
 続いて、「文學界」「文藝」の編集長、幻冬舎、岩波書店、筑摩書房、こぐま社、偕成社の幹部が、それぞれ自誌・自社の活動と編集方針を紹介したが、欧米出版編集者の関心は、日本の場合、エージェントが介在することなく、編集者がじかに作家と接触し、新人を発掘し、世に押し出すなど、その役割は実質上、エディター、エージェント、プロデューサーを兼ねている点に集中した。
 日本側からは、吉本ばなながイタリアから始まって海外で翻訳ブームを起こしていることなどを捉えて、かつての谷崎・川端・三島時代との相違点は何で、現代日本文学に求めているものは何なのか、あるいは世界的な傾向でもある純文学不振に抗して、いかなる活性化策を実行しているか等について、突っ込んだ質問が飛んだ。21世紀を目前に、出版文化の前途はけして楽観できないものの、電子媒体には望めぬ紙媒体の利点を、いっそう深く認識し、追求すべきだとの考えでは、双方の意見が一致し、あとは茶話会に移った。

Ceremony 第二十八回 泉鏡花文学賞
 11月21日、「第二十八回泉鏡花文学賞授賞式」が金沢市文化ホールで行なわれた。本年度の受賞作は多和田葉子氏の『ヒナギクのお茶の場合』(小社刊)。
 授賞式会場には、山出保金沢市長をはじめ、選考委員諸氏が出席し、金沢市内の小・中学生、同人誌関係者、地元マスコミなど三百人以上が集まった。
 選考経過報告をした選考委員の金井美恵子氏は、受賞作を、日本文学のなかで、外界との違和を生々しい実感を伴うアレゴリーとして作品化した珍しい例であると紹介し、読者としても実作者としても、まるで自分の小説であるかのような自由を覚えたと述べ、「共有しておめでとうございます」と語った。
 続いて多和田氏が挨拶に立ち、数年前若い作家20人ほどでオーストリアのグラーツを舞台にした新たな「オデュッセイア」を書くという企画があり、狂暴な女神キルケのパートを担当したが、これが意外にも「高野聖」の女にとても似ていた、と述べ、善悪のものさしで測れない魅力的な魔物には、複数の起源をもつ国際性があり、日常を破る存在として迷い込んだ男たちを「お客さま」にする。日本語では「客観的」というが、「客」として魔物を見回す登場人物を描いた鏡花の名を冠した賞を受けたことを非常に嬉しく思う、と喜びを語った。

Award ブッカー賞を受賞したM・アトウッド
 ブッカー賞といえばイギリスでもっとも権威のある文学賞。そのブッカー賞に、「食べられる女」「侍女の物語」などで日本でも知られるカナダの女流作家、マーガレット・アトウッドが、既に同賞を受賞している日系の作家、カズオ・イシグロや有名な新人たちを抑えての受賞が決まった。
「戦争が終わって十日後、わたしの妹が、車で橋から落ちた」
 受賞作「The Blind Assassin」は、こんなシンプルな一節から始まる。語り手は、姉。曖昧模糊とした妹の死、金持で、なんでも黙認するビジネスマンの夫。両親の死。複雑なファミリー・ロマンスを一層複雑にしているのが、死んだ妹が書いた小説で、そのタイトルが「The Blind Assassin」。過激な亡命者が名士との道ならぬ恋に落ち、恋人を魅了しようと語るのが、盲目の暗殺者が聾唖の処女に恋するというSF物語である。つまり、小説の中に完全な小説が収められていることになり、小説全体が複雑な入れ子構造になっている。
 批評家の評価も「ウィットに富み、隠喩的描写や、優雅な登場人物たちの個性は、その美しさと共鳴のなかで息を呑むほどである」(ドンナ・シーマン)と、極めて高い。
 実は、アトウッド女史、小誌に登場して頂いたことがある。津島佑子氏との対談(「女の一人称」1997年7月号)がそれで、女史はここで、「ストーリーテリングというのは、常に、語る人と聞く人がいるということが意識されていなければなりません」と語っている。この言葉どおり、受賞作で、女史のストーリーテリングの手法が、複雑な構成の中に見事に花咲いたといえる。

New Century 21世紀からの表紙と新コラム
 先号でも、藤原新也氏の動向については小欄でご報告した。12月号までの表紙写真は氏の故郷・門司で出会った5人の少女たちを撮ったものだが、それは「少年にまなざしをくれた少女たちの視線の思いで」であった。新年号からの表紙のテーマは、藤原氏から一行「花のシリーズにします」というメッセージが届いた。鮮やかな真紅の芙蓉が、21世紀最初の号を飾る。
 新設コラムは二つ。「一篇の詩」は、書き手に世界中の詩歌から一篇を引用し、それについての思いを書いて頂く。新潮版のささやかな詞華集を編もうという試みだ。「作家の外側」は、少々曲者。ともすれば、内面ばかりが注目される作家の方々に、「外」について考えて頂こうという企画である。