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短期集中連載(1)

本格小説

水村美苗

――序
「職業」としての小説家と「天職」としての小説家とは別物である。
 出入国カード、レンタル・ビデオの会員証、クレジット・カードの申請等々――日常生活の中で私たちが書きこまねばならない書類は思いの外たくさんあり、そしてそこには「姓名」「生年月日」「住所」などとともに、「職業」という欄がもうけられている。そこへくると私はいつも戸惑いを覚える。そんなところに「小説家」などと書きこむ必要はないのかもしれない。だが、「職業」という字を眼の前に、私が今までわずか二冊の小説しか書いておらず、その印税だけでは生計がたたないことを思い起こすのである。そして下手な字で「自由業」と書きこんだりしながら、いったいこの私に自分のことを晴れて「小説家」と呼べるような日がくるのだろうか、小説を書いて食べていけるようになったらさぞや満足だろうなどと考えるのである。
 だが、このような悩みは「職業」をめぐる悩みである。駅前に洗濯屋の看板を出した人が商売が成り立つかどうか悩むのと基本的には変わらない。この世で食べてゆかねばならない人間にとっては深刻な悩みだが、小説を書こうとする人間にとってはもっとも深刻な悩みではない。もっとも深刻な悩みは「天職」をめぐる悩みである。
 たとえばこれから十年後、私がたくさんの小説を書き、それで立派に生計がたつようになったとする。そんなときがこようとは思わないが、そうなったとする。そうしたら満足がゆくかというと、それでも私は自分が小説家であるかどうかという問いからは自由にはならないように思う。それは小説家といえども芸術家であり、そもそも芸術家というものは、芸術家として食べてゆけるかという以前に、自分が芸術家として生まれてきたか――自分が運命の星のもとに芸術家として世に送り出されてきたのかどうかを、問題にせざるをえないような存在だからである。そしてその根底にあるのは、何か眼に見えない力、人智を越えた力、宇宙を制御する神秘的な力によって、自分が芸術家として生まれる必然があったと信じたいという、誇大妄想狂的な思いである。しかも小説家はことに強くそのような思いをもつ。音楽家や舞踊家や画家になるには、明らかな天賦の才と長い厳しい鍛錬と、この二つのものを絶対に必要とする。それに比べて小説家になるのは実に簡単である。文章など誰にでも書けるものであり、誰でも一夜にして小説家になれる。甲が小説家であり、乙が小説家ではないということは限りなく恣意的なことでしかない。だからこそ、天からの声がひそかに耳元に鳴り響き、お前は小説家になるために生まれてきたのだ、それが天の意志であり天の摂理である、と告げてほしいと人一倍思うのである。

 そんな私に一昨年奇跡が訪れた。
 カリフォルニア州の北部にあるパロ・アルトという町に滞在していたときのことで、私は三作目の小説を書いている最中であった。書いている最中と言っても、確信をもてずにのろのろと書き進んでいたのである。そこへ思いもよらぬ「小説のような話」が不意に天から贈られてきた。それもこの私を名指して贈られてきたのである。
 それは昔むかし私が、というより私たち一家がニューヨークで知っていたある男の話であった。ふつうの男ではない。日本から無一文でやってきてアメリカン・ドリームを絵に描いたような出世をとげ富を成し、古くからニューヨークにいる日本人の間ではその人生がほとんど伝説となっていた男である。ところがその男には人の知らないもう一つの人生が日本にあった。戦後という貧しい時代の刻印がありありと押された、まるで小説のような人生である。そしてその話は本来ならばそのままうたかたの世に消えるべきものでしかなかった。それがあるとき一人の若者が図らずもその話を日本で聞き合わせ、はるばる太平洋を越え、大事な賜り物をかかげるようにしてパロ・アルトにいた私の許に届けてくれたのである。もちろんその若者にはそんなつもりはなかったであろう。自分の都合でアメリカに渡り、自分の都合で私に会いにきて、自分のしたい話をして帰って行ったというだけである。だが私から見ればあたかも天が彼を私のもとに遣わしてくれたように思えた。
 カリフォルニアの北部を数十年ぶりに襲ったという大雨に閉じこめられた夜中のことであった。一晩中自然の威力になぶられた神経の興奮もそこにはあったにちがいない。その話を聞き終わったとき私は一種独特の衝撃を受けた。私の知っていた男の人生にそのような「小説のような話」があったとは――そして、世の因果がめぐりめぐり、よりによってこの私がその「小説のような話」を聞くに至ったとは……。すべては偶然が重なってのことであったが、まさにそれゆえに、お前は小説家として生まれてきたのだ、と天が私に啓示を与えてくれたような気がした。
 私は天に感謝した。