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5/5(ごぶんのご)
鈴木清剛

1/5 ひかり東京行き

 受話器をとおしても、真子の声は、きんと高く響く。
 真子はそのトライアングルの音色みたいな声で、大人げないことを言ってばかりで、わけを説明しても謝っても、少しも理解を示さない。僕はいい加減、そうしたことのすべてに、うんざりし始めていた。
「だからとにかく、本当にごめん! この埋め合わせはいつかきっとするよ」
 僕は何度となく口にした文句を言いながら、出発の時刻が気になって、改札口の時計を覗き込んだ。電話の向こうにいる真子は、周囲のざわめきも無数の靴音も吹き飛ばすほどの勢いで、しゃべってしゃべってしゃべり続けていた。僕は鼻からゆっくりと熱い息をもらし、テレフォンカードをもう一枚差し込んだ。
「……うん、スケジュールノートにだって、ちゃんと赤丸つけといたし……そりゃもちろん、すべてにおいてオレが悪いと思ってるよ……うん、失敗だったと思う……」
 受話器を持ち替え、僕は額の汗をぬぐった。卵から孵ったばかりのヒヨコを相手にしているような気分だった。
「仕事だから、どうしようもないよ……うん……連絡が遅れたことについては、本当に申しわけなく思ってるって……え? そんなことできるわけないだろう? だから何度も言っているように……そんなにわめくなよ……なんで理解できないんだよ?」
 僕は言ってしまうと、自分が悪いという気持ちが急に薄れだし、真子に対してじりじりと怒りが込み上げてきた。今夜の約束を、忘れていたわけではなかった。
 僕はもう一度、わけを説明した。携帯電話がショートしていたこと。今朝になって突然、名古屋への日帰り出張が決まったこと。到着までに目をとおしておかなければならない資料が山ほどあって、移動中には電話をかけられなかったこと。これから東京へ戻るところだけど、出張のおかげで仕事が残ってしまい、戻っても会社に直行しなければならないこと。だから今夜は、花火大会へは行けなくなったのだということを、僕はできるかぎり口調をやわらげて話した。
 きん、と真子はいっそう声を高くさせてしゃべりだし、400キロの距離さえ一瞬にして飛び越え、甲高いそれが勢いよく耳の奥に入り込んできた。
「あのさ!」
 僕は声を大きくして言った。そして気付くと僕は、社会人とはなんたるか、についてと自分の仕事に対する考えを、いくぶん強い調子で語り始めていた。まったく本当に、ききわけがないにもほどがある。僕は口を動かしながら、課長が熱唱していたジュリーの歌を思い出し、ボギーの時代なら、びんたのひとつやふたつ食らわしちゃうとこだよな、と思った。
 ひといき入れたところで、真子が無言であることに気付いた。「なあ、聞いてる?」と呼びかけると、ぷつん、と電話が切れた。
 ピーピーと音をたてる公衆電話の中に、小さくなった真子がたくさん詰まっているような気がした。やってしまった、と僕は思った。しかしこれでいいのだ、とも思った。時計に目をやり、出発までの時間がまだ数分あることを確認すると、売店に行ってワンカップ酒と幕の内弁当を買いこみ、僕はホームへと急いだ。