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Special 三島賞本選まで

 第14回三島由紀夫賞が、青山真治氏「ユリイカ EUREKA」と中原昌也氏「あらゆる場所に花束が……」の二作に決まった。本選での選評や受賞作冒頭、記念エッセイと対談は本文に掲載したので、ここでは本選に至るまでの社内予備選考の楽屋裏を、少々ご紹介しよう。
 今期の選考対象は、平成12年4月より13年3月までに発表された、小説、評論、詩歌、戯曲。「文学の前途を拓く新鋭の作品一篇」に授賞すると規定にあるが、芥川賞との大きな違いは、小説以外のジャンルを含むことと、雑誌発表作品に加え、単行本も選考対象とすることである。
 それだけに、最終候補作を選び出すまでの社内選考は大変。「新潮」編集部は全員が参加、ほかに出版部はじめ、図書編集室、新潮文庫編集部、「新潮45」編集部、出版企画部から、「新潮」のOBを中心に計16名が、雑誌担当と単行本担当の2チームに分かれ、11月から正月明けまでのあいだに、2名1組で同一作品を検討して1次候補作品から2次候補作品を選出する。1月末からは両チームが合流、新たに3名が加わって討議した結果を踏まえて、今度はその中から、全員で検討すべき第3次候補作品を選び出すための全体会議を合わせて3回行う。
 いずれも文芸には一家言持つうるさい連中ばかりだし、個々の作品の評価をめぐっては、どうしても本人の眼力、教養、文学観が問われることになるから、議論は真剣である。特に同一作家に複数の作品があって甲乙つけ難い場合に、どちらを残すかは責任重大で、悩ましい選択を迫られる
 3月末、選考対象作品の期限が切れると、いよいよ社内最終選考である。文芸誌編集部や新聞社の文化部、社外に委嘱した委員からの推薦作品も加味して、今回最終的に絞り込まれたのは、12作。それらについて、16名全員が記名投票で、各自上位5作を選び、開票後は全員が集まるなかで、なぜ自分はそういう順位をつけたか説明し、補欠作品があれば、それについても述べる。大抵の場合、上位3作は、すんなり決まるが、残りの2作、3作に何を残すかで、議論は紛糾する。
 とりわけ今回の中原昌也氏「あらゆる場所に花束が……」は、反対者多数にかかわらず、強力な推薦者も数名いたため、なかなか決着がつかず、結局代表委員の預かりとなってようやくノミネート作に滑り込んだ。その問題の作品が、予想されたこととはいえ、本選においてもほぼ同じ討議の経過をたどり、にもかかわらず、青山真治氏「ユリイカ EUREKA」と共に受賞に至ったのは、三島賞ならではの事件であった。この上は、反対意見をも脱帽させる作品を次々と発表されることを強く望んでやまない。


15years 天台寺晋山15周年記念会

 去る5月6日、「瀬戸内寂聴師天台寺晋山15周年記念会」が賑々しく開かれた。場所はもちろん、岩手の天台寺である。14年前、瀬戸内晴美は剃髪し、今東光師に授けられた法名・寂聴を名乗ることになった。その姿を見届けた編集者やカメラマンなどが再び参集したのだ。挨拶を伺うと退職された方も多く、往時からの転変が自ずから感じられた。
「群像」の元編集長・渡辺勝夫氏の案内で天台寺に向かったのだが、立派に整備された周辺の変わりようには感慨を禁じえない印象だった。現在参道は舗装されているが、かつては道なき道であり、車などはもちろん入れない。道中、樹齢数百年と思える大きな切り株が目立ち、不思議に思っていたら、前住職が売り払って逃げたのだという。
 われわれを迎えてくれたのは、瀬戸内さんの笑顔と満開の桜だった。こちらにいらした時に植えた樹だが、必ず訪れるこの連休中に始めて咲いたという。前日は法話で、12000人もの聴衆が集まった。訪れた方々に分け隔てなく話しかけ、「テンダイジー」と笑わせて写真に収まる瀬戸内さんの動きを見ると、閑静な境内が人で埋まるのも得心がゆく。花が咲き乱れ、見事に再建された寺を案内して頂く。井上光晴さんや、小誌の先輩・小島千加子氏が定めた墓所に、寂聴師の朗誦する般若心経が響きわたった。
 御年数えで80歳。瀬戸内さんの心の遍歴は、「最後の私小説」である『場所』(小社刊)に描き切られている。


Editor アメリカの編集者

 アメリカの編集者ゲイリー・フィスケットジョンが来日し、5月25日「ワード資生堂」で、新元良一による公開インタビューが行われた。
 ジェイ・マキナニーなど若手作家の書き下ろしと絶版になっていたレイモンド・カーヴァーなどの作品をラインアップに、魅力的な装丁のペイパーバックで出版してゆくという意表を突く企画ヴィンテージ・コンテンポラリー・シリーズを成功させ、80年代半ばに日本でもアメリカ文学ブームを巻き起こす一つのきっかけを作った彼は、現在もクノッフ社で活躍している。
 なぜ編集者という仕事を選んだのか、という質問に、大学を卒業してニューヨークに出た70年代の後半は都市で会社に勤めることが流行らない時代で、出版界には自分の世代が抜けていた。新しいアイデアが必要とされていた所に入り込むことができたと答えるゲイリーは、やり手としてとりあげられていたこれまでの記事に比べ、謙虚な印象。一方で、学生時代に哲学、文学、歴史が好きで多くのものを読んでいたので、何がグッド・ライティングかを判断する自信はあったと言うのにも説得力がある。カーヴァーの最後の短編集「ぼくが電話をかけている場所」を作るに至った作者との間柄については、理想的といえる友人関係を築くことができた、編集者と作家の良い関係は、良い友人関係ににているのではないか、と当時を振り返り、カーヴァーの文章に手を入れて彼の文体を作ったと話していたゴードン・リッシュについて、編集者が創作に関わったと勘違いすることは愚かなことだと戒めた。
 アメリカでは盛んで、日本ではあまり活発ではない本のプロモーションについては、少なくなってきている本の読者を育てるためにも有効と、必要性を強調。読者の顔を知るため、なかなか客の集まらない朗読会も定期的に開いているそうだ。
 ミニマリズムも前衛も存在しない、ただ個々の作品があるだけだと、時折静かに独自の文学観をのぞかせる、断言しないクールな語り方に却って敏腕の手応えが感じられた。(インタビューの全文は資生堂から刊行される「月刊ワード」第3号に掲載される。)


Movie 映画版「光の雨」完成

 立松和平氏の小説「光の雨」が、高橋伴明監督によって映画化され、さる5月22日に関係者を集めて初号プリント試写会がひらかれた。
 作品は、昭和47年に群馬県の山岳拠点に立てこもった過激派・連合赤軍内部で14人の仲間が「総括」の名のもとに殺害されたという、「連合赤軍事件」を題材としたもの。初出は小誌の平成10年3~5月号で、今年の8月末には新潮文庫版も刊行されることになっている。
 映画の撮影は今年の2月から3月にかけて、厳寒の北海道・知床でおこなわれた。「男はつらいよ・知床慕情」以来の映画ロケということもあって、地元の人々が全面的にバックアップ。撮影場所に協力してくれるだけではなく、スタッフの泊まる斜里町の旅館を格安で提供してくれたり、慰労会を催してくれたりした。
 雪が豊富で、立松氏の知己も多いということで選ばれたロケ地・知床だったが、さすがに100名以上のスタッフを大移動させ、氷点下10度以下のなかで映画作りをするのは大変だったらしい。舞台となる山岳アジトは、廃屋となった開拓小屋を解体し作ったもの。大道具や小道具担当は、ノコギリが足りない、ガムテープがない、というたびにいちいち40キロ先の斜里町まで車を走らせた。スタジオ代わりの山小屋は、リアルではあるものの、隙間風がいたるところから吹き込んできて、外にいるのと同じ防寒着を着ていなければならなかったという。
「ロケは過酷だったようですが、いい映画になったと思います。高橋監督とは長いつきあいなので信頼してました。僕の原作から離れ、劇中劇のように『光の雨』という映画を撮っているスタッフや役者のドラマも描くという、複雑な設定なのですが、とてもいい仕上がりになりました。きっと脚本が30代前半の若い人だったのがよかったんじゃないでしょうか。僕らだけでやるとノスタルジーになってしまいますから」(立松氏)
 試写会が終わったあと、トイレで立松氏が高橋監督に「原作より良かったんじゃないの」と声をかけると、「俺もそう思ってるんだ(笑)」と返されたという。
 シネカノン系にて今秋公開予定。


New Book ジョン・アーヴィングの「第4の手」

 26歳で、処女作を発表して以来、アーヴィングは「オウエンのために祈りを」「ピギー・スニードを救う話」「サーカスの息子」(いずれも小社刊)「サイダーハウス・ルール」等、精力的に作品を刊行、多くの賞を獲得してきた。
 そのアーヴィングの新作「第4の手」(ランダムハウス刊)は、インドが舞台。ニューヨークのテレビ・ジャーナリストが、何百万人もの視聴者が見守るインドからの中継の最中に、ライオンに左手を喰いちぎられる。このシーンを見ていたボストンに住む著名な外科医が、米国で初めての腕の移植手術を行おうとする。が、この医者は、つらい離婚の苦しみのさなかにあり、ハウスキーパーの誘惑さえ受けている。
 一方、ウィスコンシンの主婦が、亭主の死後、彼の左手を提供することを申し出るが、彼女の亭主は生きており、若く、健康だった……
 10作目に当たるこの作品は、喜劇のようでもあり、風刺のようでもあり、性を巡るファルスのようにもみえる。
 刊行元の表現によれば、この作品は「人は如何にして、未来の夢をアイデンティファイするのか」を問いかけていて、その答えは「運命は、夢や愛においてでなければ、想像することは出来ない」という。