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アブラクサスの祭

玄侑宗久

 
 二十七歳からこの薬を飲み始めたわけだからもう十年以上になる。
 寺の台所で浄水器から水を汲み、銀色のピルケースから出した三種類の白い錠剤を包みから指で押しだしながら、浄念(じようねん)はふいにそんな感慨にとらわれた。コップと一緒に傾けた顔の正面の窓には、十月の冷たい霧雨。
 正確には十二年か、と思いつくまでに、実はきのうの鰯雲みたいにたくさん、脈絡のない記憶の断片が頭に浮かんでいた気がする。それはイメージと呼べるほどはっきりしたものではなく説明もうまくできないが、だからこそ薬に統御されない、ありのままの今の自分なのだと思う。
 薬を飲むときはいつもそうだ。飲まないと「こころ」の動きが速すぎて物語にもならないし日常ともうまく繋がらない。飲んで四十五分たつと湧いてくる雲の数も減り、なんだかその様子は何かを語っているように見えて落ち着いてくる。頭の中が、人に語っても理解してもらえそうな風景になってくる。
 たぶんそうした薬の作用に依存しているせいだろう、飲む瞬間には逆に奔流のように、さまざまな自分が散乱する。どれが本当の自分なのか判らなくなる。そして困ったことに、その断片的に去来した心象の景色が瞭(あきら)かに見えてくるのも薬が効きはじめてからなのだ。
 今の浄念に感じられるのはただ姿も形もない純粋と云っていいほどの不安だった。解りやすい自分が薬であぶりだされるまでの、まるで自身がブラックホールになったような……。
 窓の外でお寺の十六歳の老犬ナムが鎖を引きずる音をたてた。浄念は霧雨をもう一度見遣り、ゆっくりした動作でコップを戻しながら我に返った。いや……、それこそが我だとは毛頭思わないけれど、つまりは現実感をとり戻したということだ。浄念は先ず、こんな時間に薬を飲んでいるわけを憶いだした。そうだ、今日は首吊り自殺した漬物屋の庸平(ようへい)さんの、その死んでいた場所のお祓いに行くのだ。
 浄念はようやくいつもの思いを反芻した。薬を飲むと体が重くなり、脳が不自由になるけれど、不自由になった脳こそ人並みなのだ、と。他人と会う仕事のときはその不自由な脳でないと、いわゆる論理が通じないらしい。ありのままの脳で人に会うのは危険だと、精神病院の女医さんにも言われたことがある。それに何より、薬を飲んでいないときのお経では故人にも遺族にも届いてくれないのだ――。
 寺からの坂道を下りながら、浄念はどうやって四十五分の時間をつぶそうかと考えた。
 以前午後一時からのお葬式のある日に十一時半の薬を飲み忘れ、あわてて食後に飲んでから茶の間で柱時計を睨みつけていると、玄宗(げんしゆう)が言った。
「四十五分て誰が言ったか知らないけど、そういう思いこみは止めたほうがいいよ」
 たしかに浄念も、気の持ちようだと考えたい。しかし結局それは、風邪薬や解熱剤のように明らかな異常を正常に復する薬の場合だろう。どこかでシミのようにそう思い込んでいた。自分については、薬が効いてきた状態が正常だとは限らないのだから、別なのだ、と――。実際、思いこみではなく四十五分かかるというのが実感なのだから、たとえ玄宗様の仰せとあっても肯うわけにはいかなかった。
 さっきも昼の食卓で麻子(あさこ)さんが言った。「車で行くほどの距離じゃないでしょ」玄宗様もサンマの骨を身からはずしながらその言葉に二度うなずいた。やはりお二人には、ぼくの体と心のことが実感としては解らないのだと思った。
 浄念は鬱がかってくると玄宗を様づけで言い、また想うから、すこし鬱だったのかもしれない。しかしともかくそれは距離の問題ではないのだ。