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時の肖像 ――小説・中上健次

辻 章

 
      序章

 中上健次が死んだ、という電話の報らせを受取ったのは、一九九二年八月十二日の、午前の時刻だった。報らせは、新聞社・出版部の、O氏からだった。
 中上さんが、亡くなりました。今朝。
 電話の向うで、O氏はそう言い、言った切り、一瞬、黙った。沈黙に、彼の気遣いの色が浮いていた。
 中上の死、という報らせと、気遣いの気配とが、私の中で、同じ色の、見分け難い織模様のように、重なった。
 そう、と、私は言った。
 部屋の隅の、畳の上にじかに置いてある電話機の受話器を、私はしゃがんで手にしていたのだったが、返事を返した自分の声が、妙に身に付いていない感じだった。
 今朝の、何時ごろだったのか。
 最期は、どこで亡くなったのか。
 そんなことを、私はO氏に訊き返した。
 O氏は、正確に私の問に答え返してくれたが、そういう遣り取りが、何か気恥ずかしいことでもしているようで、自分の腰が、落着きなく、今にも浮き上りそうだった。
 私の最初の小説集を出してくれてから、O氏とは、親しい付き合いがつづいていた。何度となく、彼と中上健次について喋り合った。年若いO氏も、中上とは、浅からぬ交流をしていた。彼との話の中に、中上健次が話題にならないことは、一度もなかったと言って良かった。
 電話での、O氏の一瞬の気遣いは、そういう時間の上でのことだったのだが、彼の声を聞きながら、私は自分の感覚が、中上が死んだという報らせから離れて、どこか上の空のように滑って行くのを、止めることができなかった。
 中上が入院していた信濃町の病院を、私は、何度か見舞った。そして、彼がそこを退院してからも、折につけ、O氏や他の人々から、消息を聞いていたので、病状がただならない、重篤なものであることは、知っていた。私は中上が多分、遠くない時間の中で、死ぬだろうと予感していた。予期していた、と言っても良いかもしれない。
 しかし、その朝の、O氏の電話は、私の予感や予期とは、何の関係も持たずに、私の不意を突いた。
 電話の返事に、私は咄嗟に、そうと言い、そして、やっぱり駄目だったの、と言葉を継いだような気がする。
 しかし、私の心理の中では、中上の死は、やっぱり、とは、ほど遠いものだった。
 電話を切り、しばらくして、私は近くのスーパー・マーケットまで、買物に出かけた。歩きながら、信濃町の病室で、中上と交した会話と、その場面とを、一つ一つ、つぶさに点検した。そうしようと思ったのではなく、水の流れのように自然に、記憶のフィルムが流れ、それが所々、不意にストップ・モーションになった。
 二タ月ほど前に、病院を退院してからは、私は中上に会っていなかった。人伝てに、府中の家に戻り、紀州に帰った、と聞いていた。その日々の中での、彼の苦痛の表情を想い浮かべた。つらかっただろうな、と私は当り前のことを、それに初めて気付いた者のように、思った。彼が小説家であったということに、不思議なほど、思いが行かなかった。
 空に薄く雲がかかっていたが、真夏の暑気が雲を通し、かえって一層暑苦しく、ぢりぢりと降り注いでいた。
 スーパー・マーケットの広い駐車場を通り抜け、店に入って行く途中、一台のコンテナの扉を開けて、背の高い青年が積荷を下ろし、駐車場のアスファルトに次々と、積み上げていた。
 汗で、滴るほど濡れた上半身のTシャツから、いかにも逞しい腕が突き出し、それが彼の体とは別の、まるで自動人形の一部のように、しきりに上下に動いていた。