Special インコなのにクマちゃんなわけ
7月7日、大阪芸術大学での講義を終えた小川国夫氏と新大阪駅で待ち合わせ、伊丹空港から鹿児島経由で、奄美大島へ飛んだ。編集子が奄美に行くのは、これで四度目。最初は平成9年7月、大量のコピーをとれる業務用の機械が鹿児島から船で到着するのに合わせて、社員ほか数名で島尾ミホさん宅を訪ね、ダンボール箱から島尾敏雄氏の六十余年分の日記を取り出して、連日コピーに励んだ。4泊したが半分がやっとで、翌月も4泊、ようやく全部をとり終えた中から、とりあえず小誌に発表したのが、「加計呂麻島敗戦日記」と「『死の棘』日記」であった。三度目の訪問は、一昨年10月。ソクーロフ監督が呑之浦でミホさんの演技を撮影するのを、吉増剛造氏らと共に見物した。四度目の今回、本文対談中にあるように、小川氏の勧めもあって、ミホさんが「日記」の単行本化と、未完長編小説「海嘯」の執筆を約束してくださったのは、大きな収穫だった。
ところで、ミホさんマヤさんが可愛いがっているセキセイインコ(本文および写真参照)の名前がクマちゃんなのは、次の理由による。島尾敏雄氏は図書館長時代、司書の資格を取るため夏季講習で家を留守にしたが、その出張先が熊本であった。主人不在の寂しさを慰め、番をつとめた愛犬を、マヤさんが強そうだからと、熊本の熊をとって、クマと名づけたのが始まりで、以来犬でも猫でもオカヤドカリでも、代々のペットは、みなクマちゃんと呼んでいるとのこと。それにしても、インコのクマちゃんまでが、ミホさんに原稿の催促をしてくれていたのには、感謝感激。
なお、対談のタイトル「死を生きる」は、帰りに奄美空港近くの「あやまる岬」に立ち寄って、三方エメラルド色の太平洋を望んでいた時に、小川氏がふと呟いた言葉である。こちらはニライカナイのことを思っていたので、即座に同意した次第。
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