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  世界を震撼させた“空爆”テロ

 ただならぬ現実を目の前にして、なおそれと信じられないときがある。現実と虚構の境界をしばし彷徨ったのち、ようやく事態を認識し始める。9月12日の朝、アメリカを襲った同時多発テロ事件。眼前に展開する映像を見て、誰もが耳目を疑ったことだろう。
 複数の飛行機が同時にテロリストに乗っ取られ、そのうち二機がたて続けにマンハッタンの超高層ビル(420メートル)に突入し、炎上する。別の一機は、ワシントン近郊のペンタゴンに“特攻”するという離れ業をやってのけた。経済的繁栄を謳歌してきた米国の「富の象徴」だった世界貿易センタービル(通称ツインタワー)が、あたかも積み木細工のように崩れ落ち、地上最強の軍事力の中枢、国防総省が燃え上がった。そして、怒り狂った超大国が、宣戦を布告――コトが起きる前であったなら、映画であれ小説であれ、あまりに荒唐無稽、B級のテロ小説といわれてもしかたのないような展開だった。
 今さら「事実は小説より奇なり」なんてフレーズを持ち出すのも月並みだが、実際、あの惨劇にはいくら言葉を弄しても追いつかないほどのインパクトがあった。さる映画監督が、「今後ハリウッドの暴力の描き方は変らざるを得ない」と言ったように、巨大なスケールとリアリティで戦争を描いてきた映画産業もかたなしである。最近の話題作、「パール・ハーバー」では、日本の本土に奇襲をかける飛行隊のリーダーが、「最後は一番オイシイ標的に突っ込む」と語る場面があるが、今や皮肉な現実になってしまったのだから。

  作家たちの反応

 アメリカの文学者たちもこの事件には大変な衝撃を受けたようで、テレビや新聞などメディアを通じて、様ざまな反応をみせている。最も深い傷をこうむったニューヨークの出身で、アメリカの代表的劇作家アーサー・ミラー氏は、「スターリンとナチスに続いて、現実がフィクションを超えた」と評している。ピュリッツァー賞を受けた「セールスマンの死」、「るつぼ」などの作品群、ときに辛辣なもの言いで知られる氏は、自国が直面していくであろう困難に想いをはせながら、リーダーであるブッシュ大統領その人の資質について不安を口にする。「マジメさを強調し過ぎるし演じることが不得手」。それゆえに「どうも落ち着かない気がする」というのだ。
 同じく著名な作家ジョン・アップダイク氏が英BBCに語ったところでは、ブルックリン近くの親戚宅に滞在中に事件を目の当たりにしたそうで、「自らの存在の根底が崩れ落ちていくような」不安を覚えたという。
 アメリカ政府は、犯行はイスラム教原理主義の指導者オサマ・ビンラディン氏主導によるものと断定。そのうえで、正義とテロリズムのいずれに与するのか、と各国へ問いかける。が、「21世紀の新しい戦争」は国家単位ではなくして、その背景に思想、宗教、文明、さらには南北問題までを内包している。アップダイク氏がいうように、「怒りをぶつける対象としては、どうにも曖昧でとらえどころがない」うえ、「誰かを取りのぞいてもまた次の継承者が出てくる」のかもしれない。ビンラディン氏が指揮するテログループは世界20カ国に数千人以上いるとされ、支援者まで含めれば相当に根は深そうだ。
 いささか話は違うけれど、日本でも10年前にイスラム原理主義勢力から「死刑宣告」を受けたサルマン・ラシュディ氏の翻訳を担当した筑波大助教授が殺害されたが、事件はいまだに解決していない。信仰をよりどころにしたネットワークの不気味さは、何もアメリカにかぎった話ではない。

  小説が現実のテロに……

 トム・クランシーの小説「合衆国崩壊」には、民間機が国会議事堂に突入するシーンがあるが、米作家の間には、「たとえサスペンスであっても物を書く人間として守らなければいけないルールが出来た」といった意見が噴出している。また、「オデッサ・ファイル」はじめリアルな国際情勢にもとづいたスパイ小説の大家、フレデリック・フォーサイス氏は、事件の後、興味ぶかい話を英サンデー・テレグラフ紙に寄せている。それによると氏は1983年のベイルート事件(爆弾を積んだトラックで米軍施設に突入、米兵241名が犠牲になった)の際、訓練されたテロリストが飛行機を乗っ取り高層ビルに突っ込み自爆するという、今回の事件そのままのストーリーを思いついた。が、「読者にとってあまりに非現実的だが、テロリストに真似される可能性がある」と考え、あえて作品化しなかったというのである。

  出版業界にも異変が

 いずれにせよ予想も出来ない非常事態とあって、出版業界にも異変が起きている。アメリカでは毎年この時期は各社ともメガヒットを狙う目玉作品を投入し、プロモーション活動を展開するのが通例だが、しばらくは自粛ムードのようで、事件を連想させる作品は当面刊行を見合わせるなど対応に追われた。もっとも、この非常時に本が売れるのか、という心配については、いまのところ逆の傾向になっている様子で、ある種の傾向の本が続々ベストセラー入りしている。
 数々の重大テロの首謀者とされるビンラディン氏について書かれた本はもちろん、イスラム・中東関連の本は引っ張りだこで、コーランの英訳から、対アラブ強硬派として知られるネタニヤフ・前イスラエル首相の著書「テロと戦う」など。しかし、もっとも目立つのは16世紀フランスの天文学者ノストラダムスの予言集。日本でもかつてその類の終末話が流行したものだが、どのフレーズが事件を指している、次は何が起きる、などネットの世界を巻き込んで話題になっている。
 さきのアップダイク氏が言うように、「米国が享受してきた自由とは世界史的にみても非常に珍しかった」のかもしれないし、かつてない規模で本土を攻撃に晒され、天災でもなかったような傷をうけた米国民が、「自信を打ちのめされた」のは確かなのだろう。
 パレスチナ出身で、アメリカ有数の批評家でもあるエドワード・サイード氏などは、米国人の自国中心主義やアラブ理解のいい加減さをかねてから指摘してきた。が、大筋とはいえ自国の正義を信じてきたアメリカ人はいま懸命に、一体なぜこんなことになったのか納得できる説明を求め、これからどんな敵と戦うのか理解しようと試み、さらには今後何が起こるのかを知りたがっている。そして将来についての漠然とした不安は、むろん米国だけにとどまらないのだ。
 犠牲者の数は6300人を超え、なお事件の終わりは見えない。そして、世界史的に類例のない“空爆”テロは、洋の東西を問わず、自己の存在を問いつづける作家たちに衝撃を与えている。今月号に掲載されている短編「君と僕のあいだにある」は、今回のテロに衝撃をうけた辻仁成氏が、一気に書き下ろしたものである。