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【冒頭部分掲載】

阿呆物語

車谷長吉


       

《尼鷺(あまさぎ)は頭から胸、背に掛けて亜麻色が美しい。一夫一妻で子育てするが、牝七羽を千時間以上観察した結果、二百三十九回交尾し、そのうち百四十七回(62%)はつがい以外の相手とだった。かなり乱れているように見えるが、鳥の世界では普通のこと。草地で昆虫類を捕食する。》
 夏原恒一はこういう新聞記事を読んで、不快になった。あるいは恐怖を覚えた。恒一には妻・花与と男の子二人、女の子一人がある。夏原が女とまぐわいをしたのは、中学二年生の梅雨時、母・倫子と交わったのが最初である。その関係は、三十二歳になったいまも続いている。倫子は恒一が花与と結婚した直後から訪ねて来、花与のいる前で、セーターをずり上げ、ブラジャーを外すのだった。すると恒一は「お母さまッ。」と叫んで、そのお乳にむしゃぶり付くのだった。そのざまをはじめてじかに見た時は、花与は悲鳴を上げて、顔を両手で覆ったが、いまでは下唇を舐めながら、冷笑している。
 井ノ頭公園の裏手の高級住宅地・牟礼界隈では、倫子はちょっとした有名人である。生れは山形県北村山郡大石田町の紅花屋の娘であるが、幼児の時からその美貌を謳われ、昭和三十年代末にこの地へ嫁入りして来てから、数々の男出入りによってあからさまな浮名を流し、「妖婦」とも「毒婦」とも、あるいは「させ馬鹿」とも言われ、現にいまも公園からすこし奥まったところに一戸建ちの古家を借りて、二十七歳のTVドラマのシナリオ・ライターと同棲している。倫子はいまやもう五十五歳であるが、男好きは納まらないのである。男は早稲田大学露文科を中退した男で、一家揃っての旅行の途次、交通災害によって家族を失い、孤児として育った男である。それだけ年の開きがあっても、倫子にはまだ男を惹き付ける魅力があるのである。
 倫子は夜、風呂へ入れば、自分のお肌を磨き立てるのに、毎晩、石鹸一個を泡立ててしまうような女だった。もともと夫の外科医に器量望みでもらわれて来た上に、夫が厚生省の海外派遣医師団の一人として、アフリカへ行ってしまうと、夫の医者仲間その他と次ぎ次ぎに関係を持ち、二人の子供は家政婦にまかせ切りで、夜は男の許で過ごすのだった。

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