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【冒頭部分掲載】

ナンバーワン・コンストラクション

鹿島田真希


「君はアイザック・アシモフ氏のロボット工学三原則を知っているか?」
 若手建築史家のS教授は初対面の人間には必ずそう尋ねる。彼のもとで研究生をやることになったM青年の時も、青年が教授の研究室を訪れて最初に交わした会話がこれだった。そして教授はこう続けるのだ。
「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条、ロボットは第一条に反さない限り、人間の命令に従わなければならない。第三条、ロボットは第一条、第二条に反さない限り、自分の身を守らなければならない」
 さらに教授はこう続けるのだ。
「私も建築三原則というのを考えてみたのだ」
「先生、ぜひ聞かせてください」
 従順なM青年にそう促されて教授は語った。
「第一条、建築は人間の生活様式に同調しなければならない。また人間の行動範囲を制限してはならない。第二条、建築は第一条に反さない限り、変形し続けなければならない。第三条、建築は第一条、第二条に反さない限り、一時性をもっていなければならない」
 私の考えたこの三原則をどう思う? と訊かれて、青年は薄ら笑いのような、苦笑いのような複雑な笑みを浮かべた。彼は学部時代あまり熱心な学生ではなく、教授に意見するような素養は持ち合わせていなかったからだ。実際のところ、青年の夢は小説家になることだった。学部時代に華々しくデビューを飾ることが彼の夢だったが、夢破れ、親のすねをかじるために大学院に進学したが、子供の不勉強ぶりをみかねた親に学費を絶たれて、中退した。それでも肩書きがほしくて、アルバイトをしながら研究生にでもなろうと考えたのだが、それも気休めに過ぎなかった。
 教授の建築三原則についてなんと答えればいいだろう? なにしろこれが二人の初対面だったのだ。うまく答えなければ数年間、研究生として窮屈な思いをしなければならなくなるぞ、と青年は思った。こういう時、人は緊張してなんとか気の利いたことを言おうとするものだ。私にはわかりません、とでも謙虚に答えればまずまずの印象を得られるはずなのに、その選択肢が頭から消えてしまう。賢明なことが言えないのなら、なにか面白いことを言ったらどうだろう。青年は苦し紛れにそう考えた。そこで彼はこう言ってみた。
「僕ならその三原則を女に当てはめますけどね」
 教授は笑わなかった。一秒、二秒、三秒、と時が過ぎていった。時間と空間が茨のように青年を包んだ。
続きは本誌にてお楽しみ下さい。