大きな熊が来る前に、おやすみ。 島本理生
他人を変えることなんて出来ないと、彼に会ってから痛感するようになった。変えることができるのは自分だけ。自分が変わって、その外側にある世界との接し方も変わったときに合わせてまわりも変化するだけで、それ以外に思い通りに他人を変える方法なんて、おそらくこの世にはないのだろう。 徹平と暮らし始めて、もうすぐ半年になる。付き合ってすぐの頃に今の部屋へ二人で引っ越したから交際期間もほとんど同じぐらいだ。それでも時々は冗談で、結婚の話なんかも出る。 だけど、今が手放しで幸せ、とか、そういう気分ではあまりなくて、むしろ転覆するかも知れない船に乗って岸から離れようとしている、そんな気持ちがつねにまとわりついてくる。 そういうのを、短大時代の先輩で一つ年上の吉永さんはきちんと見抜いていて「珠実ちゃんは変にきまじめで古風なところがあるから、一緒に暮らしたら、もう結婚しなくちゃいけないって思ってるよね、きっと」 休日の昼に、二人で新宿の新しく出来た洋食屋のランチに行ったときにそう言われて、痛いところを突かれたな、と思った。 「たしかにそういうところはあるかも知れません」 「早急なのも情熱がある証拠だから、悪いとは言わないけど。ただ、それとはべつに、あんまりあせらないほうがいいと思うよ。もうちょっとお互いの関係が安定してからのほうが良いと思うし、相手のことを見極める時間が必要でしょう。一生のことなんだし」 私が上手く答えられずに黙っていると、吉永さんは苦笑しながら、はい、とハヤシライスに付いていた小皿の苺を私のほうに移して 「疲れてるときはビタミンでも取って。ちょっと肌荒れしてるわよ」 ありがとうございます、と呟いてから、苺を半分かじった。口の中に広がった甘さは、今さっき摘んだばかり、という味がして、妙にしんみりとした気持ちになった。 残りの苺を口に放りこんで、ぼうっとレストランの窓の外を見た。晴れた空は、銀色に光を反射する高層ビルの合間で、そこだけ目が覚めるほど鮮やかな色をしていた。 ベッドに入って眠る間際、私はいつも祈る。悪い夢を見ませんように、今夜はゆっくり熟睡できますように。そんな自分を神経症のように思う。だけど、やめられない。強すぎる祈りは同時に、まるで呪いのようだ。 続きは本誌にてお楽しみ下さい。
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