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【冒頭部分掲載】

第三十八回新潮新人賞受賞作
ポータブル・パレード

吉田直美


「おいたわしい」「お可哀相」と見知らぬ老婆たちがしきりに蔓巻いづみの肩を撫でさする。その瞳は心底同情に溢れて、よく澄んでいるのだった。
 蔓巻いづみは今、峠の茶屋のようなところにいる。はじめての場所である。どうしてこんな場所にいるのかわからないが、それはまあいいということにして、誰もいない店先に一人腰掛け、膝に載っていた皿の団子を食べていると、どこからか老婆たちが現れて、「もうあなた、いいのよ、お休みなさいよ。近くにいいところがあるんだから、ね」と声を掛けてきたのだ。「さあ向こうだよ。すぐだよ」と自分たちの背後を指す。そのあたりは靄になっている。ドライアイスを撒いたようなムラのある靄だ。「ぐずぐずしていると、そこも満杯になっちゃうんだよ」と腕を掴んでくる者もいる。
「いえ、私は、まだいいです」と我知らずいづみの口から出た。自分がどこへ行くつもりか知らないが、まだいいらしかった。「それにしてもあなた、あなたが言ってるところ、ここからずいぶん遠いんだよ。お守りが必要だよ」と言いながら、一人の老婆がいづみに手製の押し花カードを売りつけようとしてくる。「やめてくださいよ」いづみは頬を寄せんばかりに近づいて立ち並ぶ老婆たちを振り払うため、身を捩った。「やっぱりお可哀相だよ」「もうあんまり空きがないのにさ。わからないんだよ」と老婆たちの囁きがざわめく。いったい何だっていうんだ? どうしてこんなにおばあさんばかりいるんだ? 何重にもなって取り囲む老婆の数が多過ぎて、もうそれが老婆なのか何なのかわからなくなる。同じ文字がたくさん並んでいると知らない記号に見えてくるのに似ている。でもよく見れば目の前の老婆たちはそれぞれに独自の皺とシミをもっている。細かい皺の支流が口元で合流したりしなかったり。なかには皆と一緒にいづみを囲んでいながら、新聞を広げている者までいる。テレビの番組 欄を見ている老婆の脇からのぞきこんでいる者もいる。「今夜は何があるの?」「クイズだとか、まあクイズが多いわよ」「あら、そう」「何が見たいの?」「何っていうことはないけど、クイズは頭を使うから嫌なのよ」「八時から戦争ドラマがあるわよ」「そういうのも苦手なの」「何が見たいの」「だから何ってことはないのよね」「あと、何もないわよ」「あら、そう」「で、何を見るのよ」「決めてないわよ。あなたは何よ」「決めてないわよ」「この戦争ドラマの主役の娘ってあと何に出てたかしら」「お昼の番組によく出てるわよ」「そうだったかしら」「そうよ、ほらカツラの司会者が……」

続きは本誌にてお楽しみ下さい。