立ち読み:新潮 2019年1月号

あこがれ/瀬戸内寂聴

 生れた家から大人の脚で七分も歩けば、町の中央を流れている富田川の河口に達した。そこは、町で唯一の港になっていて、本土の大阪と、四国の徳島をつなぐ連絡船の発着所だった。
 白い、さほど大きくもない連絡船は、朝早く港に着き、夜遅く、大阪へ向って出発する。
 その度、小ぢんまりした胴体に似合わない大きなさけび声をあげて、船の発着を知らせる。その声は、ささやかな町の隅から隅まで響き渡る。はじめてそれを、いきなり聞いた旅人は、思わず腰を浮かせ、おびえた顔になる。
 取りすました大人が、突然、間の抜けた顔になっておどろくのが、四歳のわたしには面白くてならなかった。
 赤ん坊の時から聞き馴れているせいか、異様な船のだみ声も、町の中央の城山から、毎日、正午を告げて鳴り渡る「ドン」と、同じようにしか感じなかった。
 二歳の夏、悪性のはしかにかかり、産後から肋膜炎にかかって、赤ん坊のわたしの面倒を、五歳上の姉の時のようには充分に看られなかった母の衰弱のせいもあって、わたしのはしかはすっかりこじらせてしまい、滲出性体質になり、年じゅう体のどこかを痒がり、やせ細った体を、切なげにゆすってぴいぴい泣いてばかりいた。
 胸の病いが重くなり、死ぬかもしれないと思いこみ、娘たちに形見の写真など、ひそかにとっていた母は、誰かにすすめられた漢方薬と、父が朝毎に食べさせる鰻の肝のせいで、すっかり体力を回復させ、病気前より肥って、いきいきしてきた。同じ薬屋の漢方薬なのに、わたしのはしかには一向に効き目がなかった。滲出性体質は、はしかが一応治ってからも重くなり、わたしは年じゅう体じゅうを痒がり、かきむしり、おできだらけで薬臭く、近所の子供たちにも遊んでもらえなかった。
「ハアちゃん、臭い、あっちいけ」
 子供特有の残酷さで、追われるのにも馴れてくると、わたしは独り遊びの工夫をして、近所にある硝子工場にしのびこんだり、河口の港へ行って、白い連絡船の前で膝を抱いて、何時間でも坐りこんで飽きなかった。そこには連絡船ばかりでなく、大小の舟が往来していて、一休みするようであった。何もかもまる見えの小舟の中で、七輪を破れうちわであおぎ、火をおこしている親子がいたり、まくわ瓜にかじりついていたりする幼い兄妹がいたりするのに出逢うと、なんとなく心がほっこりやわらぐのであった。
 昼間の港の連絡船は、人の気配もなく、ひっそりしていた。港の背後は広い魚市場になっていたが、そこが賑うのは朝早くだそうで、わたしの遊ぶ昼間の時間は、どっちを向いても人気もなく、ひっそりとしているのが、なぜか好ましくて、わたしは誰もいない魚市場の魚臭い壁にもたれて膝を抱き、だるまさんのように動かないで、飽きもしないのだった。
 この動かない白い船が、夜になって出航して行く時を知っていた。父は、二ヵ月か三ヵ月に一度、この眠った象のような船に乗って、出かける時があった。「須磨」のお婆ちゃんを見舞うのと、仕事の打ち合せのための旅だと云っていた。「旅」という言葉を覚えたわたしは、姉や母にうるさがられるほどつきまとい、旅について訊きたがった。
「ここと、ちがう所へ行くことや」
「どして、いくのん?」
「そこに用事があるけんや」
「どんなようじ?」
「そんなん知らん、人それぞれちがう用事や」
「どして、ひとのようじがみな、ちがうん?」
「そんなん知らん。うちはお魚や肉が大すきやけんど、ハアちゃんは、豆ばっかり好きで豆しか食べへんやろ? それ、二人はちがうやないの」
「うちは犬や猫が大好きやけど、ハアちゃんは動物は何でも怖がるから、うちんくは猫も犬も飼うてもらえへん、それも、ふたありのちがうとこ」
「ふうん……そんで、よそへいったら、なにがあるん?」
「ここと全然ちがう町があって、全然ちがう人がおるんよ」
 わたしはびっくりして黙りこんでしまった。しばらくして、
「うちも、いきたい!」
 と言った時には、もう姉はそこにいなかった。船に乗ったり汽車に乗ったりして、ここではない所へ行くことを「旅」とか「旅行」というのだとは、お母さんからも聞きだした。それ以来、わたしはまだ見ぬよその土地や町に憧れるようになった。独り遊びする時も、いつの間にか河口の港へ来て坐りこみ、白い連絡船を見あげながら、まだ見ぬ町や人に憧れて、勝手に想像をめぐらせては、退屈することがなかった。
 父が連絡船に乗って大阪へ行く時は、いつも夜も遅い時間で、わたしたち姉妹はもう寝床に入っていたので、見送りは母ひとりでしていた。旅にあこがれを持ちだして以来、わたしはその夜は眠ろうとせず、母と一緒に夜の港へ行き、船の出航を見送りたいと切に思った。もう眠っている姉はそのままにして、わたしははじめて母の袂をしっかり握りしめ、父を見送りに、港へ行った。出航の時間が迫っていて、港には昼間の森閑さはどこへやら、祭りの夜のように人が大勢集っていた。眠った象のような昼間の船の代りに、港には電球をまぶしいほどつけた白い連絡船が、優雅に横たわっていた。

(続きは本誌でお楽しみください。)