立ち読み:新潮 2019年4月号

あなたの日常に福島はある/小松理虔

当事者は拡張する

 死なない人はいない。老いない人もいない。エネルギーをまったく使わずに暮らせる人もほとんどいない。食い物を食わずに生きられる人もいない。人は日々、エネルギーを消費して暮らし、老いて、いずれ死んでいく。当たり前のことすぎて日々意識することはないけれど、結局人間はそういうものだし、そういうものであるからこそ、それを支えている人がいて、そういう人たちの支えで、ぼくたちはそれらを意識しなくても暮らせるようになっている。生老病死やエネルギーや食に関わりのない人などいない。
 ここ二年ほど、「いごく」という、地元のいわき市が行なっている高齢者福祉の情報発信プロジェクトに関わっている。医療や介護の先進的な取り組みを取材したり、「当事者」の方のインタビューを掲載したり、一〇〇歳を迎えた高齢者の話を聞きに行ったり。介護当事者でもなければ、医師でもヘルパーでもないし、福祉の専門知識もないぼくが、いったいどんなスタンスで紙面を作れるのか、プロジェクトが始まった頃はとても悩んだ。けれど、悩みながらも関わり続けて思い至ったのは、結局ぼくは介護当事者の外部にいるのだから、その外部の視点で書き、関わっていくしかないというシンプルな結論だった。
 介護の直接的な当事者でも医者でも介護職員でもないけれど、いずれは自分の親を介護するという意味で「未来の当事者」とは言えるし、ゴミ捨て場やスーパーなんかでご近所の高齢者を介護することもあるかも、という意味では、地域の間接的な当事者とは言えるはず。というかそれ以前に、自分も老い、親も老い、誰もがいずれ死ぬ。考えてみれば、医療や介護に関わりがまったくない人などいないのだった。
 そして、老いや死は極めて社会的なものでもある。一人で死にたいと思っても、死亡診断書を書くのは医師だし、僧侶の読経なしに成仏もできない。病院や施設の世話になり、そしてその多くは誰かの納める税金で運営されている。人間が社会的な生き物である以上、結局ぼくたちはどれほど天涯孤独を望んでも一人では死ねないし、誰かの老いや死に関わらざるを得ないのだ。
 認知症の数が激増する今、地域の人たちの見回りや手助け、共感や理解がなければ、地域の高齢者を支えることはできないし、いずれ老いゆく自分も支えてはもらえない。地域社会に生きるぼくたちは、好むと好まざるとにかかわらず、医療や介護の当事者ということになる。ぼくも先日、「認知症サポーター養成講座」という講座を受けた。こんな講座を受けてしまったぼくは、もはや立派な介護関係者だと言わざるを得ないのかもしれない。
 福祉の世界には「社会モデル」という考え方がある。「障害は個人にあるのではなく社会にある」というものだ。例えば、足の不自由な人が一階から二階に上がりたいのに階段が急で上がることができないとする。社会モデルの場合、二階に上がれないのは、足が不自由だからではなく、エレベーターのような設備が整備されていないからだと考える。なんらかの障害がある人でも、社会の側の環境が整えば、その人は障害を感じずに済むということだ。
 障害のある人が就職を目指すとき、いくらその人が就労訓練をして能力がついたとしても、受け入れる会社の現場の人たちが無理解で差別的な対応をしてしまったら、その人は能力を発揮できず自立は進まないだろう。介護や福祉に無関係な人などいない。福祉の情報発信事業に関わるようになって、日々そのことを強く感じるようになった。
 そんなふうに、医療や介護の素人として取材をし、記事を書き、おそらく専門家には「こいつ何もわかっちゃいないなあ」と思われながらも素朴に質問をぶつけ、時に的外れな返答をし、それらの体験を等身大に綴ってきた。しかしだからこそ、ぼくと同じような「素人」、いわば課題の外部にいる人たちが関心を抱き、少しずつ地域の医療や介護への理解が進むのではないだろうか。今ではそんなふうに素人の強みを自覚しながら記事を書けるようになってきた。
 この「いごく」の取り組みは、おかげさまで県外でも少しずつ話題になり、取り組みについて話をして欲しいというオーダーも増えた。ついこの間も、埼玉県の不動岡高校という高校からオファーがあり、いわき市の介護や福祉の取り組みを体験するツアーを企画した。そのツアーは、福島県が展開する「ホープツーリズム」の一環として行われた。本来は被災地の復興の取り組みを学ぶツアーである。それなのに、高校生たちは復興とはほとんど関係のない、いわき市の福祉や介護を学ぶためにやってきた。どこか痛快である。
 そのツアーで、高校生たちは、入棺体験をしたり、老人ホームで介護体験をしたり、後期高齢者が食べるようなペースト食を食べたりして介護の世界を楽しみ、その後のワークショップでは体験を言葉にした。「生きるとは?」「死ぬとは?」「地域とは?」という根源的な問いを立て、自分たちなりの言葉を紡いだ高校生たち。彼らのそのふわふわとした「外部性」は、現場の人たちにも影響を与えたことだろう。生徒を受け入れた施設の方から、自分たちがやってきたことを再確認できたとか、素朴な質問が、かえって自分たちに気づきをもたらしてくれたとか、好意的な声が多かったのが印象的だった。何も知らない彼らだからこそ、その純粋な問いかけが硬直した現場に風をもたらすのだろう。
 今回のツアーに限らず、この「いごく」というプロジェクトは、生老病死や介護の問題をかなり不謹慎に取り扱ってきた。すでに二回行われた「いごくフェス」というイベントでは入棺体験が人気で、ぼくも記事のなかで「まずは死んでみよう!」「棺の中から生を考えよう」なんて軽口を叩いている。周囲からは「不謹慎だ」という声も聞こえるけれど実際には大人気。みんな死を体験してみたいのだ。
 地域のなかで大活躍しているジジイやババア(愛を込めて)も積極的に取材する。地域の高齢者と交流してみると、先達たちの暮らしの中に、ぼくたちが新しいカルチャーとして横文字で語りたくなる生活の知恵が脈々と受け継がれていたりするのに気づく。若者よりもジジイやババアの方が圧倒的に手足を動かしているのにも驚かされた。洋裁の上手い母ちゃん、大工仕事のできる父ちゃん、切り絵をやっていた人、絵本を読み聞かせしてきた人、吹奏楽団に関わってきた人やカラオケの上手い人、プロ級の料理の腕前を持つ人。地域のなかには、ぼくたちがあっと驚く能力を持った人たちが、当たり前のように存在しているのだった。
 そのうちぼくたちは、ジジイやババアたちと何か楽しいことがやりたいと思うようになった。そこで昨年、たまたま実行委員として関わっていた市の文化事業と連動させ、芸術展示と町歩きと文化講座を詰め込んだ「しらみずアーツキャンプ」というイベントを企画した。市内の芸術家の作品が展示される中、ジジイやババアたちと一緒に作ったカカシも芸術作品として展示された。そんなふうに、自分の関心の赴くまま、素人の立場で介護や福祉を楽しんでいたら、いつの間にか、老いや死、介護に対するイメージがガラリと変わってしまったのだった。
 要するに、なんの専門性もないぼくたちは、悪ふざけして楽しんでいるうちにジジイやババアの魅力に触れ、彼らと活動を共にしたり、専門家から話を聞いて「認知症サポーター」になってしまったり、アートプロジェクトのような企画まで立ち上げてしまったのである。ぼくが介護職員だったら介助するだろう。ぼくが医師だったら診察しているはずだ。医師でもヘルパーでも家族でもない「外側にいる人」だからこそ、そのようなふまじめな関わりが可能であり、それをふわふわと楽しむことができたのかもしれない。
 このように当事者性を拡張しようとする活動は、いつもぼくの心の中の「福島」に光を照射する。福島は、ぼくの触れ合ってきた地域医療や介護のように、素人やニワカを包摂してきただろうか。福島を知らない人は福島を語るな。間違った知識で関わるな。その関わり方は間違っている、正しい関わりをしろ。そんな言説はなかっただろうか、と。

(続きは本誌でお楽しみください。)