立ち読み:新潮 2019年5月号

ニューシネマ「バブルの塔」/筒井康隆

 扁桃腺は偏西風に乗る。悪事千里を走って今は北の国。詐欺師のカタリーナ・ゴロツキーや泥棒のスベターナ・マラゾフといった美人連中と共謀しロシア経済顧問となったゴールドマン・アルトサックスを騙してロシア連邦中央銀行から一千万ルーブルをせしめた私は、ずっと以前から仲間だった筈のウラギリール・コロシェンコに追われてその金を奪われた。油断するべきではなかったのだ。だが殺されそうになったその時の傷もやがてすぐに新たな詐欺的文学行為のプラシボ効果でスパシーボスパシーボ。キメラのガメラをカメラに収める。精神を甦らせた私はたちまち復讐の鬼となり彼を追ったのだが、カタリーナ・ゴロツキーとスベターナ・マラゾフの女性二人は彼に殺された。安全剃刀の刃を数百枚肌に刺し込まれて差し込まれてそのスリットがデメリット、目の前で惨殺されたカタリーナ・ゴロツキーを見て、スベターナ・マラゾフの喘ぎながらの最期の言葉は次のようなものであったという。
「あっ。では次にわたしも殺すのね。いやいやいや。殺さないで殺さないで。でも殺すのならあっさりと殺してね。あっさりと。苦しむのはいや。痛いのもいや。カタリーナ・ゴロツキーを殺した方法以外の方法で殺して。えっ。なんで命令したらいけないの。ああ、そう。偉そうに命令したからわざと苦しむような方法で殺してやるって言うのね。ああそうか。なるほどなあ。じゃあ折角だから、苦しんで死んでやろうか。死ぬときの苦痛だって人生の味のひとつだもんね。たっぷりと味わって死ななきゃ損だもんね。だって死を見ること家に帰るが如しって言うもんね」そんなこと言うもんか。
 かくてスベターナ・マラゾフは両手の指を左右交互に一本ずつ切断されていき、苦しみに苦しみ抜き神様お慈悲ですお慈悲ですこれほどの苦痛はもはや苦痛とは言えませんこれは死の苦痛以上の苦痛ですと顔の相が変るほど絶叫し続けたのだったが、結局指を七本取られただけで早くも気を失い、失血死で死亡したという。そうなんだ。彼女たちの復讐もしてやらなきゃな。男はいつもそうだけど、あとでわかって気がついて、ああ、ああ、おれが悪かった、カタリーナ・ゴロツキーとスベターナ・マラゾフは共にその笑みが極めて蠱惑的な薔薇のような女たちだった。彼女たちの嫉妬し合うことのない私への愛を憶うたびにウラギリール・コロシェンコへの憎悪は甦るのだ。彼奴はいつも私の才能と人気に猪を妬む豚の如く嫉妬していた。私の両側に寝そべる二人の金髪美人を想像してはめらりめらりと憎悪の焔を燃やしていた。どこにいやがるあの豚に似た豚野郎め。必ず屠り去ってやるぞ。
 ソ連に占領されたばかりの北のなだらかな丘陵地帯を歓喜という名の怪獣が行く。歓喜はでかい図ゥ体が極彩色で色分けされていて時おり歓喜に満ちた大きな眼を見開いてこちらを見るが、まったく声を出さない。歓喜しているなら歓喜の声を張りあげてもよさそうなものだが、ただ大きな赤い口を開けるだけだ。だからこちらだって嬉しくもなんともない。それに比べたら東の平原を行く悲哀という名の怪獣はなんとも言えない不条理な声を張りあげて咆哮する。聞いている者も悲哀に包まれて、自殺した者も大勢いる。この悲哀は全身が半透明のサファイア色をしていて、その巨大さは歓喜に劣らない。こうした怪物はロシアにはたくさんいて、急に増えはじめたのは今私がいるソヴィエト時代だったらしい。特に歓喜は私がこの時間に来た時爆発的に増えた。ただ悲哀に関しては別のフィクションから流入してきたキャラクターだというが、その作者が誰なのか読者は知らない。あっ。それを聞いてどうする。わが心の平原の彼方からは次つぎと疑惑の黒雲が湧きあがってくるかのようだ。
 そんな世界を旅していると、時おり背後にカタリーナ・ゴロツキーが出現する。死んだ時のように全裸である。勿論幽霊なのだが本人に幽霊という自覚はないようだ。そして幽霊相応の筋の通らない、夢のような話をしかけてくる。「ねえねえね。ウラギリール・コロシェンコは猫だったのよ。何度も殺されそうになってなかなか死なない猫だったのね。そしてあの猫の殺しかたはねえ、舌に釘を打ち込むんだって。そうよ。別のフィクションから避難してきた猫だったのよ」
「いいや、あいつは猫なんかじゃない。ウラギリール・コロシェンコはロシア皇帝の血を引く歴としたロシア人だ。殺しかたはな、焼けた針金を耳に突き刺して鼓膜をざわわと突き破り、そいつを脳に達するまで奥に突っ込んでがりがりごりがりごりと掻きまわして狂い死にさせる。あいつは今、巨根の陳沈珍と一緒に、ナマコの養殖やクルーズ観光に中国資本が投資した八千万ドルを狙って、まずは下準備とばかり、択捉にいる。私は横からそいつを戴くと同時に奴を殺す。そうとも。以前、天安門事件の直後に香港全土の中国銀行から五十億香港ドルが引き出された時、それを共産党政府職員に化けて戴こうとした私を騙して横から掻っ払ったあの憎い憎い陳沈珍も一緒に殺す」
 カモイワッカ岬まで追いつめたウラギリール・コロシェンコと陳沈珍に、お前たちの死に場所はここだということを言い含めてやると、まず陳沈珍が勃起したペニスから尿をどっと噴出させて喚き始める。「近習兵が来るあるぞ。お前なんかすぐに両手首切断されるあるぞ。屍体は缶詰に加工して北朝鮮と韓国とバルト三国に売るある。私たちを殺す実にまことにいかんある。殺すないある。助けるある。殺されたら私死ぬある。死ぬのいやある。チャンウェイチャンウェイツーツーカイあるぞ。あの娘もこの娘も私が死んだら嘆くある。私のこの逸物、他にふたつとないからあるよ」
 叫び続ける陳沈珍の巨根を鋭利な青龍刀で縦にすっぱりふたつに断ち割り、さらに横に割って四本にし、さらに斜めに割って八本にし、さらに十六本にし、さらに三十二本、六十四本と、ええと、勘定は合っているのか。これぞささらペニスの刑なるぞ。そのささらペニスの根元を握りしめ筆先から流れ落ちる鮮血の赤い文字でこの世の名残りのダイイング・メッセージを書けと命じれば、真っ赤に充血した恨みっぽい眼でこちらを見ながら大地に「恨」と書いてくるりと眼球を裏返し、引っくり返って死ぬ。
 ひやあああああと叫び、この陳沈珍の死にざまを見ていたウラギリール・コロシェンコの命乞いが始まる。日本語ならさしづめ次のようになる。「その血だまりは吹きだまり、秋の夕日に照るヤマモミジ、恋の振り袖ああ今はもう動かないおじいさんの屍体。深い紫色の闇に沈潜してロイハニロイハニ、ハロイトヘホニハ、ホヘハホヘハ。背景の夜空の布をちょいと下向きの窓に切って捲りあげれば彼方はモスクワ。私は一羽の蝶となり韃靼海峡を西へ飛ぶ」
 畜生。また時空を超えて逃げやがった。しかし私にとって具合のいいことに彼がモスクワに到着した丁度その時期、外国からの資金調達に依存していたロシアの大企業は世界的な信用収縮の影響をまともに受け、特にグルジア戦争開始以後は西欧の銀行がロシアに金を貸したがらなくなっていたので国内経済は冷え込んでいた。これじゃロシア人は誰も騙せない。私以外の詐欺師の大群、あいにく彼らは私たちのような時をかける詐欺師ではないから、ハラショお手上げどうしましょ、あの悪名高いモジョジョジョの親分に縋ってもどうしようもないことはわかっている。世界へ出て行ける知能と自分の国から出て行けない知能があるとすれば、ロシア人はほとんどが自国から出られない。
 モスクワのメトロポール・レストランで私はウラギリール・コロシェンコがフランス一の掏摸と言われているサブテーラ・スーリとマジに仲良くマジ・シャンベルタンを飲みながら話しているのを幸運にもすぐ背後の席から盗聴することができた。錆びたナイフのような魅力的な声で彼は彼女にこう言っていたのである。
「文学を学んでいる連中がなぜ評論家になろうとするのか、私にはその性根がさっぱりわからない。例えばトルストイドストエフスキーの研究をするのはいいが、それを評論として執筆する前に、なぜ自分自身がトルストイやドストエフスキー以上の作家になろうとして小説を書かないのか。せっかく研究したんだから私ならそうするだろうし、その評論以前に存在している筈のその小説作品を書く方が手っ取り早く文学的資産を後世に伝えることができる筈だ。それにもし私が評論を書いたなら、トルストイやドストエフスキーの作品そのものはプラスに評価しても、評論家たちとは逆にその人生論や私生活に関してはすべてマイナスに評価するだろうね。それは小説以前の問題であって、評論するほどのことじゃないんだから」

(続きは本誌でお楽しみください。)