立ち読み:新潮 2019年6月号

スノードロップ/島田雅彦

いつの時代とも知れないが、そう遠くない未来の物語

      少女でもなく老婆でもなく

 もう涙を流すこともない。すでに一生分泣いたのだから。
 何も怖いものなどない。すでに一度死んでいるのだから。
 失うものなど一つもない。すでに全てを奪われているのだから。
 私の名前はスノードロップ。
 こちらでささやかな人生を享受しています。
 あなたもそちらでご苦労なさっているのですね。
 私はパラレルワールドにいるあなた、あなたは可能世界にいる私。
 お互いの日々の労苦を想像し合い、希望を失わず、
 今しばらく自分がいる世界に耐えることにしましょう。


 私は鏡の前に立ち、よく向こう側の自分に問いかけます。「あなたの心は穏やかですか?」と。すると、左右反対の私はこう答えるのです。
――くすぶっています。燃えるでもなく、消えるでもなく。
――あなたも随分、黄昏れてしまったのね。もうありのままの自分ではいられない。
――あら、黄昏も美しいものよ。とりわけ辛いことがあった日の黄昏は心に染みる。
――眼鏡をかけて、よくご覧なさい。小皺や弛みやシミが目立つ。
――そうやって粗探しをするのはあなただけ。ほら、こうやって上手に修復すれば、少女の残滓が現れる。
――そうやってなけなしの少女を前面に押し出すわけね。
――そうよ、心は顔について来るのよ。顔が若返れば、くすぶっていた心にも火がつく。
 少女でもなく、老婆でもなく、春でもなく、冬でもない。ここにいる私は私ですらなく、影や風、木漏れ日のようなもの。遠い昔に短い春があったような気がしますが、それも夢の出来事と同じです。確かに少女は夢の中でしか生きられない生き物です。ならば、微睡みに身を任せてしまえば、どんな老婆も少女に転生できるでしょう。それが唯一の救いといえるかもしれません。
 私が老いたのではありません。この世界が老い、過去のしがらみでがんじがらめになっているのです。神話の時代から続く世界最古のファミリーの一員になった時から、標準時間とは別の時間の下で暮らすことになりましたが、怒りと嘆きをかき消すこの空虚に佇み、何も思わぬこの瞬間、心に乾いた風が吹き抜けるこの切ない刹那、私はこの星に暮らす数え切れないノーバディたちと心を通わせるのです。

     ハートに火をつける

 主治医の勧めに従っているわけではないけれど、週に一度、森に散歩に出かけます。森はそそける私の心を鎮めてくれます。公務に多忙な夫が付き添うのはごく稀で、お供も連れずに一人気ままに分厚い腐葉土を踏み締めます。そして、かすかな悲鳴を上げながら飛ぶ小さな刺客が私の腕に残していった痒みをひとしきり味わうのです。
 森の中の邸には全部で十七の部屋があります。特にいつとは決めていませんが、月に二度ほど気紛れに、全ての部屋に蝋燭を灯すことにしています。電気の照明を全て消し、お百度を踏むように部屋から部屋へ、葉巻用の軸の長いマッチを手ずから擦って、燭台や行燈に据えた蝋燭一本一本に火をつけて回るのです。大きな部屋には二十本、小部屋には三本から七本、玄関や回廊、階段にも一定の間隔でおいてゆくと、その数は煩悩と同じ一〇八本にも及びます。
 わずかな気の流れも炎は敏感に察知します。揺らぐ炎はしきりに何かを私に伝えようとするのですが、その意思を推し量ることはできません。それでも揺らぎは私の心に共振し、静かに胸騒ぎに変わります。全ての蝋燭に火を灯すと、最初の部屋に戻り、各部屋を巡回し、火が消えていたら、また灯し、短くなった蝋燭にはまた新たに蝋燭を重ねます。誰もいなかった部屋にはいつしか、灯りに誘われた死者たちが集まって来ます。死者は無色透明な蛾のように飛んでくるのです。真夜中の園遊会がしめやかに始まります。これは宮中で行われる祭祀とは何の関係もない、極めて個人的な儀式ですが、死者たちに鼓舞されて、自分のハートに火をつけるために行っております。

     この世に女と生まれた者の試煉

 朝はなかなか起きることができませんが、夜はいつも本を読みます。まだ娘の舞子が小さかった頃、様々な物語を読み聞かせましたが、自分も母から同じ物語を聞かされたことを思い出します。なぜ、ヒトは自分が経験しなかった架空の物語を踏襲しようとするのでしょう? 何一つ教訓など得られないのに物語を読むことをやめられないのは、乾いた心を潤すためでしょうか、それとも別世界に暮らすもう一人の自分と出会うため? 神話や童話はどんな宗教の戒律や法よりも心に響きやすい分、万人に普遍的な救済のヒントを与えてくれます。とはいえ、改めて、童話を読み返してみると、薔薇色の人生などというものはないということが痛々しく伝わってきます。あまり深く考えないまま舞子に読み聞かせた童話は、どれも女性が辿る運命に対する心の準備を促すものばかりで、幼い頃からあまり偏見を植えつけるべきではなかったと後悔しています。
 人間の男を愛してしまった人魚姫は「王子の愛を獲得できなければ、泡と消える」と魔女にいわれながらも、魚類の下半身を人間の脚に変える薬を飲み、声を失い、一歩進むたびにナイフで抉られるような激痛に耐えなければなりませんでした。女は男に愛されなければ、泡と消える儚い存在で、声を上げたくても沈黙を強いられ、性的な痛みを引き受けなければならないという寓意でしょうが、それが嫌なら魚類のままでいよ、とは身も蓋もありません。また、なぜ人魚は雌しかいないのでしょう? 雄の人魚は絶滅してしまったのでしょうか?
 薄情な王子は隣国の姫との縁談が持ち上がると、人魚姫を捨て、彼女と結婚してしまいます。人魚姫の姉たちは髪を売って手に入れた短剣を妹に渡し、「王子を殺せば、人魚に戻れる」という魔女の伝言を授けます。しかし、暗殺することも、王子の愛を取り戻すこともできないまま、人魚姫は海の泡と消えますが、やがて、風の精に生まれ変わり、涼しさと花の香りを振りまき続ければ、いつかは魂が得られると精霊に慰められます。
 踏んだり蹴ったりの仕打ちに耐え、それでも王子を恨まず、彼の幸福をそよ風となって願いなさい、とアンデルセンは少女たちに諭したのでしょうか? あまりの過酷さに少女時代の私は思わず笑ってしまいました。通訳を雇って、鈍感な王子に事情を説明する、とか、漁師や船乗りに乗り換える、とか、王子を暗殺する、とかほかの選択を考えられるようなしたたかな少女以外は全員、海の泡になって消えなければならないのが、この世に女と生まれた者の厳しい試煉なのかもしれません。

(続きは本誌でお楽しみください。)