立ち読み:新潮 2019年9月号

行列/津村記久子

 終電で最寄り駅までやってきてシャトルバスに乗り、あれが展示されているという巨大な建物に入場し、列の最後尾に並んで二時間になる。
 前を並んでいる池内さん夫妻との会話の中で私は、それにしてもあれが無料で見られるなんてすごいですよね、と言う。二回目だ。「あれが無料で見られるなんてすごい」という話題を持ち出すのは、おそらくこの行列の最初から最後までで多くて一人五回が限度だと思うのだが、二時間で早くも二回目までを使ってしまうことに内心焦りを感じていた。いや、でもまだ池内さんの旦那さんの方は一度も言っていないので、この先ずっと言わないでいてくれたら、私がその分言えるかもしれない。
 ちなみに、池内さんの奥さんは今までで三回言っている。私と池内さん夫妻でそれぞれに五回「あれが無料で見られるなんてすごい」と切り出す権利があるとしたら、全体では十五回で、二時間で五回使っている。あれが無料で見られることのすばらしさに関しては、私は何度でも反芻することができるけれども、行列は全体で十二時間、あと十時間ある計算になるので、この先何を話せばいいのか思いやられる。いや、黙って並んでいればいいのだが、どうしても話したくなってしまう時というのがあるし、話すことになってしまった行きがかり上、ある時からまったく話さなくなるというのも気まずい。
 前に並んでいるのは池内さん夫妻、後ろに並んでいるのは母親と娘さんで、最初に挨拶したときに名越さんという名字であることが判明した。池内さん夫妻は六十代半ば、名越さんのお母さんもおそらく六十歳代で娘さんは三十代半ばといったところだ。池内さんの前には幼稚園の年長ぐらいの男の子を連れた家族連れがいて、名越さんの後ろには、私より少し年上ぐらいの男の人が一人で並んでいる。私は三十八歳だ。
「あれが前に来日したのはね、東京オリンピックの年なんですよ」
「へえそうなんですか。何十年ぶりに日本に来たんでしょう?」
 あれに関するサイトをちょっと見たらわかる情報を、池内さんの奥さんは大したことのように言うので、私は知らなかったふりをしてうなずく。
「五十五年ぶりだね。その時にも私は見たよ。父が協賛企業の重役だったので、プレオープンの時に見に連れて行ってくれた。だからこんな行列に並びはしなかったがね」
「それはすごいですね」
 池内さんの旦那さんは、そう言って欲しそうな素振りだったので私は感心する。まあ実際感心する。私の勤めている会社の重役連中が、あれを早く見るコネを持っているなんてとても思えないし。
「本国でも見ましたよね、私たち」
「そうだったかな?」
「そうですよ。二十年前に旅行で行ったじゃないですか」
「私は風邪を引いてホテルで休んでたんじゃないかな?」
「あらそうでしたか」
 私はラジオのように池内さん夫妻の会話を聞く。池内さん夫妻のラジオは、特におもしろくもないけれども、つまらなすぎるということもひどく不快ということもないので、喋らせっぱなしにしておくことにそんなに抵抗はない。
 夫妻が会話をしている間、私はリュックから本を出して読みかけのページを開く。ちなみに、行列に並んでいる私たちはほとんどが座っている。行列は長時間に及ぶ、という情報は事前から基本的な情報としてあったので、軽量で腰掛けることができるものをだいたいの人が持参しているのだ。私も持ち運び用の小さなアルミ製の椅子に座っているし、池内さん夫妻も後ろの名越さん親子も同じだ。池内さんの前の家族連れは、もっと大きなアウトドア用の椅子に座っていて、地面にビニールシートを敷いており、男の子はそこに座ったり寝転がったりしている。名越さん親子の後ろの男性は、百円ショップに売っている踏み台のようなものに、折りたたみ座布団を敷いて使っているようだが、立っている時間が比較的長い。
 しおりを挟んだページを探していると、ねえ、小川さん(私の名字だ)はあれの他のをごらんになったことはあるんですか? と池内さんの奥さんにたずねられる。私は、ないですね、海外に行ったことはないし、これまで来日したのは全部東京に来ただけだったから、と答える。
「それは人生の損をしていますね」
「そうかもしれないですね」
 だから今回一念発起して見に来ました、と私は付け加える。初対面の人の「人生の損」を指摘するというのは大胆だな、と私は池内さんの奥さんに対して思うのだが、この人はそういう無邪気な人なんだろう、と思うことにしている。旦那さんのほうは、たびたび生まれも育ちも現在の生活も良いことをほのめかしているが、奥さんの方も似たようなものなのだろう。だからほとんどの人が彼らの思う水準以下の暮らしをしていて、みんな「損」をしているのだろう。
 とはいえ池内さんの奥さんはいい人だ。私が真後ろに並び始めて三十分後、マドレーヌを分けてくれた。私は、行列のところどころに設置されている無料のお茶ディスペンサーから紅茶をもらって、そのお茶請けに食べたのだが、とてもおいしかった。奥さんは、どこかのややこしい店の名前を言って、そこの常連でパティシエも私たちの名字を知っていて、お菓子を買いに行くとわざわざ工房から出てきて挨拶をしてくれると話した。
「取り戻せるといいですね、人生の損」
「ええ、損をね」
「損はよくないですよ」
 損、損と言いながら、夫妻が満足げに微笑み合うのを私は眺める。携帯が鳴って、友達からメッセージが来たことを確認すると、少しほっとする。
『並んでるんだね。うらやましいなあ。私も並ぼうと思ったけど大変そうでやめちゃった』
 うらやましい、と言われると、改めて自分が正しい選択をしている気分になる。私は得意になって、もう二時間いるけど、全然大丈夫だよ、と返信をする。前後の人たちはいい人だし、無料で飲めるお茶もあるし、試供品が配られてくることもあるし、いろんなところにモニターが設置してあってあれに関するまとまった動画が見られる。充電のコンセントはないけど、携帯のバッテリーが尽きた人のために、列整理を兼ねた売り子がモバイルバッテリーを売りに来てくれる。安いわけじゃないけど、あれのロゴが入ってたりして実質グッズだから、行列に並んだ記念としてなら手頃だと思うんだよね。

 連休ですごく暇だったので、あれを見るための行列に並んでみようと思ったのが最初だった。普段休みの日に会う友達のうち二人が海外へ行き、他の友達もみんな家族と過ごすという中、私はちょっと国内に旅行に行くぐらいで話題性に欠けるのが密かに寂しいと思っていた矢先に、テレビのニュースで見たのだ。あれが来るのは知っていたけれども、へーそうかぐらいの気持ちでいて、ものすごく興味があるとか好きだというわけではなかった。でもあれを見るための行列に並んだら、ちょっとした武勇伝になるんじゃないかと思った。
 待ち時間は十二時間が予想されていて、かなり気後れするものはあったのだが、どうせ暇だしいいやと思い直した。お茶のディスペンサーがあることや、並んでいると軽食を売りに来てくれる様子もテレビで見たし、仮設トイレもたくさん設置されているそうだし、行列に並んだ記念に全員に無料で配られるという、あれをイメージしたお弁当がすごく魅力的に思えた。お弁当がどのタイミングかということについてはシークレットとのことで、お弁当目当てにある地点まで並んでお弁当だけもらって帰る、というようなことはできなそうだった。
 テレビでは、十二時間待ちの行列は確かに長いが、並んでいる人を飽きさせない工夫がたくさんあるということが強調されていた。あれに関する動画が流れているモニターもそうだし、あれに並んだ人限定で、有名で人気のあるゲームの限定キャラクターをもらえるという話だったし、あれのグッズの抽選に当たる権利も買えるとのことだった。
 行列はA列からZ列まであって、一列につき千人が並んでいるそうだ。私はP列に並んでいる。列のアルファベットはひとかたまりの単位のようなもので、前に進んでも、たとえば私ならO列に移動しましたというようなことはなく、A列の最初の五百人が入館しました、というような使い方をする。
 行列は十二時間待ちでものすごく長いということもあって、いろいろなエリアを通るらしい。行列を並ぶこと自体を良い経験にできるようにと、とても景観の良いエリアも用意されているそうだ。むしろその夢のような風景は、あれを無料で見ることと同等の体験であるようにも宣伝されていて、あれにも劣らないぐらいの大きな画像で説明されていた。行列に並んでいる家族連れなどは、高尚なあれ以上にその景観エリアが目当てなのではないかという話も耳にする。
 なんにしろ、この行列に並ぶと、二十世紀の東京五輪以来に来日するあれを見るという貴重な経験と、並んでいる間に見る美しい景観の思い出と、特製のお弁当と、行列に並んだ人間しか手に入れられない有名ゲームの限定キャラクターと(私はゲームはやらないけど)、十二時間もあれを見るために並んだという経験と、さまざまなものがいちどきに手に入る。時間は長いけれども、とても良いアトラクションではないだろうかと、行列に並ぶことを決めた私には思えたのだった。

(続きは本誌でお楽しみください。)