立ち読み:新潮 2019年10月号

曼陀羅華X 1994―2003/古川日出男

大文字のX

     1

 私たちの東京は静かだ。たとえば雨の朝、息子と私はともにレインコートを着て、外出する。息子のそれは黄色、私のは薄茶色で、メーカーは同じだけれども揃いではない。また、息子はゴム長靴を履いているけれども私は履かない。長靴の色は? きれいな白色ホワイトだった。足もとが目立つことを私は歓迎した。息子も歓んだ。
 跳ねて、跳ねて、歩いた。
 手をつないでいる時間は短い。私たちはしばしば、握ってもたちまち離す。他のことに必要だからだ。手が。腕が指が、手の甲も掌も。だから私たちには、傘は邪魔なのだ。だから私たちはレインコート派なのだ、親子で。
 私たちの暮らす土地には運河と橋がある。
 橋の上には人影が、二つ、三つ、いや四つある。こちら側の歩道に、だ。車道のかたわらの、私たちの側に、だ。そして息子が、駆ける、一人――の歩行者――を追い抜いて、ふり返る。私たちは四メートルは離れた。息子は語り、私は聞いた。それから、私が語り、息子は聞いた。応じて、言葉を返して、また走った。私たちはともに静かだ。息子のゴム長靴はぱちゃぱちゃと言うのだけれども。雨はしーしーと降るのだけれども。車はびゅうびゅう走行するのだけれども。
 そうなのだけれども、この東京は静かだ。
 息子はもう、七メートルは先に行った。
 足をとめ、身をひるがえした。私を見ている。運河に架かる橋は、少しばかり弓形ゆみなりに盛りあがった構造だから、橋のその中央にいる息子は、高いところにいて、普段は私のことを見上げるばかりなのに、いまは正視できる。そのことに心を弾ませている、たぶん。言葉を届ける。私にだ。七メートルは離れていて、しかし伝わらないメッセージはない。
 もちろん私は大声など出さない。なぜなら、私たちの東京は静かだから。

 それは二〇〇一年の梅雨のことで、息子は五歳だった。私は何歳だったか? いつものように、私は息子の年齢としに五十二を足す。それは少しも正確な算術ではない。が、他に手段はない。私の人生は五十二歳で変わってしまったのだし、それは「停まってしまった」とも言い換えられる類いだから。
 もちろん私は、注意おさおさ怠らないのだけれども。
 どのようにフリーズし続けていても、警戒、おさおさ怠らないのだけれども。
 だけれども老いはする。残念なことだ年齢としなど、本当に停まってしまえばよいものを。

     2

 にぎやかなひと時もある。
 私たちに私のガールフレンドが加わる。私のガールフレンドは私の息子の戸籍上の母親だ。それから、戸籍上の私の妻だ。私はほとほと感心するが、彼女は息子にあやとりを教えた。そして二人で遊ぶのだった。順番に、手を交えて、川を作る、吊り橋を作る、小舟を作ってダイヤのような幾何学模様を作って、蛙を作る。どうやったのだ? 私は「ほう」と唸ってしまう。
 息子は笑う。楽しいから笑うのだ。それも、声を立てて笑う。
 ハハッと響いた。
 私のガールフレンドは一人あやとりでライオンも作れる。それから月も。それから鯨も。
 私はほとほと感心してしまう。しかも、息子もまた「できる」ようにしてしまえるのだ。あっさりとコミュニケーションする。
 以前は折り紙を教えた。
 その時も息子は、自分の手指が、たとえば鳥(鶴)を、たとえば花(菖蒲あやめ)を生めるとわかるや、笑った。
 だから、二人で――息子と彼女とで――何百羽をも生んだ。いつもにぎやかに。にぎやかに。
 それらは優しい時間だ。
 けれども私のガールフレンドは息子の生みの母ではないし、いささかも「母親っぽい」態度をとらない。私はそのことに、感謝する。なぜならば、そもそも、私が父親であればいいのだから――それだけなのだから。
 年に三度か、四度だけ、私のガールフレンドは私たちの前に現われる。

 私は、すでに二度結婚していて、さらに、二度離婚している。私は、一度も子供を持とうとしなかった。二度めの離婚(三十代の前半のことだ)はこれが原因だったとも言える。その私がこうして息子を得、かつ三人めの妻を迎えている。公文書のうえでは、だが。このことを奇妙だと、もちろん私は思う。
 一九九五年以前に、私はこんなふうな“現在いま”を想像できたか?
 もちろん、できるはずもなかった。
 そのすべがなかった。
 もしもあったのだとしたら、それはただの魔術だ、となる。
 私はそのような力――魔の現象――を全身で否定する。
 しかし、否定というようなネガティブな語を私は用いたいとは思わない。この文脈では。むしろ私が用いたいのは、いいや、私がしたいのは、いいや、やはり私が用いたい、駆使したいのは、ただの愛情だ。

 言葉。その用い方に、私は(細心の、とまでは言わないが)それなりの注意を払う。職業柄そうする。「しないでいいぞ」と思っていても、してしまう。これぞ、不断のトレーニングなのかもしれない。不断の努力、それがあって私はプロフェッショナルとして立っているのかもしれない。もう二十年もだ。もう三十年もだ。違う……じきに三十年も、だ。
 私の時間は息子の時計に、そのせいの時計に呑み込まれつつある。やはり。
 上手には歳月を数えられない。

(続きは本誌でお楽しみください。)