立ち読み:新潮 2020年5月号

リリアン/岸 政彦

 ひとりで家を出て飲みにいくとき、誰もいない浜辺でシュノーケルをつけて、ゆっくりと海に入っていくときの感じに似てるといつも思う。若いとき、狂ったように和歌山や鳥羽や若狭の海に通って、たったひとりでシュノーケルをつけて、ただ海に浮かんでいた。目的も目標もなにもなく、理由すらなく、ただ地図を見て、ああ次の休みの日はここに行こうと決め、朝早く起きてフィンとマスクとシュノーケルとタオルと、そのほか細々したものをダイビング用のメッシュバッグに入れ、ぼろぼろの軽自動車の後部座席にぶちこんで、ひたすらに海に向かっていた。あれは何だったんだろう。
 そのうち地図を見るだけでちょうどよいエントリーのポイントが見つかるようになる。それはまず狭い浜辺や岩場であること。車で入っていけるぐらいの道があり、停められそうな場所があること。必ずしも砂浜でなくていい。岩だらけの場所でもいい。むしろ岩場のほうが、水が澄んでいるし、人も少ない。
 途中で必ずコンビニに寄って、簡単な食いものを少しと水を大量に買う。2リットルのペットボトルを三本ぐらいは買う。帰るときに体の潮水を落とすために使うから。朝飯はほとんど食わない。
 ちょうどよい場所が見つかると、適当にそのへんに車を停め、車内で着替えて(いつもこういうとき男は気楽だなと思う)、フィンとマスクとシュノーケルの三点セットを持って、水辺までいく。日焼けしすぎないように、真夏でもちゃんとTシャツやラッシュガードを着る。ダイビングブーツを履いてるから、岩場でも足の裏は痛くない。
 誰もいない浜辺に、水鳥が飛ぶ。蝉が鳴いている。日本海はバスクリンみたいな青緑色で、とてもきれいだけど、和歌山の海は真っ黒だ。でもそれも好きで、和歌山の海にもよく行った。
 最後に行ったときは日本海の若狭の、もう細かい場所はどこだか忘れたが、ほんとうに誰もいない広い岩場で、内海の小さな入り江にあり、水は澄んでいて透明で、穏やかな波がちゃぷちゃぷと岩を洗っていた。
 三点セットを手に持ったまま、ゆっくりと海の水につかる。足首から脛、膝、太股まで生ぬるい水のなかに入ったところで、風呂に浸かるようにしてしゃがんで肩まで水に入り、まずはマスクのガラスの内側に唾を吐いたり、そこらへんの海藻を抜いてちぎって揉んで、そのぬるぬるをガラスの内側に塗りつける。曇り防止だ。
 髪の毛を水で濡らしてオールバックにして、シュノーケルとマスクのベルトを頭に通す。ゴムのベルトに髪の毛がひっかかって、ちょっと痛い。マスクを目の位置に装着し、曇りがないか確かめて、大丈夫だったら、水面の上でシュノーケルを咥える。なかに水が入っていたら、弁を手のひらでふさいで強く息を吐くと、煙突の先から水が霧になって勢いよく出ていく。
 水のなかにしゃがんで、手に二つの重いフィンを持ったまま、顔を水につける。ここからは、口でしか呼吸できない。
 マスクのガラスを通して水の中が見える。下をむくと、しゃがんでいる自分の膝が見える。背中を水面に浮かべて、ゆっくりと膝を伸ばすと、うつ伏せになって水に浮く。
 フィンはまだ手に持っている。すこしバタ足をすると、体は沖のほうに流れていく。冷たくて生ぬるい水が、胸や腹の下を流れていく。まだ浅いから水の中も明るくて、すぐ目の前に水底が見えている。透明な小さな魚がいる。まばらに海藻が生えて、ゆっくりと揺らいでいる。岩のかたまりのあいだに白い砂が広がっている。少しずつ深くなる。
 足が届かないぐらい深いところまで漂うようにして泳いでいって、そこでぐるりと反転し、仰向けになって腰を曲げて、体を沈めて頭を水面の上に出す。そのままの姿勢で片足ずつフィンを装着する。水中に浮いたまま片足立ちをするような格好で、自分でも器用だなと思う。足先をフィンに突っ込んでゴムのベルトをかかとに通す。両足にしっかりとフィンが装着されると、これでようやく、海のなかを自由に移動できるようになる。
 まわりには誰もいない。ゆっくりフィンを漕ぐと、水はすぐに深くなっていって、底が見えなくなる。水面からのたくさんの光がまっすぐに、底のない海の底に差し込んでいる。とつぜん、巨大な岩礁が現れる。下のほうがどうなってるか、何も見えない。まるで空中に浮いているお城のようだ。てっぺんは海藻で覆われて、フジツボみたいなゴツゴツしたものがたくさんついていて、そのまわりをたくさんのいろんな種類の魚が、波に揺れながら泳いでいる。
 岩礁を通り過ぎると、とつぜんまた違った光景が現れて驚く。それまで底が見えないほど深かったのに、急にまた浅くなっていて、底はいちめんの真っ白な砂で、風紋のような波の模様がついていて、そこに千本もの光の筋が差し込んでいて、海のなかで銀のカーテンが風に吹かれているみたいに、きらきらと揺れている。
 海のなかではすべてのものが揺れている。岩でさえ、魚や海藻に囲まれて揺れているように見える。どうしてかわからないけど、ときどきマスクのなかで泣くことがある。海のなかではぜんぶが揺れているんだなと思う。
 そういうときに限って巨大な海亀がゆっくりと現れる。そしてちらりとこちらを見ると、悠然と方向を変え、黙ってまた沖のほうに向かおうとする。思わず付いていきそうになる。連れてってくれ。俺を連れていってくれ。
 ドアを閉めて、財布と携帯と鍵だけ持って玄関から一歩出ると、いつも一瞬だけ自分がどこにいて、これからどこに行こうとしているのか、わからなくなる。
 仕事のない夜に、ひとりで暮らしているこの路地裏の2DKの古い安マンションで、ポール・チェンバースやジョージ・ムラーツの教科書のようなベースソロをコピーしたり、簡単なクラシックの曲の弓弾きを自己流でやってみたり、あるいはただ単にぼんやりと音楽を聴いたり、適当な本を読んだり、サボテンに水をやったりしていて、そのうち夜が更けてきて、もう楽器の音も出せなくなってくる。
 そういう、仕事もなく、用事もなく、練習もできない、読みたい本もないという夜は、フィンやシュノーケルのように財布と携帯だけを持って、古くて汚いマンションの部屋を出る。
 そして玄関先で、右にいくのか左にいくのかいつも一瞬迷う。いつも、シュノーケルをつけて生ぬるい海のなかに体ごと入っていく、あの感じに似てるなと思う。脇腹や太ももを、冷たくて温かい海水がゆっくりと撫でていく。息を止めて深く潜ると、音が消えていく。方向も時間も、自分の名前も忘れていく。あの感じ。
 階段を降りてマンションから出ると、すぐ前は駅から続く寂れた商店街がちょうど果てるところで、その狭くて細い道を、小さな魚のような人びとが歩いていく。海のなかはすべてが揺れているが、地上もそれは変わりない。まばらな店にともる明かりがゆらゆらとまたたいている。規則正しく街灯が並び、オレンジ色の光がまぶしい。そしてはるか上空に満月が昇っていて、金色の光が千本も海底に差し込んでいる。風が吹いて、枯れかけた街路樹がおだやかに揺れている。海も街も変わらない。どこへ行くかも決めずにひとりで玄関を出て、海のような街をゆっくりと泳ぐように歩く。
 駅のほうに向かうと、だんだんと盛り場が栄えてきて、明るくなってくる。大きなスナックビルの岩礁や、小さい岩場の居酒屋や焼き鳥屋、焼き肉屋がたくさん並んでいる。深夜まで開いてるスーパーが、イカ釣りに使うような強烈な蛍光灯の光をあたりにまき散らしている。中学生の雑魚の集団が、塾帰りだろうか、コンビニのチキンを手にもって駐車場の片隅にたむろして、口をぱくぱくとさせている。その横を、ひとりで、海亀のように歩く。どこへ行くのも自由だ。海のなかは、自由で寂しい。ひとりで飲みにでかけるのも、自由で寂しい。
 最近はもう、音楽をやめようかとそればかり考えている。やめて何ができるわけでもないのだが、ぱっとしないまま、だらだらと飯だけ食えているいまの状態に嫌気がさしている。飯だけがだらだらと食える状態、というのは、残酷なものだ。やめどきが見つからない。音楽とスポーツは生まれつきぜんぶ決まっている、と聞いたことがある。どれくらいできて、どれくらいできないか、生まれたときにぜんぶ決まっているのだ。どれだけ練習しても、どれだけ努力しても、どれくらい沖合まで泳いで行けるかは、もうぜんぶ決まっている。
 そして、その「飯を食う」ということも、大阪ではどんどん難しくなっている。客もどんどん減ってるし、店も減り続けている。
 大きな表通りの、地下鉄の出口がある交差点のまわりには、そこそこビルも建っていて、白木屋や和民みたいなどうでもいい居酒屋の看板もあり、マクドやモスや牛丼屋もあり、なんとなくそれなりに栄えてる街に見える。でもこの街は大阪の南の端にある場末の街で、一本裏に入ると、ただぽつりぽつりとうどん屋やスナックやバーがあるだけの、寂しい街だ。難波や梅田にも御堂筋線で一本で行けて、駅に近くても家賃が安いから、もう八年ぐらいここに住んでるけど、特に気に入ってるわけではない。
 そのバーはドミンゴという名前で、最初は変な名前だと思ったけど、ママに聞いたらスペイン語で日曜日という意味らしい。金曜日か土曜日のほうがよかったんちゃうかって聞いたら、毎日日曜日のほうがええやろと笑っていた。そやな、毎日休みのほうがええな。そしてなぜかドミンゴも日曜が定休だ。店の名前なのに日曜日休むんか、って言われるたびにママは笑う。もしかしたらわざと定休の日曜を店の名前にして、ネタにしてるのかもしれない。
 昭和のスナックみたいな、いかにも大阪の場末っぽいところが苦手で、そういうところは店も客も高齢化しすぎてて、俺みたいな中途半端な年齢のやつは、なかなか入りづらい。ドミンゴはカウンターだけの小さな店に、もともとこの街でながいことスナックをやってたママがひとりでやってるか、たまにバイトの子が入ってるかの、スナックなのかガールズバーなのかショットバーなのかわからない店で、いちおうカラオケもあるけどママがカラオケ嫌いやと言って客には絶対に歌わせない。せっかくスナックやめたのに、なんで客の下手な歌聞かなあかんねん。そらそうやな。常連はみんな納得して黙って飲んでいる。でも、たまに二、三人連れの泥酔したサラリーマンが夜中に一見で入ってきて、カラオケあるなら歌わせろやと騒ぐこともある。ママは素直にでかいリモコンを渡すけど、びっくりするぐらい小さいボリュームに設定してて、病院の待合室のテレビみたいな小さな音でイントロが流れるたびに客がアホみたいな顔でぽかんと口を開けるのが毎回面白い。店のインテリアも適当なたこ焼き屋かネイルサロンみたいな、ニトリで買い揃えましたみたいな感じで、酒もアテも不味くて、居心地が良い。
 薄暗い路地からドアを開けて薄暗い店に入り、安っぽい合板のカウンターの、合成皮革の真っ赤なスツールに座ると、何も言わずにママがサーバーから生ビールを注ぐ。ママの奥にバイトの美沙さんもいる。特にこちらを見ることもなく、美沙さんはひとり客のおっさんと何か喋っている。ほとんどすっぴんで、ユニクロの色あせたパーカーを着ていて、首筋に皺があって、そしてあいかわらずとてもきれいだなと思う。
 生ビールを飲みながら、美沙さんと初めて喋ったときのことを思い出す。夜中の、店と駅の中間にあるファミマのイートインだった。
 その夜もドミンゴでけっこう飲んで、すぐ帰るのが何か寂しくて、でもそんなに誰かと喋りたいわけでもなくて、ただまっすぐ家に帰るのがどことなく味気なくて、表通りに出たところにあるでかいファミマで89円の炭酸水を買って、イートインにただ座ってぼんやりと窓の外を見ながら飲んでいた。そのとき美沙さんの姿が見えた。あ、店終わったんかな。両開きの自動ドアが開く。店に入ってくる。夜食か、朝ごはんでも買いにきたんかな。
 その夜は美沙さんがバイトとしてはじめてドミンゴに入った夜で、新人さんやねんと紹介されたけど、若くもなく、愛想がいいわけでもなくて、そういう俺もそんなに初めての子とぺらぺら喋ることが得意なわけでもなく、どこに住んでるのとか、どこの出身なのとか、そういうありきたりな会話を交わしたら、あとはそんなに喋らなかった。生まれは和歌山やけど、実家を出て、このへんでひとりで住んでるねん、みたいなことを言っていた。常連のおっさんが、ひとりなんかいな、おれもひとりや、もう終電あらへんわ、今日泊めてえなと冗談を飛ばし、美沙さんもひとりでさみしいから泊まりにきてほしいわあと答えて、おっさんもそんなこと言うて誰かおるんちゃうん、怖いにいちゃんでもおるんちゃうん、と笑って、なぜかそこからすぐにママのいま住んでる家がどれだけ汚いかっていう話になった。こないだ脱ぎ捨てたパンツからキノコ生えとってん。それポン酢であえて店で出したらええねん。ほんまやな。
 店でおっさんと喋るのはそれはバイトでやってるだけで、バイトが終わったら客と喋りたくもないだろうし、俺のほうもなんか気まずくて、顔をそむけて店の奥のほうを向いて黙って座ってたら、美沙さんは自分の買い物を終えたあと普通の感じでイートインまで歩いてきて、俺の横に座って、普通に話しかけてきた。
 いっつも帰りにここ寄ってんの。いやいや、そんなことないけど。
 なんかこの場にふさわしいおもしろいこと言わなと思って考えたけど、もう夜の一時を過ぎていて、俺は眠かった。美沙さんも別にこんな我孫子町の場末のファミマで、しかもやっと初出勤のバイトも終わったとこで、おもしろい話をして盛り上がりたいわけでもないようで、黙っていた。俺も黙った。
 しばらく黙っていた。

(続きは本誌でお楽しみください。)