立ち読み:新潮 2020年6月号

あの頃何してた?/綿矢りさ

1月5日

 お正月に親族とスキー旅行へ。スキーは運動音痴の自分でも楽しめる、数少ないスポーツの一つだ。誰かと対戦せず、一人で黙々と滑れるところが良い。一泊二日で新潟の越後湯沢へ、上越新幹線に乗れば、東京駅からすぐに着いた。駅を降りた途端、目の前に広がる雪景色。今年は雪が少ないから、もしかして滑れないんじゃないかとさえ思っていたのに、どうやら今朝あたりから降り始めたらしく、問題なさそうだ。
 スキー場に着くとスキーウェアや用具を一式借りて、さっそくゲレンデへ。四歳になる息子も初めて見る白銀の世界に大喜びで、さっそくアイスクリームのスクーパーみたいな道具で雪玉を作り始めた。義理の両親、夫と共に正月をこんな風にアクティブに過ごせるのは、みんな元気な証拠だ。どこかへ旅行するだけでも気持ちが良いけど、さらに共通の好きなことで盛り上がれるのは、良い思い出を作る機会にもなる。それにしても、ひとしきり滑ったあとに食べる、紅しょうがが真っ赤でちょっと甘い、具の少ない黄色いカレーは、なんであんなに美味しいんだろう?
 二日目、義理の両親が息子を見てくれると言ってくれたので、夫婦でゲレンデに行った。昨日よりもさらに雪が激しかったが、まだ人はたくさんいた。
「結構降ってるけど大丈夫かな」
「これくらいなら、行けるんじゃない」
 私たち二人とも、もうすぐ帰らなきゃいけないからもっと滑りたい、せっかく来たんだし、という思いがあった。他にもスキーしているお客さんはいるし、リフトも止まってないし。なんとなく大丈夫だろうという思いで、あと一本だけ滑ろうと、初心者コースのスタート地点へ行けるロープウェイに乗った。
 山の中腹に着いて降りたら、山の端にいたときよりもさらに強く吹雪いていた。昨日見た晴れ渡った、隣の山々の稜線がくっきりと見える景色ではなく、遠くも近くも白く煙っている。しかしまだ人はいた。蛍光色の鮮やかなスキー服が斜面を滑り降りている。小さな子どももいる。
「もう少しだけリフトで上へ登って、初心者コースを一度遊んだあと下山しよう」
 私たちはリフトまでの道を、滑り始めた。夫が先頭で、その少しあとに私が続く。だけどスタート地点ではまだ明瞭だった視界も、山道のカーブを一つ曲がっただけで白く煙り、顔にごく小さな雪のミストが降りかかってきた。顔はゴーグルとマスクで覆っているが、息を吸い込むと、予想していたよりもずいぶんひんやりした空気が入ってくる。思ったより風が強く、たちまち吹雪いて前が見えなくなった。少し先を行く夫の後ろ姿もすぐ見えなくなる。
 リフトの入り口は雪が盛られ、なだらかな小さな坂になっている。そのためスキー板をハの字にして、雪を蹴るようにして登らなければいけない。私はこの作業が下手で、勢いよく登ろうとしても息切れして途中でちょっと休んでしまい、その瞬間またずるずると坂の下まで滑り落ちてしまう。何度スキー板を脱いで普通に登ってしまいたいと思ったか。
 そのとき目の前に現れたリフト乗り場の前にも坂があった。前日にもこのコースを滑ったとき、この坂に苦労させられたのは覚えていたから、私は登る覚悟を決めた。しかし追い風が強いため、まるで招き入れられるように、なんの力を入れなくても私の身体は坂を登っていった。ひゅうーという風の音が耳の横で聞こえ、雪の精に背中を押されているかのように、純白の雪景色から、屋根のある薄暗いリフト乗り場の入り口へ向かって押し出される。
 入り口にさしかかったとき、入り口の半分を塞いでいた大きな風除けの衝立が、強風に煽られ、私の前にいた夫のすぐ側でバタンと倒れた。風で倒れるくらいの衝立だから、軽いものだろうと思っていたが、ようやく追いついて横に並んだ私の顔を見た夫の顔は真っ青だった。
「見て」
 衝立にぶつかった夫の右手のストックは、真っ二つに折れていた。衝立は係員の男性が三人がかりで力いっぱい押してようやく立て直すことができるほどの重量だったのだ。夫の立ち位置があと数センチずれていたら、衝立が倒れてきたとき、スキー板を履いているのもあるからすぐに逃げられなかっただろう。そしたらきっと夫の足か何かがストックのようになっていたはずだ。
 まだ驚きの覚めないうちに誘導されリフトに乗り、どんどん上昇していくなか後悔したが、後の祭りだった。吹雪のつぶてを顔にびしばし受けながら、二人で言葉少なだった。さっきの恐怖がまだ覚めやらない。あと少しのことで大変な事態になっていた、とこれほどまでに強く感じた経験は、私は初めてだ。夫は私が恐がっているのに気付いて色々と話しかけて気分を和ませてくれたが、衝立が身体を掠めるほど近くに倒れてきた夫の方が、もっとびっくりしていたに違いない。
 夫はストックが折れていると係員に相談したが、そのまま滑って下に着いたら交換してくださいとのことで、一本で降りていく。私も吹雪で不鮮明な視界のなか、さっきの衝立インパクトもあり、顔面蒼白で滑り下りた。

1月24日

 京都から母がうちへやって来た。年末に京都で会って以来で、うちで話したり、近くまで外食へ出かけたり。いつも東京へ来ると母は「京都の方がもっと寒いわ」と言うのだが、今回もそれが聞けて嬉しかった。京都の寒さは私も知っている、そしてその寒さがどれほど厳しいかを語るとき、なぜか誇らしい気持ちになるのだった。外は寒く、あんまり観光はせずに息子と遊びつつ、ほとんど家のなかで過ごした。私は中国語を勉強中だったので、趣味で中国のニュースサイトやブログサイトを読んでいた。独力で全て理解できる能力が無いので、グーグルの翻訳機能に頼りながら。普段なら本場のサイトは読解に骨が折れるから読まないで、すでに日本語に翻訳してある中国の記事を読むのだが、この頃はリアルタイムで不思議な記事や画像が上がるので、一日に何度も覗いていた。
 一月の前半ごろから、中国に住む人たちのブログに、武漢での異変が書き込まれるようになった。SARSに似た症状の感染病が広まっていると。感染源はコウモリの可能性が高く、感染したコウモリを食べた人から広まった可能性があるとの話だった。だから、野生動物を食べる「野味」の習慣を無くそう、というイラストつきの啓蒙画像もよく見られた。しかしコメント欄の意見を読んでいると、野味を好む人はごくごく少数派のようだ。
 被害の大きい武漢では感染者を外に出さないよう、封鎖が始まったと。「封村」の文字と共に、ブルドーザーなどの重機、または土や岩などを盛って村の出入り口を物理的に塞いでいる写真なども出回り始めた。即席の関所に村の役員が座って、人々の出入りを監視している写真などは、フィクションのドラマの一場面のように見えた。少し遅れて「封城」という、封村よりもさらに広い範囲の、都市を封鎖する意味の言葉も目立ち始めた。
 乏しい語学力で読んでいるから、間違ってとらえてるんだろう、きっとそうだ、と思わずにはいられないほど、信じられないことばかり書いてあった。読み間違いだ、と思っても、一緒に添付されている画像を見れば、説得力は増す。一体何が起こってるんだろう。
 被害の出ていない地域から被害の大きい地域への、励ましの言葉も目立ち始めた。「武カン加油」などの文字と共に、マスクをつけているちびまる子ちゃんの画像なども一緒にだ(ちびまる子ちゃんは中国でも人気)。春節だが自宅待機を命じられた人たちは、ずっと在宅で過ごし、なんとか暇と運動不足を解消しようと、自宅内を観光地に見立ててツアーをしたりしていた。

2月1日

 公開対談の仕事。銀行主催の対談で、『2030年に向けて変わる社会、そしてわたしたちの未来は』というテーマについて話す。対談相手の理路整然とした、圧倒的な情報量に触れて、今まで想像しなかったような未来の都市のヴィジョンが思い浮かんだ。またAIができることがかなり多いことも知った。
 中国語をよく知る助けになればと見始めた、中国のニュースの内容が衝撃的で、寝不足になる。武漢だけに収まらず、じわじわと近隣地域にも感染拡大が広まるなかで、防護服姿の医師や看護師が多忙すぎて、ほんの少しの休憩時間にみんなで床に寝転がって仮眠を取る姿、椅子に座ったまま眠っている画像などが上がっている。防護服をつけた、表情の読み取れない姿であっても、彼らがへとへとに疲れているのが伝わってくる。一体どれほど患者を抱えているんだろう。感染から回復した高齢のご老人の退院を見守っているさなか、感極まって泣き出す医師の映像もあった。退院できたのは本当に良かったけど、高齢者の退院がこんなに快挙になるほど、かかると重い病気なのかなと、うっすら不安にもなる。隣の国でこんなことが本当に起きているなんて、未だ信じられない。

2月4日

 発刊間近の文庫本の販促のため、新聞社に行く。新型肺炎についてのことばかり私が話すので、夫がちょっと疲れ気味。夜、いま書いている小説に少し出てくる秋葉原を見たくなり、リフレッシュも兼ねて夫に車で連れて行ってもらう。人出が少しは減っているかと思いきや、いつも通り、賑やか。巨大なビルの前面には垂れ幕、看板、ポスターなどが所狭しと貼られ、街を歩くだけで得られる情報量の多さが半端じゃない。
 ついでに六本木や銀座も車で寄り、街並みも車窓から眺めたが、横断歩道で信号を待つ人たちのマスク率は、それほどでもない。マスクは少しずつ品薄になるが、繁華街の駅の地下に入った店舗でもない限り、住宅街のドラッグストアやコンビニで普通に買える。白い普通のマスクより、薄桃色のマスクの方が多く残っていた。使う人の性別が限られているからだろう。
 いつもなら色つきのマスクはなんだか恥ずかしい気がしていたけど、その時は違って見えた。というのは、もうすでに真っ白のマスクを着け続けるのに疲れ始めていたからだ。本当に風邪を引いているときや花粉症のとき、肌が荒れて見せたくないときなどは白を着けていると安心するが、どこも不調が無いときに予防のためにマスクを着けている状態が長く続くと、白いマスクをつけるとどこか気弱になる。薄桃色なら肌なじみも良さそうだし顔から浮かないかな、と思って一つ買ってみた。

2月6日

 小説家の二人とお仕事の企画で話す。普段でもよく交流のある二人とおしゃべりするのは楽しく、あっという間に時間が過ぎる。会話の収録場所となった表参道の人気のレストランは盛況で、テーブル席はもちろんカウンター席も人がぎっしり、笑い声や話し声で賑やかだ。
 書いていた小説を読み直していると、「コロナビール」の表記があり、迷ったあとコロナの部分を消す。軽い飲み心地が大好きなビールだし、こうなる前に書いていた描写でもあったけど、いまでは強い意味を持つワードとなったので、小説の文章のなかでは残念ながら浮く気がした。しょうがないので本物のコロナビールを買って飲む。いつもながら飲み口さわやかで、えぐみの無い細かな泡。もともとビールの味が苦手な私のような人間には飲みやすい。
 客船で世界各国を旅していた人たちの間で感染が確認され、多くの乗船者たちが船から降りられなくなっているとのこと。クルーズ船に乗っている人たちの人数に驚くとともに、船一つがまるで一つの国みたいに扱われているのにも驚く。

(続きは本誌でお楽しみください。)