立ち読み:新潮 2021年2月号

大阪の西は全部海/岸 政彦

 私はただの地味な、真面目な、あんまりよう喋らんけどひとに気ばっか使ってる事務員で、途中で正職員にはなったけど、もともと長いことあの法律事務所に派遣で通ってて、途中から直の契約職員になって(所長はほんまはこれ派遣元との契約違反やねんけどなって笑ってた、あのひといい人やったな)、そのあとまた長いこと働いて、四十すぎて正職員にしてもらった。
 それだけ君は仕事できるからってみんな言ってくれて、それは私もうれしかった。でも、仕事を「やりすぎる」と、それはそれで、たかが事務員にそこまでされたって言って怒る先生もいて、だからそういうことも仕事のうちで、私は二十年ぐらいここの事務所に勤めるあいだに、気を遣う、ということも含めて、そういう仕事をたくさん覚えていって、だから正職員になったんやと思う。
 西天満の、画廊の上の、小さな法律事務所。
 南森町で地下鉄をおりて、五分ぐらい西に歩く。なんか高級そうな寿司屋とかフランス料理屋が並んでいて、このあたりは画廊も多い。
 大阪の街はぜんぶ、とくに梅田はもう、ユニクロと居酒屋チェーンの店ばっかりになってしまったけど、ここは個人がやってるいい感じの小さな中国料理とか鉄板焼きとか小料理屋が並んでいる。大阪地裁が近いから弁護士事務所がたくさん密集していて、弁護士ってそない金持ちなんかなと思う。
 私の給料なんかじゃ無理やけど、そのうちの一軒だけ、小さな小さな古い民家の一階でやってるビストロがあって、ビストロっていうより昭和の洋食屋さんって感じやけど。
 私の給料なんかでほんとに無理な話やけど、いつか、あの店でゆっくり食事したいなと思う。私はわりとお酒も強い方で、でも今はもうそんな飲む機会もほとんどなくなったけど、でもそのときはワインをたくさん飲みたい。
 その店の玄関先の寄せ植えがきれいで、いつも出勤するとき楽しみに見てた。いろんな花がいつも咲いてた。真冬でも咲いてたような気がする。不思議やな。
 でも花って、あれは大事にしててもすぐ枯れたり伸びたり咲かんようになるから、いつもきれいに咲かせてるのって、あれは盛りをすぎたらすぐに抜いたり剪定したり植え替えたりしてるんやな。最近まで知らんかった。私は植木とかそういうものを育てたことがないから。
 最初に私の部屋に来たとき、殺風景でびっくりしてたよな。植木のひとつも置けばいいのに、って言われて、私もびっくりした。
 枯れたらかわいそうやし、ってそのときは答えたけど、でもそれ嘘で、ほんとのこと言うたら、そもそもそういう、植木とかそういうかわいらしいものを部屋に置こうという発想がなかった。
 いまもインテリアとかがわからへん。みんなどないしてんやろな。さすがにニトリはなくても、無印とかフランフランとかで買えば、それなりに女の子っぽい、かわいらしい部屋になるんだろうか。でももう女の子いう歳でもないしな。
 知ってた? かわいらしい花がいっぱい咲いてるのって、植木鉢でも生垣でも寄せ植えでも、路地裏の小さな古い長屋の玄関先におばあちゃんが作った何かようわからん植木コーナーみたいなやつでも、あれはこまめに抜いたり剪定したり植え替えたりしてるねんな。知らんかった。
 殺してるんやな。
 なんか子どものころからそういうのが気になって仕方ない。残酷だなとかも思わへんけど、かわいそうだとも思わへんけどな。でもなんかやっぱりびっくりする。ああ、抜いてるんやと思う。植え替えてるんや。
 殺さないとみんな枯れちゃうから。
 たまに玄関先で土とか干してる家あるよな。あれはああいう趣味やねんな。手入れするって、そういうことやな。
 だから私は、植木鉢買おうかなと思ってて、たまたま買わへんかったんやけど、なんかそういうことを実行するきっかけがなかったんやけど、ぼんやりした自分のイメージでは、小さいかわいらしい鉢植えを買ってきて、大事に窓際に置いて、水をやったりなんか知らん液体を霧吹きしたり、話しかけたり名前をつけたり、そういうことをするもんやと、漠然と思ってたけど、あれは抜いたり植え替えたりせなあかんのやな。
 殺さなあかんねんな、いっかい。
 おだやかに、静かに、ずっと一緒に、可愛らしいものとただいつまでも暮らすっていうのは、難しいんやな。
 そう思う。
 それは誰にもできないことなんやな。そういうふうにだけ生きるっていうことは。
 なんかのきっかけでそういうことに気づいて、ああそうなんやと思ってからは、あのビストロの寄せ植えの前を通るたび、ああまた咲いてる、また違う花が咲いてるわと思いながら、でもどっかで、この子たちも盛りが過ぎたら抜かれて、捨てられるんやなと思う。そういうことをしないと、そもそも可愛らしい花って咲かへん。
 猫を飼っても、どうせ先に死んじゃうのと同じやな。
 同じじゃないかな。違うかな。
 私、子どもできへんような気がする。
 なんでかわからんけど。でもああいう、植木みたいな、花みたいな、小さくて可愛らしいものは、みんな道端とか、公園とか学校とか、人んちとか、そういうところにあって、私のところにはない。
 昔、すごい昔だけど、まだお母さんと暮らしてたころは、まだそんな感じもあった、私の毎日のなかには。猫もいたし。
 年上のいとこに女の子が生まれて、まだ私も高校生とかそんなんやったけど、一瞬だけ赤ちゃん抱かせてもらった。重くてびっくりした。子どもって重いねんな。
 あれは生まれたてじゃなかったと思う。半年か、一歳か。私にすごい懐いて、離そうとすると泣いた。
 私はもうどうしてええかわからなくなって、困ってたら、いとこからめっちゃ笑われて、あとは覚えてない。あれはどこやったやろ。私の実家のほうかな。
 和歌山の。海と国道しかないとこだった。私は、もう頭のなかに霧がかかったみたいになってて、自分の話やったか、あんたの話なんか、それともあんたから聞いたほかの誰かの話なんかもわからんくなってきた。
 考えたらあれが、私が子どもを抱いた、最初で最後やったな。
 子ども、たぶん、できへんと思う。

(続きは本誌でお楽しみください。)