立ち読み:新潮 2021年3月号

創る人52人の「2020コロナ禍」日記リレー/石原慎太郎 小説家

 四月八日(水)
 コロナウィルスの蔓延で、昨夕、緊急事態宣言が発せられた。地球と人類の終末を予感させるこの事態の到来は、物書きとしての人間に稀有なる体験を強いてくれる。
 私は改めて三十年前に東京で聞いたあの天才宇宙学者ホーキングの予言を思い出す。この地球のような文明を備えた天体は宇宙に他に二百万ほどあるが、それらの星は自然の循環が狂い宇宙時間では瞬間的に消滅すると。そしてその瞬間とはおよそ百年間だと。あれから既に三十年、温暖化は切りなく進み、そして今未知のウィルスが人間の生命を奪い出した。

 四月九日(木)
 テレビは連日人気の無くなった繁華街の映像を写しだす。ゴーストタウンとなった町の映像は不気味と言うよりも妙にすがすがしい。それは荒廃を超えて最早『死滅』を暗示してもいる。行政の当事者は次ぎ次ぎに姑息な案を打ち出し国民に強いるが何の役にも立たず死者は増えるのみだ。目には見えぬ新しい敵に報道はこの所連日全てコロナ被害の実態ばかり。人はもはや恐怖に慣れて弛緩しつつあるが、この現実への確かな認識は当人が感染して死ぬ瞬間にしか獲得出来ぬに違いない。
 恐怖に慣れると言うことこそが唯一の救済と言うのは果たして神の恩恵なのだろうか。恐怖の沈静の目安が一向に見えぬと言う事態は試練としては厳し過ぎようが、これは一体何のための試練だろうか。新しい人類の敵に対抗出来るワクチンは年を越さなければ出来上がらぬというが。人間が編みだした姑息な文明や技術はその浅さを露呈したと言えそうだ。物書きとしての好奇心からすれば絶好の立場に立たされているとも言えようが私自身が消滅するならばそれも無意味な事だろうに。

(続きは本誌でお楽しみください。)