立ち読み:新潮 2021年7月号

墳墓記 第二回/高村 薫

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 いくつもの透明な管を伝わってくる機械の振動や唸りと、動き回る人の気配のかすかな空気の圧力と、そうと分からないほどの短い話し声などがあたりに半透明の膜を張る下で、男は長い長い夢を見る。
 初めに、どこかで冬の雨に打たれたか、凍った川に落ちたか、男は衣服ごと濡れそぼち、そのまま冷たさを肌に張りつけて、気がつけば自身が北極の上空二千メートルに居座る寒気となっていた。いや正確に言えば、一方では無数の矢が飛び交うどこかの戦場や、暗夜をゆく野辺送りの灯火など、いつの世とも知れぬ光景の断片が天空を横切る彗星のように千分の一秒の単位で瞬いては消えることもあったのだが、男は何かを見たという以上のことは覚えていない。それからどれほどの時間が経った後のことか、男は上下も左右もない、明るさも暗さもない、音もない虚空へと移り、ぴくりとも動かない何かの塊と化した。
 どこからともなく、私は――と、ひと息の意思の切れ端が洩れだし、自分からこぼれ出たものだという思いにも至らぬまま、男は身じろぎもせず中空にぶら下がり続ける。いや、ぶら下がっているのではなく、丸まっているのかもしれない。胎児。地中の蝉の幼虫。アンモナイト。あるいは高松塚古墳の石室に描かれた四神図の玄武。丸まるといえば、座棺に納められた死者もそうだ。さらには、墓掘り人夫が十分な大きさの穴を掘らなかったために、二つ折りにされた死者たちも。みな深く屈ませられ、丸まり、冷え切って固まる。もう上下もなく光もなく、音もないが、仮に何かがあったとしても、すでにそれを知覚する器官や神経の働きが停止した死者の与かり知らないことだろう。しかし、薄皮一枚でまだ生につながっている男はその限りではないかもしれない。
 鉱物のようなべたりとした冷気がある。それから、丸まった何かになっているという感覚がまたひとひら、意識というほどのかたちもないまま浮かび、流れ去った。しかし、ほんとうに丸まっているのだろうか。確かめようにも動くべき身体そのものがあるようには感じられず、なにがしかの物思い未満の片々がうっすらと漂うばかりで、男は自分がかたちもない意識だけのガスになっているらしいことを知る。かすかな体積と薄い密度と、空気よりわずかに重い比重をもち、そのへんにぶら下がっているか、丸まっているかしている靄のかたまり。さらに言えば、内部に何かの運動エネルギーを溜めてかすかにひりひりと震えており、先ほど私は――と洩らしたのもそれだったようだ。
 その震えが胎動のようにガスを揺らし、一つまた一つなにがしかの起伏をつくってゆくにつれて、わずかに光らしきものが現われてあたりに紗がかかり、数秒、明暗がゆるやかに踊り始めることもあった。それが消えると、今度は振動するガスが波動になり、重なり合い、共振して、聞こえるか聞こえないかというほどの音圧になって広がり伝わってゆく。そうか、ここはなにがしかの空間ではあるらしいと男は一つ確信する。
 では、広さは? 深度は? 移動はできるのか、できないのか。男は存在しない身体を伸ばそうと試み、しばし虚しくもがくうちに、そういえば高松塚の玄武の姿勢は股覗きの姿勢だと思いだす。そうだ、丸まっている者にはいざとなればこの手がある、と。股の間から海を覗き見れば幽霊船が見え、幼児が股覗きをすれば未だ生まれていない未来の子どもが見えるといった昔語りを祖父に聞いたのは、ずいぶん昔のことだ。炉端に子どもらを集め、煙管のけむりに噎せた切れ切れの嗄れ声で毎夜語りだされる怪談のどこかにそれはあった。傍らで縫い物をする母が含み笑いをし、襖越しに書院で書きものをする父の不機嫌そうな咳払いが聞こえる冬の夜長の、奇想のゆりかごの隠微さよ。
 男は思いがけず胸がつぶれるような一瞬の懐かしさに押しやられ、次の瞬間にはまた別の光景が浮かび、駈け去ってゆく。若いころ、夜ごと睡眠薬代わりにした『三州奇談』に氷見の唐島の話があった。ある男が唐島に伝わる諺どおりに股覗きをすると、大きな旗を手に、女のような唐子髷と唐装束の異人が山から降りてきて、ハンメリ、ハンメリと云う。驚いて手に持つ旗を見れば、ハシリ何やらと薬の名が書きつけてあり、扨は薬売殿にてありしと初めて知りしが、時しも此内股より覗くところへ来かかりしは、渠もまた応の遁れざることありしにやと、をかしく帰りしぞ云々。それはそうだ、富山といえば薬売り。それにしても、ハンメリとはいったい何か。男はいまだに真相を知らない。
 そうしてなぜか原色に近い色付きの、花札のような記憶の切れ端がひるがえった後、一抹の懐かしさの名残は身に留める間もなく何かのずしりとした無念へと移ろい、祖父の顔は二つの眼窩の窪みが昏い穴と化した死の床のそれになって新たに現れる。祖父の首には白い晒が巻かれ、枕元には家族の名前が墨書された封書がある。父と姉、六歳の男、弟、妹が黙然と坐し、先年病死した母の姿はそこにはない。男は精神を病んだ祖父が納屋で首を吊ったことは分かっているが、それ以上の事情は知らないまま、眼の前に横たわる死そのものを見下ろしている。母の死よりさらに黒々とした穴が祖父の骸を吸い込み、二枚貝のようにゆっくり開いたり閉じたりする。男が口のなかでそっと呑み込んだなま唾が、音を立てて喉から腹の底へ走り下る。すると祖父の眼窩にも滝が落ち、深すぎて底の見えないその眼窩の下の滝つぼと、六歳の身体がつながって輪になる。ここで股覗きをしたら、上下あべこべになった世界で祖父は生き返るか、ろくろ首が見えるか。そんな想像を弄んだ子どもは通夜のあと、父親の勘気にふれて尻をぶたれ、泣き叫んでいる。いや違う、泣いていたのではない。いつの日か訪れるだろう生家との訣別の高揚や畏れや、子どもらしくもない何かの諦念に突き上げられながら、男は嗚咽の下から噴き出すもう一つの笑い声を聴いていたのだ。誰もいない夜の廊下に吸い込まれるわめき声は確かに男のものだったが、実はもう一人の分身がそのへんにいたのではないか。

(続きは本誌でお楽しみください。)