立ち読み:新潮 2022年3月号

ヴァージル・アブロー 最後のロングインタビュー
黒人の正典ブラック・カノンを定義する」/訳・平岩壮悟

 ヴァージル・アブローが2021年11月28日に心臓血管肉腫のため急逝した。ヴァージルは盟友カニエ・ウェストのクリエイティブディレクションで頭角を表したのち、2013年に自身のファッションレーベル〈Off-White オフホワイト〉を創業、2018年には黒人初となる〈ルイ・ヴィトン〉メンズウェアのアーティスティック・ディレクターに就任した。ヒップホップ的な手法をファッションに取り入れ、“ストリートウェア”の美学と精神をラグジュアリーの世界に持ち込んだ彼の功績は計り知れない。享年41歳だった。
 ここに紹介するのは昨年秋、パリを拠点にしたファッション批評誌『Vestoj』に掲載されたヴァージル最後のロングインタビューである。聞き手を務めたのは同誌の創刊者/編集長のアンニャ・アロノウスキー・クロンバーグ。彼女はこれまでにもシカゴ現代美術館で開催されたヴァージルの大規模個展「Figures of Speech」の公式インタビューをはじめ何度もヴァージルと対話を重ねてきた人物である。そうしたふたりの信頼のうちに語られるのは、ヴァージルが人知れず感じてきた孤独と葛藤、アフリカ系クリエイティブ・コミュニティに残そうとしている遺産レガシーについてだった――。

自分流の“トロイの木馬”

 ときどき“たった独りだ”と感じることがあります。はぐれ者か村にひとりでやってきた異邦人のような気分になるんです。パリの上流社会にいても、シカゴのサウスサイドにいても。ですが、疑うことは私の原動力にもなっています。これほどモチベーションを高めてくれるものはほかにありません。そう、だからいつも自分を疑っているわけです。私にやり切ることができるのか。確信は足りているだろうか。この壁を乗り越えられるか。はたして“トロイの木馬”作戦はうまくいくだろうか、と。しかし、他人ひとから疑われるとなれば話は別です。ちょっと待て、私のほうが一枚上手だぞ、と言わねばなりません。
 学生時代には「お前のしゃべりかたって白人みたいだよな」だの「うぶなヴァージルちゃんヴァージル・ザ・ヴァージン」だのとよく言われていました。でもそのたびに私は気の利いた返しをしていたんです。すると立場は逆転しました。彼らが笑われる側になったんです。周りの連中も笑うほどに。
 今もやっていることは変わりません。誰かに“ストリートウェア”のデザイナーだと決めつけられれば、次のコレクションで仕立てテーラリングを取り入れた服をつくってみせます。彼らは肌の色でもって私の話しかたや振る舞いを決めつける。作品を理解したつもりになっているんですよ。そこで私は彼らの裏をかくわけです。

 2020年の夏以前、人種差別に対する蜂起が盛り上がる前までは、白人が権力を握っている場で人種の話題を持ち出すのはタブー視されていました。私自身、自分の作品で人種を前面に押し出すことはしていませんでした。というのも、お山のてっぺんから人種問題を叫んでも、誰も聞く耳を持たないのは明らかだからです。だからこそ私は自分流の“トロイの木馬”を拵えようと思ったわけです。
 ただ今は白人も「機は熟した、さあ人種について話そうか」「白人だけど、あなたの話を聞きますよ」というような状況です。そのおかげで、つかの間トロイの木馬から降りて地上で活動できるようになり、それが威嚇的だと捉えられることもなくなりました。私が不満を垂れていると考える人はもういません。彼らは私の訴えを理解しています。ファッション界の黒人クリエイティブはどこにいるのか。役員会のなかに黒人が少ないのはなぜか。黒人の経験ブラック・エクスペリエンスとはなにか。黒人にとっての正典ブラック・カノンはどんなものなのか。
 私と協働している企業はどこも目下、自分たちのビジネスのなかで生じている人種問題を是正しようと動きだしています。私もブランドの顔として、あるいはコラボレーターとして企業と対等に意見交換できるようになりました。「今私たちがすべきことは何でしょうか?」と問いかけることだってできます。新しいシステムが生まれつつあるんです。ブランド側にとっても、私に先導してもらったほうが都合がいいわけですよ。
 2年前に「今度のプロジェクトには黒人だけを雇いたい」と提案しても、よってたかって「まあ、落ち着けよ」と止められたでしょう。それが今ではプロモーション効果もあって、反対する人は一人もいません。

ブラック・カルチャーの輪郭

 それでも黒人のアーティスト――呼び方はクリエイティブでもデザイナーでもいいですが――であることにまつわる疑念を払拭できたわけではありません。つまり西洋の価値基準カノンに対立する、ということです。人種はどこにいっても付いてまわります――見た目のために、名前のために、そしてこの時代のために。それこそが私が体現するものであり、私の実体です。黒人であることを抜きにして私自身も作品も存在しえません。
 階層化された白い業界のなかで、私は白人の正典にその名を刻もうとしているんです。ファッションやアートやデザインの世界では、白い西洋の価値基準がもはや分別できないほど当然視されています。普遍的な正典かのように見なされているわけです。私はその発想をひっくり返したいんです。あるいは少なくとも、そうした分野で黒人がいかに存在し、いかにクリエイティブたりうるかという問いを投げかけたい。だから私は白人の同僚と意見交換をしますが、同時に対立してもいるわけです。
 ここで疑念が生じます。二重の疑念です。ひとつは私の作品の妥当性に対する周囲からの疑い――「彼は本当のデザイナーじゃない」とかなんとか。もうひとつは、私の自分自身に対する疑いです。自分に役が務まるだろうか。その場にいるたったひとりの黒人でありながら、他の出席者たちに聞く耳をもってもらえるだろうか。制作に必要なリソースをちゃんと与えてもらえるだろうか――。そう自問してしまうんです。

(続きは本誌でお楽しみください。)