【その1】最後の人間(Genius lul-lul)
2020年、東京。
ブロックの塔(作りかけ)があり、床にもブロックが散らばっている。
Genius lul-lulは、小脇にiPadを抱えている。
慌てて出てきたかのように、落ち着かない様子。
巨大な掲示板。
Genius lul-lulはおもむろにポケットからiPadを取り出し、タップして数字を書く仕草。
すると、掲示板に数字が現れる。
2020
Genius lul-lulは首を斜めに傾げ、その字をじっと見つめて思案している。
やがて、満足するように頷くと、マスクを取って振り返る。
客席を見て、わざとらしく驚いたような顔。
それから、全てを受け入れるような笑みを浮かべる。
Genius lul-lul:沈黙は金。
間。客席の反応を見る。
Genius lul-lul:そんな言葉をご存知ですか? 沈黙は金、雄弁は銀。昔の人はうまくいったものですね。とにかく黙っていることだ。だって、話をすると、どうしたって口を開くでしょう? そしたらどうなりますか? 口を開けば、飛沫が飛ぶ、誰かにそれが入る。マスクしたって無駄ですよ。完全にそれを防ぐことなんてできやしない。
Genius lul-lulは、客席に近づき、軽く挑発するような態度をとる。
Genius lul-lul:でも本当はみなさんに伝えたかったのは言葉だ。いや、本当は言葉ですらないかもしれない。僕の頭の中にもやもやとしてある、表現できないもの。それをなんとか、伝えようとして言葉を使う。体が動くこともある。表情を使うこともある。それはきっと言葉で言い表せないことがあるからだ。言葉は僕のもやもやの輪郭をなぞるけれど、でもそれは僕のもやもやそのものではない。残念なことに。そうして、いずれにしろ僕はあなたたちに向けては言葉を発するしかない。あなたたち――
そこまで言って、男はふと何かが気にかかったように、言葉を止める。
Genius lul-lul:あなたたち、で良かったかな? それとも君たち? で良いかなあ?
またしばしの間。取り繕うような表情。何かをごまかすような、それでも強引に推し進めるような笑み。
Genius lul-lul:まあいい。呼び方なんて些細なものだ。言葉を伝えるのは僕だけじゃない。いや、なかった、と言うべきだね。君たちもかつては、口角泡を飛ばしながら、どうでもいいことを言い合っていたんだ。
Genius lul-lul、芝居っぽい仕草。
Genius lul-lul:例えば、『好きだよ』
その直後に『私たちの関係ってなんなのかな』
そして『あいつはもう友達じゃねぇよ』
『一昨日きやがれ』
『馬鹿野郎』
『ばーか』
そんな言葉を発する度に、飛沫が飛ぶ。何を目指して? 世界記録?
Genius lul-lul:そうだ、ワールドレコードを目指してどこまでも飛んでいく。飛沫の飛距離、その世界記録。君たちがたたき出した、通常会話の飛沫飛距離、そのワールドレコードは、なんと105・5メートルにおよぶ。きっとうまく風に乗ったんだな。
Genius lul-lulは笑いながらうなずく。その笑みは下手な詐欺師めいている。
Genius lul-lul:(厳かな調子になって)沈黙は金。だから僕もずっと黙っていた。どれくらいだと思いますか?
Genius lul-lulは客席に向かって意見を募るように、少し間合いを置く。
Genius lul-lul:短いと言えば嘘になる。永遠と言えば嘘になる。ちょうどそのくらいの長さです。
再びの間。
やがてそこに、710年という文字が浮かび上がる。
Genius lul-lul:710年。そう、710年間。僕はその長い間ずうっと沈黙を貫いた。え、そんなわけはないと思う?
Genius lul-lulは、今度は睥睨するように、客席を見回す。
Genius lul-lul:ですよね、そもそも、人間の寿命なんて100年かそこらじゃないか。え、ってことはこの人はひょっとして人間じゃないんじゃないか。
Genius lul-lulは口早にそう言い、ゆっくりと首を振る。
Genius lul-lul:いいえ、私は人間です。誰よりも人間です。
Genius lul-lul:どういうことかを説明した方が良いですか? もちろんしてもいいですよ。いや、すべきだな。ぜひしよう。沈黙が破られてしまった以上、雄弁でなければならないでしょう。それが物事の道理だ。べらべらとすべてを話さなければ、これまで、710年間まもってきた沈黙に追いつくことはできない。いや、そもそも沈黙に追いつくことなどできやしないんだ。でも、なのに僕は話を始めてしまった。
男、咳をする。予期せず出てしまった咳に、また少し静止する。平静を装い演技を続ける。
(続きは本誌でお楽しみください。)