立ち読み:新潮 2022年11月号

第54回新潮新人賞受賞作
世界地図、傾く/黒川卓希

 夜行バスは不器用にエンジン音を引きずった。フードをかぶって身を寄せるカップルが、誤って電話を鳴らした。質量の大きな夜の中で、タイヤは擦れた。あたりはまだ暗かった。彼らが去ると、パーキングエリアはまた静かになった。
 僕が結局長続きしたのは、このトラックドライバーの職だけだった。パチンコ屋のひっきりなしの玉の音や、居酒屋の笑い声に耳を悪くした。空気がぴたと凪いでいないと嫌だった。
 深夜の高速を走っていると、車体ごと軽くなる感覚を覚えることがある。等間隔で並ぶ電灯が雪のように降りかかる。ちっとも変わらない車線の風景がぐちゃぐちゃになる。カーブに差し掛かるころに、デジタル時計が明滅した。潮の引き始める時間のはずだった。トラックの少し高い座高から、海面が低くなるのが見えた。
 たまに静寂に耐えかねてラジオをつけた。お気に入りの局では、インド人の芸人がよくしゃべっていた。最近売れ始めた若手だった。日本語が流暢なので、国籍を武器にしない、しゃべくり漫才を売りにしていた。でもその番組では母語で話した。ゴールデン帯ではコンプライアンスに一切抵触しない彼も、ヒンディー語でまくしたてるときは、グレーな発言が多いらしい。僕には聞き取る事ができない。何を言っているのか分からないけど、のびのびしたトークの雰囲気が好きで垂れ流していた。
 ところが油断していると、次の番組が始まってしまう。突然、端正な標準語が流れ出す。そんな時のためにボトルガムを用意していた。専用のホルダーを設置した左脇に三種並んでいる。飽きが来ないよう、新しいガムは見つけ次第手を出すことにしている。ミント、ソーダ、ブラッドオレンジの順が現在のラインナップ。最近見つけたばかりのブラッドオレンジに手をかける。それも気乗りしなかった。そのせいかトラックは、8km減速した。
 既に嫌気のさしているガムに躊躇する。それでも錠剤だと思って口に放り込む。すばやく顎を上下させる。
 唐突に、目前のトラックを以前見かけた気がした。外装が同じでも、ナンバープレートが特徴的な語呂合わせだったりすると、記憶に残ることもある。海産物の会社に8903。ゼロを抜かしてやくざと遊んだはずだ。
 もし再会したらひどい偶然で、星と星がすれ違うようなめぐりあわせかもしれない。半日もすれば、日本の端と端に離れているかもしれない。どんな訛りで話す人だろう。
 メッセージの通知が鳴った。スミオさんだった。同じ会社の先輩だった。齢は分からないけど、人なつこい彼にはよく面倒を見てもらった。彼があまりに寂しがりで、話し相手を求めているのだとは後で知ることになる。人と繋がりたいなら、こんな業界に来なければいいのに。木村亜希人と表記されている、僕のプロフィールページにスミオさんからのお誘いが届いている。彼は齢の離れた後輩の僕のことも「アキト」と距離を置かずに呼ぶ。
 眠気が襲う時間帯も、彼ひとりグループラインをにぎわす。誰も応えないこともある。
 僕から見て、三つ先のパーキングエリアの食堂にスミオさんはいるらしい。たまたま近くにいるので、合流しようとの誘いだった。さっき休憩したばかりだけど、断るのも気が引けた。
 空き缶でも踏んだのか、車体が揺れた。ガムがころころ音を立てる。夜は深いままなのに、徐々に光が強くなって、目がぐるぐる痛む。

 祖母のアキヨさんとの待ち合わせ場所は歴史民俗博物館だった。母方の祖母ではあるが、姓は私、平田ユイと同じだった。そもそも男性の姓を引き継がないといけない時代はとっくの昔に終わっている。アキヨさんの夫は若くして亡くなったので、娘の姓には平田を選ばせた。また、私の父は韓国人で、日本的な苗字を継がせるために母方の姓をもらい受けた。そういうわけで、私も祖母も同じ平田なのだ。
 最寄り駅での合流ではなく、現地集合である。縄文人が木の実を拾っているところに立っている、とメールにはあった。よく分からないけど、たぶん展示の最初の方だと思う。
 祖母との再会に私は緊張していた。それは後ろめたいものでもあった。
 困難を乗り越えるため、私は自分にご褒美を用意していた。用事を済ませた後、懐石料理を予約している。椎茸のおいしい炊き込みご飯が好きだった。仕事で嫌な客にあった日はよく通った。
 平日のお昼前だし、人通りは少なかった。博物館までの道中で隠れ家風の、棚という棚をアロマで埋めたお店、敷地の半分を庭に当てた美容室が目についた。
 館内は冷房が効き過ぎていて、すぐにお腹が痛くなった。まず売店に入る構造になっており、出口もそこに合流していた。縄文人が常食したとされる木の実のクッキーや、江戸時代の煙管のレプリカが売られていた。
 アキヨさんは私を見ても、表情を変えなかった。余程かわいくない孫なのだろう。高校を卒業するまで毎年帰省は欠かさなかった。それはいつも夏だったけど、登山とかバーベキューにも必ずついていった。それなのに愛されないなんて、私はいじけた子供だったのかもしれない。異性も同性も好きになる事ができないという性質も、なかなか理解してもらえなかった。
「久しぶりだね、ユイちゃん」
「ご無沙汰です」
「ねえ、そうだ。電話番号教えてよ」
 祖母には事前にアドレスしか教えていなかった。できるだけ距離を保ったままでいたかったので、電話番号は無意識に先送りにし、それを今教えることになった。
「じゃあ言うよ」
「うん」

(続きは本誌でお楽しみください。)

[→]受賞者インタビュー 黒川卓希/二〇五二年から見た日本