立ち読み:新潮 2022年11月号

天気の変わり目/柴崎友香

 今は遠く離れた故郷の家に穴があいたと知ったのは、生ぬるい小雨が降る午後のことだった。
 穴は、近頃はあちこちにあいていて、交差点の巨大な穴には何十人もが落ち、湖の真ん中には底の見えない円形の滝ができた。
 故郷の家の穴は、動画で見た。長い間住む人のないその家に誰かが入り込んで撮影したようだった。薄暗い家の中は、驚くほど変わっていなかった。壁には私がそこを離れた年のカレンダーがかかったままだった。
 穴は、台所の床にあいていた。その近くにあったはずのテーブルがないのは、穴に落ちたからか、それともその前からなかったのか。椅子は一脚だけ残っていた。籐を編んだ座面は破れていた。
 穴は、それほど大きいものではなかった。直径一メートルもないだろう。窓からのほのかな光で床の木目はうっすらと判別できたが、穴は真っ暗だった。ただ黒いものがそこに広がっている、という感じで、穴かどうかさえ、画面越しにはわからなかった。
 カメラは、穴の奥へ向けられた。それでもやはり、それは黒いなにかでしかなかった。その縁に灰色のスニーカーのつま先が見えた。それが動画を撮影している人間の足なのだろう。スニーカーが灰色なのか、白が薄暗くて灰色に見えているだけなのか。
 撮影者は、なにも言わない。ときおり、なにかが擦れるような音が微かに聞こえるから、音声がないわけではない。きっと、ドアの鍵などかかっていなかっただろうし、ガラス戸も壊れているか、なくなったかしたのだろう。とても長い時間、そこには誰もいないのだから。
 カメラは穴を向いたまま、動かなかった。スニーカーのつま先は画面から外れ、そこに映るのは汚れた床板と黒いものだけだった。じっと見ていると、黒いものは広がっている気もしたし、縮まっていくようにも思えた。画像は鮮明で、今どきのカメラの性能はよくなったのだなあ、と妙なところに感心した。
 そのうちに、黒いなかに何か濃淡というか、模様のようなものが見えてきたが、じっと見つめていたせいで錯覚が起きているのかもしれなかった。子供の頃、錯覚が起こる図形が好きだった。白黒の模様なのに回すと虹色が見える独楽を、本に載っている通りに作って遊んだこともあった。そう、動画の中のこの家で。もしかしたら、あの独楽はこの廃墟のどこかに今でも転がっているかもしれない。捨てた記憶はないから。
 がたがた、と音がして、カメラは急に向きを変えた。台所の窓が映った。小さな窓は、閉まっていて、ガラスは割れていなかった。あの土地は風が強いし、夏の終わりには決まって嵐が来るのに、割れていないのが奇妙に思えた。それで、これはもっと前の動画なのだという考えが浮かんだ。私が離れてからそれほど時間が経っていないときに撮影され、それを今になって公開しただけなのだと。
 カメラを向けられた瞬間は真っ白く発光していた窓に露出が合ってくると、その外にはどうやら木が茂っている。隣にあった家はいつなくなったのだろうか。と、思ったところで、動画は途切れた。

(続きは本誌でお楽しみください。)