立ち読み:新潮 2023年5月号

愛がすべて/山﨑修平

 前回、煮こごり戦隊に早稲田通りで絡まれて、三十六時間、目隠しをされ車でおそらく東北道から常磐道辺りを連れ回されたのち、事なきを得た話をした。車内にて漏れ聞こえてきた煮こごり戦隊のリーダーであるレッドの叔母が、会津若松の病院で容態を崩したということを考慮しても、許されざる悪の所業であるのだが、そもそも煮こごり戦隊という組織が何を目的とし、何を達成することを望んでいるかも未だ分からない。自称動画配信者ではないかと言う人も、過激思想を教義とした新興宗教と言う人もいた。だが、そのどちらでもなく、平日は新橋駅を最寄りとした金属輸入関連のオフィスにて経理を担当し、「ですよね。最近鉄鉱石の値上がりが激しいっすよね」と、天玉そば三百八十円に七味唐辛子を三回かけたものをりながら上司の話に合わせたランチタイムを取る三十二歳の男の一派とした方が良いのではないか。もしかすると今年の三月からは三百九十円に値上がるかもしれない。この十円は大きい。するってえと、あの二百九十円のかけそばに、この九十八円のおにぎりを合わせた方が安上がりで腹持ちもいいんじゃねえか。けれどよ、温かい天玉そばを手繰ったときの幸福感に匹敵するものはそうあるもんでもねえ。もうわかんねえ、困る。困るは困る。そのようなことを考えていると、物語上の愛すべき彼女が番犬を噛み殺して玄関に現れた。死んだ番犬の首には見事に歯形がついている。彼女は番犬の血を右腕で大袈裟に拭き取り、「今すぐ銀座ウエスト青山ガーデンに向かうか、内閣総辞職をするか選べ」と笑った。いや、笑ったと思っているのは今のところの主人公である〈私〉の見立てであって、彼女の心のうちでは泣いているのかもしれないが、〈私〉には笑っているようにしか見えなかった。しかも微笑などではない、爆笑しているのである。
 釈然としないままに、外苑東通りを南に向かう。先ほど死んだ番犬は生き返り、私たちを甘い鳴き声で見送ってくれた。ありがとう。私たちはもちろん時節柄、檸檬を鞄に忍ばせている。牛込柳町の交差点の道路の拡幅工事はあらかた終えてあり、新しく車線となるところには、一メートルほどに分割されたガードレールが仕舞われている。赤瀬川原平によるトマソンを思い返しながら、視認しているこの解り易いトマソンよりも、認識し得ない、看過してしまっているトマソンということを考えていた。それはときに私の肉体の一部、あるいは思考の一部、はたまた誰しもが自身の意思決定によって日々を過ごしていると疑わない、私自身やあなたを示すことになるかもしれない。
 戦後復興の願いをその名に込めて一九五七年に竣工した曙橋を渡り終えるその時、一斉に通行人のスマートフォンが鳴り、「国民安心安全機構」からの報せによって、とうとう本土における開戦の火蓋が切られたことを識った。いや、厳密にはこのときはまだ開戦ということは誰も識らなかったことだった。在外邦人の保護を目的にというこの一報に、後々の「記録」では、「皆一様に歓びを隠すこともなく快哉を叫ぶ」とあるが、無論これは本来の意味での陰謀説であり、捏造である。
 牛込の台地と、四谷の尾根にあたる新宿通りを繋ぐ陸橋である曙橋に来ると、いくつかの記憶が誘発され浮かびあがる。たとえば、私たちが互いに金もなく、時間だけは腐るほどあった雨のさほど降らない夏のような梅雨の時期の終わりに、生活のために家庭菜園というには大袈裟な、小さなベランダに小さく植えられた胡瓜きゅうりの黄色い花のことであったり、道路脇に置かれたローソンの立て看板を粗末な布で拭き取る店員の後ろ姿に見える数本のカールした長い不衛生な白髪であった。これらのひとつひとつの記憶は、脈絡がない。それなのにまるで意味があるかのように、意味とは何かを私に問うようにして、繋ぎ合わさった鮮明な映像となって私に襲いかかってくる。
 こうして誘発された記憶に幾度も揺り動かされながら、そう、私たちはまだ、後々知ることになる義勇兵となった〈A〉の死や、〈二番〉の負傷、〈菫組〉の空中分解のことをこの時は知らなかった。
 話を戻そう。愛すべき彼女は、銀座ウエスト青山ガーデンのパンケーキのことを楽しみにしているだろうし、私は愛すべき彼女のことしか考えることはできない。外苑東通りから一旦離れて荒木町の老舗のとんかつ屋の脇にある稲荷神社前に設けられた「国民安心安全機構新宿第二支部」にいる寺脇というネームプレートを付けた猫背の男に、私は歩み寄った。寺脇は幼女をクヌギの木の枝で折檻しながら、如何にも国民安心安全機構が好きそうな伊右衛門と描かれた緑茶のペットボトルに口をつけ、一口含むと、今年のペナントレースの話を唐突にし始めた。「東京ヤクルトスワローズじゃないですか」と私があまり感情を込めずに淡々と伝えると、寺脇は何が気に食わないのか舌打ちして、「通行証」と投げやりに言い放ちこちらに右手を伸ばした。

一、不要不急の外出の際は国民安心安全機構発行の通行証を携帯してください(通行証スマホアプリが便利です)

二、通行証を携帯できない場合は農林水産省推奨の国産の果実を携帯し、係員あるいは管理者に提示してください(詳しくは公式ホームページをご覧ください)

三、不要不急の定義については各都道府県公式ホームページをご覧ください

「通行証? 檸檬?」
「檸檬」
「どこの?」
「広島の瀬戸田の檸檬」
「瀬戸田?」
「ええ」
「ご存知のように日本を愛しているけれど、あまり日本のことは知らないんだけど、ご存知のように日本を愛しているのだが、広島のことは知らない、もちろん広島のことを知っているのだが、」
 私は、梶井基次郎を知りもしないであろう寺脇の撲殺を試みるとき、彼の断末魔の叫び、あるいは〈年端も行かぬ娘に文京区白山商店街でアンパンマンチョコを買ってあげたいと涙を溢す一人の人間〉に接し、逡巡し、それでも怒りという感情のままに殺めたのち、なおも逡巡の残滓と後悔がないまぜになった感情を留め置く術を知らず、テクストの力で生き返らせた。寺脇は、撲殺される前と同じ人間かと思うほどにあっけらかんとした表情を見せて、
「最近とみに冷えますね、ご自愛ください、あ、どうぞ通行証の代わりとしての檸檬ですね、承りました、あ、すみません規則でしてマイナンバーカードをご提示、はい、はい、どうもどうも」
 と、わざとらしく眼鏡のつるを親指と人差し指で摘み、事務的にことを進めた。

(続きは本誌でお楽しみください。)