立ち読み:新潮 2023年6月号

ウミガメを砕く/久栖博季

1

 素足で陶器の破片を踏んだら、目の中に炎が燃えた。烈しいのに暗い炎だった。わたしは咄嗟にiPhoneのライトを点灯してマントルピースの上を照らし、その上に置いてある古い写真を睨みつけた。そうして動物に囲まれた写真のひとを目の中の炎に閉じこめて「アッシジの聖フランチェスコ」と揶揄する。そのひとの髪は短くさっぱりして、のぞいた耳朶には大きな銀色の輪のピアスをしていた。女性なのに、わたしが聖フランチェスコという男性とかさねるのは、写真の前に立つたびに男性のように力強くて大きなてのひらで心臓を握りつぶされる思いを味わうせいだ。そのひとは紳士物の大きすぎるズボンの裾を何度か折り返して板張りの小屋に両足を開いて立っている。キタキツネ、エゾリス、それからオコジョが足下に遊び、背後には雌雄のエゾシカが並んでいる。この写真は彼女の誕生日に撮ったものなのだと母さんは言った。もうずいぶん昔になる。「あのひとったらね、若い頃の写真をいつまでもこんなによく見えるところに飾らないでよって言うのよ。昔のことなんてとうに捨てたんだからって」
 手前に木製の机が写っていて、その上に何十羽と小鳥が集まっている。写真の中の聖フランチェスコは若い頃のはるおばさんで、今にも小鳥たちに説教を始めそうだ。でもその言葉は小鳥にではなくて、いつもわたしに届きそうになる。本当はわたしに説教をしようとしているのではないか。写真を睨みつけるたび、今にも喋り出しそうな聖フランチェスコがわたしに何かを伝えようとする。その言葉の気配を察して竦むわたしは鋭い視線で遮るのだ。
 写真から目を逸らす。照らしていたiPhoneの光をずらして、陶器の破片を踏みつけた足下を照らす。どうしてこんなところに陶器の小鉢が落ちて割れてしまったのだろう。午前五時の少し前だった。遮光カーテンを開けたら日の出まもなくの白々とした朝の光が入ってきて、薄闇だった空間が灰色になる。両親はまだねむっていて、だれもいないリビングで水槽のカメだけが騒いでいた。わたしは大型の水鳥のような優雅さですうっと片足を持ち上げる。そのまま手で足の裏に突き刺さった陶器の破片に触れると、うめき声ひとつあげないまま、深く肉に食い込んだ破片を抜き取る。フローリングに赤黒い血が垂れる。痛みは全くなかった。三十を過ぎた足の裏の皮はすっかり厚くなって、もう何を踏んでも痛くない。上靴の中に画鋲を入れられて、外履きから履き替えたときに、痛い痛いと足の裏に突き刺さった針先のために泣いた、小学生のあの頃はもうずいぶん遠い。
 片足立ちがきつくなってよろめいた。上げた片足を下ろして垂れた血の上に着くと、ぬるりと滑った。じっとして血を見ていると気が遠くなる。それは今も昔も変わらない。血の気が引いて、わたしの顔は青くなる。でも体の中には赤い血が細く流れつづけている。ちゃんと食べなくても血は流れる。食事を受け付けなくなることがときどきあって、そういう時はたいていカロリーメイトのチョコレート味を少しずつ、カリカリと削っていくように小さく食べる。これだけはなんとか口に入る。数日かけて一箱四本入り四百キロカロリーを食べる。年をかさねるごとに、わたしはどんどん省エネになっていく。地球環境の問題を考えればそのほうがいいのだろう。いっそ食べないということのほうが。食べなくなったら心臓が小さくなった。ふるえるような、かすかな一拍で全身に送られる血はとても少ない。足りないから、人より余計に鼓動を重ねる。生き物が一生のうちに打つ鼓動の数は種によってだいたい決まっていると本で読んだことがある。だからわたしは一拍一拍、他人よりも速く打つことでどんどん命を削っている。速い心音が大急ぎでわたしの命をさらっていく。
 陶器の破片を手で拾い集めて、燃えないごみの袋に入れた。いい加減にほうりこむと、破片と破片がぶつかりあってがちゃがちゃ騒がしい音が落ちていった。高校生の頃、町の公園で開かれていたバザーで手に入れた小鉢だった。奇妙な公園で、もとは幅が八十メートル、長さが二・四キロメートルの運河だった。運河が埋め立てられて公園になったのは平成になってからだった。異様に細長い形をして、そのあたりは町の中でもとくに、一年中湿度が高い。それはどうもむかしからそういうものらしく〈みずやどり〉という地名がついている。〈みずやどり〉は、水宿りだろうか。水が宿る場所というなら、あの場所にぴったりだ。小鉢は四つセットで売られていて、内側に青い線模様がすっと通っていた。魚なんか描かれていないのに〈泳ぐ〉という言葉が自然と思い浮かぶ不思議な模様だった。四つセットのうちの一つだけを買いたいと言ったら、露店の店主が嫌な顔をした。ばら売りを想定していなかったのかもしれなかった。それなら仕方ないからあきらめようと思って背を向けて、歩き出したら追いかけられた。三百円、三百円でいいよ、と店主は言った。他にも未使用のタオルのセットや入浴剤、古着、くすんだアクセサリーなんかが売られていた。不要になった物を処分するのにうってつけのバザーが定期的に開かれていた。今でも時々開催されているようで、郵便受けに日時の書かれたチラシが入っていることがある。母さんの話によればあそこは運河の頃からずっと不要品の行き場だった。着なくなった服も生活ごみも全部運河に投げていたのよ。なにそれ、とわたしは思う。そんな合法的不法投棄なんてありえたんだろうか。だって仕方ないでしょ、そういうものだったんだから、町の議員さんだってこっそりといろいろな物を捨てていたよ、と母さんは言っていた。

(続きは本誌でお楽しみください。)