立ち読み:新潮 2023年7月号

おおばあちゃん/小山田浩子

 大伯母の体調が悪いと母から電話があった。「数値がすっごく、悪いんだって」大伯母はだから母の伯母、にあたる。私の実家から車でしばらくのところに母の従姉一家と住んでいる。子供のころはたまに遊びに行った。「数値?」母が言葉に詰まった。「血とか、尿とか血圧とかそういう数値、全部」「あー……」母は深く息を吸いこむような音を立てた。「そう、だから、本当だったら入院するぐらいの数値らしいんだけど、でも、手術とかそういうのは年齢的に、もうちょっと、考えられないでしょうっていうことで家で」九十、確かもう五とか六とか七とかそれくらいの歳だ。最後に会ったのは最後に実家に帰ったのより前だから、もう五年とかになるか。「それはだから……看取り段階的な」「そう。入院しても痛いのだけ薬で、抑えて、栄養を与えてっていうことしかできないって……無理な延命みたいなことは、私もマミちゃんも誰も望んでいないから」「そうだね」私は頷いた。耳に当てた液晶画面がちょっとぬるっとした。「それにね、入院しちゃうと、コロナのせいで、面会は一日一人までで、十五分以内なんだって」「ああ……」「家族でもよ。それに、いま入院したらまず、もう、家には戻れないだろうって……そんなのってないじゃない、面会だってそれだけしかできないで、家族にもろくに会えなくて、ひとりぼっちで病院で、それで、もう、二度と、ずっと、暮らしてきた家に、帰れないなんて……」母がはっきりと涙声になった。大伯母と祖母は二人姉妹で、姉である大伯母が婿養子を取って家を継いだ、よって大伯母にとっていま暮らす家は生まれ育った故郷にあたる、という何年も意識したことがなかった情報が脳内に一瞬で再生される。そうか、そうか……。私は父方の祖父母と同居していたから、この大伯母(大ばあちゃんと呼んでいた)のことは二番目のおばあちゃんという感じだった。また母の息の音がした。私は一瞬スマホを耳から離し液晶を肩で拭いた。「だから、あんたも、いっぺん帰ってきて顔、見せて」「いや、で、いま大ばあちゃん……意識っていうか、話とかはできるの?」「それができるの。もうさ、ボケちゃってたらさ、施設入ってたまに会ってで、まあいいかっていうか、しょうがないかな、って、思うじゃないプロに頼まなきゃどうにもならない、お互いのために……でも、おばちゃん、寝てる時間は長いけど、起きてる間はちゃんと、全部、わかってるの。うまく動けないで、歯痒いのね、マミちゃんにもう、ごめんねごめんねって一日中、謝ってるんだって。声に出さないでも、顔とか動きで」マミちゃんがだから母の従姉だ。私は単におばちゃんと呼んでいた。「話せるの」「長く喋るとかは、もう」「じゃあいまずっと、家で?」「そう。訪問看護と、あとお医者さんに往診、週に何度か来てもらって。私も行けるときは行って。ベッドも、介護用のやつダスキンでレンタルして」「ダスキン」「ダスキンよあのダスキン。お掃除用品の」「うん、ダスキン」ミスドもダスキンだ。最近食べていない。「あと車椅子とかも借りて」「車椅子」前に会ったときの大伯母の様子を頭に思い浮かべる。普通に歩き回って庭仕事などもしていた、働き者の大伯母、料理が上手でおはぎなんて小豆から炊いた大伯母、梅干しやらっきょうを漬けては毎年親戚に送ってきた大伯母、背中は曲がってより小さく縮んだように見えたが、でも元気だったしやっぱり料理なども確か作って出してくれて食べた。なに作ってくれたんだっけ、お寿司は出前で、お吸い物、茶碗蒸し? 作ったのはおばちゃんだったような気もする。なんにしても私の結婚を喜んで、ひ孫を早くというようなことも言って、仕方がないあの年齢の人だもの。「大ばあちゃん、いま、車椅子なんだ」「いいや」「え?」「車椅子、一瞬家の中の移動用に借りてはみたけど、やっぱり日本の家じゃ狭くて不便だから、すぐ返したって。ダスキンはすぐ返しても大丈夫なのよ電話したらすぐ取りに来てくれる」「ああそう」「でも、もう、歩けないのよ。トイレなんかオムツ」「あー」自分ではける喜び、的なキャッチコピーの大人用オムツのCMが浮かんだ。トイレで絶妙に下半身が映らないようなカメラの動きで、ゴムが入ったパンツっぽいオムツを引き上げてトイレの個室の中でにっこり微笑み合う高齢の女性と中年の女性の映像だ。二人ともショートカットで、シルエットに響きにくい、蒸れずに漏れない安心……二人は手を取って木漏れ日の明るい緑色の並木道をゆっくり微笑み合いながら歩いて行く。「オムツ、そうか」「お、お正月……」「えっ?」「この、年を、お正月を」母がまた声を詰まらせた。

(続きは本誌でお楽しみください。)