立ち読み:新潮 2023年10月号

【新連載】
生活 第二部/町屋良平

 なにか音楽の、舞踏的なパッセージがひかりと混ざったかたちで聞こえてきて、かれはミルでこまかく刻まれた豆に湯をそそいだ。香りが瞼のあたりを解きほぐす、振り返って右足をほんのすこし、数ミリ程度だけ前に出し、体を半身にするように左足を大きく回して前にすすんだ。よく眠れた情緒が前向きな心がけと記憶に紐づいたイメージを呼びさまし、動きづらい右足の踵までをなるべくべったりつけて、そういう振りつけを行うみたいにごく緩慢に、丁寧に床をあるく。そうしないと右足の内側に負荷がかかりすぎ、皮膚と筋肉が疲れてすぐダメになってしまう、それはかれの足と身体全体にかかる負担のイメージと連結するのだが、歩きかたとしてはかれには自然にも感じる。これは生活という踊りだ。
 よい天気だった。

 動画のなかで、かれが踊っている。かれは眺めていておもばゆい。どうじに他人のように感心した。当然といえば当然なのだが、かれ自身にしかできない、かれ自身の動きだった。
 Dance Japanese boy contact impro,
 と題された動画は、先日渓谷で出会った海外からの旅行者が撮影してアップされたもので、かれはその旅行者のInstagramのアカウント情報以外、どこからきただれなのか、なにもしらなかった。Instagramでフォローして、しばらくしたらかれの姿がInstagram上にあらわれて踊ってい、プロフィール欄のリンクを踏むとYouTubeにジャンプした。滝のそそぐ音声に耳を傾けると、いまここにいるかれの身体がおもいだす。動画のなかで踊っているのはそのときだけのダンスだから記憶はなくて、いまのかれの思い出はあくまでいまのかれの思い出である。かれが撮影してくれた旅行者に動画のアップを許可したあとで、シャツを脱いで汗と泥と川の水のまざった水分をタオルで拭きしばらく滝を眺めてボンヤリしていると、滝行をおこなう日本人たちがあらわれてやおら気合を入れはじめたのだが、白装束をまとった人物たちを旅行者は撮影せずいつの間にかいなくなっていた。何回タオルで拭っても、乳首の周辺に砂粒がついている。拭ってはぼうとし、拭ってはぼうとしするその反復のあいだ、なんども砂粒に気がついて、すっかり胸の皮膚があかくなっていた。ピアノを聞いている。頭のなかで水音が鳴った。生活と自然の交換される、その知覚で尻の骨にあたる岩が痛かった。かれはその投稿をしずかにシェアした。足元に二匹のネコが寄ってき、かれは左足で二匹の気持ちをさがすうちに、自分がパンツ一枚でいることに気がついた。春めいた気温が布団のなかでスウェットズボンを脱がせて、そのまま起き出してしまっていた。足元のネコの体温とより分けて考えるに、それほど底冷えする気配もなかったので、かれはそのまま床に珈琲カップを置きあぐらをかいた。鼻ブチのほうがかれのあぐらの、足首の重なるあたりをすんすん嗅いだあとあいだに寝そべり、あたまを左膝にのせ、尻を右膝のしたにおさめて目をつむった。橙鼻は先ほどから鳴いている。珈琲を啜りながら橙鼻のほうへむけて指先をこするけど、鳴き止まない橙鼻の気持ちは鳴くにまかせて放っておき、かれはしずかにした。背中に布団がさわるぐらいの距離でかれのパートナーである桜は眠っており、たぶんあと二時間は起きない。掃除や洗濯を日々こなしつつ、しかし午前中の時間のかれの生きるよすがは彼女を起こさないことのみにある。宵っ張りで仕事をしている彼女はむしろ、よく「描けない」「なにもおもいつかない」などといってかれを起こすのだが、かれは彼女を起こしたことがない。打ち合わせに遅刻することを知っていても起こさず、彼女はかれをねめつける。しかしなにもいわれはしなかった。橙鼻は鳴くに任せて昂ったようでかれの足指をガリガリ噛み、しかしその痛みがあぐらに収まっている鼻ブチを起こすほどではなく、なにか要求があるわけではない鳴きたい橙鼻のありようをわかっていた。それが生活だからだ。半袖からのびる腕のどこが二匹の身体のどこにさわっているかもわからない時間で、ひたすらボンヤリして、六畳のダイニングキッチンで黒いくつ下に二匹の毛が混じりあう渦を巻いている。昨晩つくった味噌汁が鍋のなかで彼女の分の残っている記憶と混ざって匂いたつ。あと二時間。ボンヤリして彼女に朝食を食べさせたら、いっしょに散歩にでかける。夜には父親が来る。

(続きは本誌でお楽しみください。)