八歳になった長男がまだ四歳の頃、なぜか突然真顔になって「木星に行きたい!」と言い始めたことがあった。ちょうど新型コロナウイルスの世界的な流行が始まったばかりの頃で、子どもたちと自宅にいた僕は、さっそく木星について解説している動画を一緒に探した。
待ち切れない様子で動画を見始めた彼だったが、「厚さ一〇〇〇キロメートルほどの大気の底は、あまりの高圧のため、水素が液体に状態を変えている」というナレーションが流れてくると、僕の膝の上でぼそっと「行かない方がいいかな……」とつぶやいたのだった。
大気の組成や気圧は、惑星ごとにそれぞれ特徴があって、少なくとも地球の近くには、地球に似た大気を持つ惑星はない。「空気」といえば透明でだれにも気づかれないほど当たり前なものの代名詞だが、宇宙のなかで見れば、地球の空気ほど珍しいものはない。あのとき息子は、想像していたのとは違う木星の「空気」を感じて、心細い気持ちになったのかもしれない。
ミミズが土のなかに生き、魚が水のなかを生きるように、人間は地球表層の大気のなかを生きている。空気は目に見えないし、匂いや感触もほとんどないので、空気の存在が意識にのぼることはあまりない。いつもあるはずの空気がないという状況に直面するまで、空気のありがたさに気づくことはなかなかできない。
土から掘り起こされたミミズは、激しく身をくねらせながら地面を跳ねる。地面にうちあげられた魚は、水のなかに戻ろうとしてもがく。自分がいつも生きている場所から引き離されてしまったとき、どんな生き物でもパニックに陥る。
それは人間も同じだ。
特に人間は、脳が大量に酸素を消費するので、酸素の欠乏にとても弱い。大気中に約二一パーセント含まれる酸素の濃度が、一六パーセントを下回ると頭痛や吐き気などの症状が現れ、六パーセントを下回ると瞬時に昏倒し、呼吸が止まり、六分以内に死亡してしまうという。人間の生命は、地球大気の繊細な組成に依存しているのだ。
現在の地表付近の地球大気の組成は、水蒸気を除いた乾燥状態の容積比で、約七八パーセントが窒素、二一パーセントが酸素、〇・九パーセントがアルゴン、およそ〇・〇四パーセントが二酸化炭素だ。この組成の奇跡的なまでのありがたさは、近隣の惑星と比較してみないとわからない。
たとえば金星の大気は約九六パーセントが二酸化炭素で、残りの大部分は窒素ガスである。火星の大気もやはり九五パーセントが二酸化炭素で、残りが窒素とアルゴンだ。これに比べると、地球の大気は二酸化炭素濃度がとても低い。二酸化炭素を大量に固定してくれる大きな海があるからだ。
しかも地球には潤沢に酸素がある。光合成する生物たちのおかげだ。地球の大気にはメタンも一定量含まれているが、メタンは酸素と反応すると二酸化炭素と水に分離してしまう。酸素とともに一定量のメタンが大気に保持され続けているのは、地球上の生命活動によって、大気に絶えずメタンが供給され続けているからである。
地球は、広大な海や生命の存在なくしては説明がつかないほど珍しい大気に包まれている。仮に宇宙から地球の大気を調べたとすれば、それだけで、地球に生命がいる可能性が高いとすぐに読み取れてしまうだろう。
生きている惑星
そもそもある惑星に生命がいるかどうかを調べるために、どのような方法が考えられるだろうか。実際にその星を訪れてみるというのが最も直接的な方法だが、地球に近い火星のような惑星でさえ、探査機を送り込み、表面のサンプルを集めてくるのは簡単ではない。たまたま探査機が着陸した範囲に、生命の存在を示す証拠があるとも限らない。ましてや太陽系外の惑星を調べるとなれば、近い恒星でさえ到達するのに数万年単位の時間がかかってしまう。物理的に探査機を送り込む方法は現実的ではないのだ。
科学者のジェームズ・ラブロック(一九一九―二〇二二)はおよそ六十年前に、生命の存在を調べるのに大気を分析するという方法を提案した。のちにバイキング計画へと発展していくことになるアメリカ航空宇宙局(NASA)の火星探査計画の初期に、火星での生命探査の方法についてアイディアを求められた彼は、次のように考えた。
人類はまだ、地球上の生命しか見たことがないが、このことが、地球外の生命について想像するとき、発想の制約になる可能性がある。火星の生物は、地球のどんな生物にも似ていないかもしれない。地球に縛られた偏見によって、意外な可能性を見落としてしまうことを避けるためには、そもそも「生命とは何か」を原理的に考えるところから出発する必要がある。
(続きは本誌でお楽しみください。)